第29話 夏芽先輩が、そんな姿を見せるなんて…やっぱ、心配だよな…

 人通りが多い場所。

 二人は、地元の街中にいたのだ。


 本当であれば、プール施設で泳ぐ練習をするはずだった。

 けど、夏芽先輩からそんな気分ではないと、断りのセリフを浩紀は耳にしたのである。


 どうしたんだろ……。

 浩紀は疑問を抱きつつも、隣を歩いている先輩の横顔を見た。

 悲しそうな表情であることが伺える。


「夏芽先輩? なんか、その……やっぱり、帰った方がいいんじゃないですか?」


 浩紀は彼女のことを気にかけ、言った。


「……浩紀って、そんなに私に帰ってほしいの?」

「え、いや、そうじゃないですけど……さっきから具合が悪そうじゃないですか。だから、今は大会もありますし。そこまで無理しない方がいいと思って」

「それはありがたいんだけどね。そう言ってくれてさ」


 先輩は軽く笑みを見せてくれた。

 疲れている表情だが、心の奥底から彼女の強さ的なものも感じられたのだ。


「私は大丈夫。それよりもごめんね」

「え? 何がですか?」

「プールまで来てもらったのに、私の都合で練習をキャンセルしちゃって」

「いいですから。今は先輩の方が」

「さっきから、私のことばっかりじゃん」

「でも……」

「でもじゃないよ。私のことはいいからさ。私のことを心配してくれるなら、どっかで奢ってよ」

「奢る?」

「うん。ここって飲食店とか多いし。なんか、私まだ食べてないの。浩紀はどうなの? 食べた?」

「まあ、朝食は食べましたけど。自宅を出る時にも、少しは食べましたし」

「じゃあ、お腹空いていないって感じ?」


 先輩から問われる。


「でも、先輩がどうしても立ち寄りたいって言うなら別にいいですけど」

「本当?」

「はい」


 浩紀は頷くように、しぶしぶと言い切った。余計に言っても、先輩は言うことを聞かないと思ったからだ。


「ねえ、どこに私を連れて行ってくれるの?」

「じゃあ……」


 浩紀は辺りを見渡す。

 色々なお店が立ち並び、どこに入ろうかと悩んでしまう。


 今、先輩は身体的にも疲れているのだ。

 余計に騒がしい場所はやめておいた方がいいだろう。

 できることなら、少人数でも立ち寄れる場所がいい。


 そう思い、キョロキョロと見渡しながら、先輩と共に街の道を歩いていく。


「ね、見つかった?」

「んッ⁉」


 先輩は胸を押し付けてくる。

 重量感のある膨らみ。

 右腕の方に両腕を絡ませながら、言い寄ってくるのだ。


 これは、反則じゃ……。

 というか、先輩は具合が悪いんじゃないのか?


 浩紀は思う。

 具合が悪いとか口にしたり、ぐったりとした態度を見せていたが、それは単なる嘘なんじゃないかと。

 けど、時折見せる彼女の表情からは、苦しい面影が垣間見えたりする。


 具合が悪いのは、本当……かもしれないな。

 浩紀は一応、そう思うことにした。


「ねえ、浩紀見つかったの?」


 先輩は甘えた口調で言い、誘惑してくるのだ。

 特に右の方の耳が気持ちよくなってくる。


「せ、先輩、ちょっとここでは」


 先輩のことは好きなのだが、もう少し状況というものを考えてほしい。

 そもそも、今まさに周りにいる二十代くらいの男性らに、ジロジロと見られているのである。


 気まずい。

 そんな心境に陥ってしまう。


 浩紀は先輩から右腕に抱き付かれている最中。

 俯きながら、街並みを歩くことになった。

 そして――


「あれ……」


 ふと、浩紀が顔を上げた丁度のところに、とある店屋があった。

 それは、個室店のような場所であり、静かな環境下で食事ができるお店らしい。


「どうしたの?」

「先輩、ここにしませんか?」


 浩紀は先輩の方を見ながら、目的となるお店の方を左手で指さしたのだ。


「個室店? どんなモノを取り扱った飲食店なの?」

「弁当風の食事処みたいですね」

「へええ、そうなんだ。変わってるね」


 先輩はお店の看板を見ながら言った。


「じゃあ、ここでいいかな。ありがとね、浩紀。決めてくれてさ」

「は、はい……」


 先輩に笑顔を見て、浩紀は笑みを返す。

 先輩の役立てたことに嬉しさを感じつつ、店の入り口近くまで向かう。


 出入口付近には、プラスチックのようなもので丁寧に作られた実物に近い料理が、ショーケースに飾られてあった。


「何にする?」

「先輩はここに来るのは初めてなんですよね?」

「ええ、そうな」

「まずは中に入ってから決めませんか?」

「んん、まあ、そうだね」


 浩紀は先輩と共に入店する。

 他人から見たら、イチャイチャしているかのような腕の絡ませ具合であり、入店直後から、お客として店内にいた人から、ジロジロと見られてしまう。


 公開処刑というのは、こういうことなのかもしれない。

 そう思いつつ、浩紀は先輩と共に、出入口付近のところで佇んでいると、奥の方から声が聞こえる。


 店内の奥の方から駆け足でやってきたのは、和風なイメージの割烹着姿の女性。

 おおよそ、三十代くらいの女性のように見えた。


「二名様でよろしいですか?」

「はい」


 浩紀はそう頷くように言い、先輩も同様に反応したのである。


 二人は、割烹着姿の女性の後を追うように進み、とある場所に到着した。

 障子の扉を割烹着姿の女性に開けてもらうと、最大四人程度が座れるほどの空間が、そこには広がっていたのだ。


「こちらで食事をしてもらいます。メニュー表は、そちらのテーブルの方にありまして」


 浩紀は一先ず、テーブルを挟むように先輩と座ろうとする。

 が、先輩はなぜか、右腕から離れることなく、べったりとくっ付いたままだった。


「……先輩?」

「別にいいじゃん……」


 先輩はボソッと話す。


「えっと……どういう風にお座りになられてもいいので……」


 割烹着姿の女性は戸惑うように対応していた。


「まあ、そうですね……」


 その女性は軽く笑みを見せつつも話を続ける。


「この食事処では、弁当に入っていそうな感じの食材を提供するのが基本になっておりまして、ご自由にトレーに分けていただくことになります」


 なんか、遠回しなやり方の提供の仕方だと思う。

 けど、そんなことは口にせず、割烹着姿の女性の説明を聞き終えたのである。


「食材を分けるトレーは、別のところにありますので。わからないところがありましたら、また声をおかけください。では、ごゆっくりと」


 障子を閉め、立ち去って行った。


「じゃあ、俺が分けてきますから」

「……」

「先輩?」


 夏芽先輩は無言のまま浩紀の右腕に抱き付いたままだった。このままでは立ち上がれない。


「ちょっと、このままでいて」

「急にどうしたんですか?」

「なんでもないけど……」


 やっぱり、先輩は隠していることがありそうだ。


 浩紀は決心を固め、少しでも相談に乗った方がいいと思い、右側にいる先輩の方を見やるのだった。

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