第8話 朝から絶望を感じてばかりだ。けど、悪いことばかりじゃない…と思う

「……」


 朝。浩紀は無言で教室にいた。


 そんな彼は押し黙り、窓近くの自身の席に座って絶望的な時間を過ごしている。

 今、人生最大級の苦しみを一心に抱えているような状態。

 心身ともに疲弊しつつあった。


「お前さ、あの噂、本当なんだよな?」

「嘘つくなよなッ」

「お前の仲間もな、その一部始終を見たって言ってるんだよ」


 朝のHRが終わった瞬間、浩紀の周りには数人の男子生徒が集まっていた。

 交友的な関係とかでも、普段から関わっているような人らではない。

 一応、クラスメイトではあるが、何事もない日々であれば、接触することも会話することもないのだ。


 ただ、学校一の美少女――夏芽雫先輩との色々な噂が出回るようになってきて、目の敵にされるようになっていた。


「真司もさ、何か言ってやれって」

「……」


 友人であるはずの真司が寝返っていた。

 そこまで多くを語っているわけではないが、表情的に浩紀を敵視した瞳を見せている。

 いつもならば、クラス内の中立人のような立ち位置なはず。


 だがしかし、真司にも、この前のファミレスシーンを見られた。

 学年で人気のある東城夢と実妹の友奈に、双方から抱きつかれているところをだ。


「真司もなんかあるだろ? こいつに言いたいことさ」


 それと同時に、誤魔化しきったはずの先輩との関係性も蒸し返され、男子生徒らに尋問されていたのである。

 先輩と付き合っている噂は嘘とかではなく、本当に付き合っているのではという疑いをかけられていた。


 実際のところ、先輩と付き合っているのは本当だ。

 だが、そんな事、瞳に映る男子生徒らには言えない情報。

 隠し通さなければ殺される。


 先ほどから必死に先輩とは付き合ってはいないと言ったものの、信じてはくれず、今もなお、周りにいる人らに睨まれているのだ。


「お前……俺よりも先に彼女を作るなんて、しかも、学校一の美少女、雫先輩とッ‼」

「あれはう、嘘なんだ、本当に噂というか、嘘っていうか……」


 必死に弁解しようとするが、この前のハーレム状態を真司には見られている故、首を縦に動かしてはくれなかった。


 これは……打つ手なしか……。

 椅子に座っている浩紀は絶望した。






「ねえ、もうそれくらいにしたら?」


 突如、救世主が……。

 と、一瞬思ったものの違うかもしれない。

 その声の持ち主は、クラスメイトの女の子――東城夢。

 朝。浩紀を引きずりながら登校した子である。

 現在の絶望的な環境を構築した人物。


 夢自身は、そこまで気にすることなく、男子生徒らに笑顔を振りまいている。

 また、面倒なことになりそうだと、浩紀は嫌なオーラを感じていた。

 辺りにいた男子生徒は、学年一の美少女を前にすると、人が変わったように温厚な態度を見せ始めるのだ。


「僕らは、その、ただ浩紀と楽しく会話していただけさ」

「そうそう、そんなに変なことじゃないから」

「だよな、浩紀?」


 急激に優しくなった男子生徒ら。

 学年一の美少女の笑みの前では、凶暴な姿は失せてしまうらしい。


「それで真司は? どうなの?」


 夢が、幼馴染である真司を見やる。


「お、俺……?」


 真司の反応を前に、周りにいる男子生徒らもビクついていた。

 彼の発言で、環境が大きく変わるかもしれないからだ。

 男子生徒らは、真司に目で合図していた。


「俺は、そんなのさ、浩紀の友人に決まってんだろ。なあ、浩紀? それと、ごめん……俺も言い過ぎたよ」

「え、うん。だ、だよね。別にいいよ……気にしてないから」


 真司はいつも通りに戻った。

 グラビア雑誌を見せてくるような感覚で、彼は肩を軽く叩き、優しい口調で話してくれるのだ。


 浩紀はホッとした。

 でも、心のどこかでは、真司には申し訳ないことを、この頃してしまったのだ。

 真司には後で、色々と謝っておいた方がいいと感じたのだった。


「じゃ、じゃあ、俺はここで」

「僕も」

「じゃあな、浩紀」


 男子生徒らは、先早に浩紀の周りから立ち去っていく。


 これで本当に一安心なのか?

 疑問が残るものの、一旦は落ち着いたのだ。

 多分、安心だと思っても問題はないのかもしれない。






「ひろ? 大丈夫だった?」


 夢は浩紀の席近くの壁に寄りかかる。

 壁と言っても、窓ガラスだ。

 頑丈な作り故、背をかけてもそう簡単には壊れない。


「大丈夫も何もさ……夢が、強引すぎだって」

「ごめん……ね。私、別に悪気があったわけじゃないの。あのね、ひろが視界に映ったから、ちょっとテンションが上がっちゃって」

「だとしても、学校の昇降口まで一緒に登校しなくてもさ。学校近くで、少し距離をとってほしかったっていうか」

「距離?」

「ああ。夢はさ、学校でもモテる方なんだ。学年だけじゃなくて、学校内では、ベスト3に入るほどの美少女だってことを、もう少し客観視した方がいいよ……」


 浩紀はため息交じりに言う。


「……私、別にいろんな人からモテても嬉しくないし……」


 夢は、浩紀と、その近くにいる真司に聞こえる程度の声質で、ボソッと口にした。

 今、教室内は騒がしいことも相まって、浩紀の耳にはあまり届かなかったのだ。


「あ、っというか、夢さ。来週から、どこかでバイトしないか?」


 変な雰囲気になったのを察し、真司が新しい話題を口にする。


「バイト?」

「ああ、そうだよ。この前さ、もう少しお金があればとか言ってなかったか?」

「え、うん。そうだね。どんなバイトなの?」

「それがさ――」


 真司は夢の隣に行き、スマホを片手に彼女へバイトの説明を行っていた。

 バイトとは一体、どんなものなのだろうか?


 急に、夢と真司だけで会話するようになり、浩紀は疎外された感じになる。


「へえ、そう。そうなんだね」

「今、このお店でさ、バイトできる子を探してるらしいんだ――」

「うんうん、そうなんだ」


 夢は左手で頬を触りながら考え込んでいた。


「どうしよっかな。そうだ、ひろは、私にバイトしてほしい?」


 突然の問いかけに、ドキッとした。

 椅子に座っている浩紀は、夢を見やる。


 が、教室の遠くの方から、先ほどの男子生徒らに睨まれている視線を感じつつ、気まずげに頷いた。


「どんなバイト?」

「それは今のところ内緒」

「そっか」

「なに? 興味ないの?」

「いや、そうじゃないけど」


 浩紀は適当に言った。


「もう、せっかくバイトしているところを、ひろに見せたいのにー」


 不満げに彼女は頬を膨らませていた。


「まあ、そう言うなって」


 友人の真司が、中立的な立場で二人を宥めていた。


 浩紀は冷たい反応をしたものの。それは真面目な雰囲気を教室で維持するためである。本当は、夢がどんなバイトをして、どんな服装で働くのか、気になってはいた。


「はいッ、皆、席についてー、一時限目は自習だったけど、私の授業になったから」


 刹那、女性の担任教師が教室に入ってきて、クラス全体をまとめ上げる。自習だと思っていた時間が、一気に絶望に変わったのだった。

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