第7話 ”魔の領域”へと誘われる浩紀。俺は、まだ死にたくないッ!

「お兄さん? 行きましょうか、学校に」

「……え……?」


 朝。七時五十分を過ぎた頃合い。リビング内、テーブル前に座って食事をしていた浩紀は耳を疑った。


 なんて?

 と思ったのだ。


「どうしたんです? 聞こえなかったんですか?」

「いや、そうじゃないけど……」

「では」


 そう言い、長袖長ズボン姿の妹は席から立ち上がる。先ほどまでは、紫色の下着姿だったのだが、恥ずかしかったらしく、食事中は衣服に身に纏っていた。


「……」

「?」


 浩紀が硬直していると、友奈が不思議そうに首を傾げる。


「学校に行こうとか。友奈の方から誘ってくれるとは思ってもみなくてさ。正直、驚いてんだよ」


 浩紀は動揺しつつ、手に持っていた箸をテーブルに一旦置く。


「そんなに驚くことでしょうか?」

「当たり前だよ……だって、つい最近まで冷たい対応ばかりだったし……」

「それは、しょうがないじゃないですか」

「何が?」

「んんッ、なんでもないですから。そこは……気にしないでください。では、私、着替えてきますので」


 友奈は頬を赤らめ、恥じらい。浩紀と視線を合わせることなく、リビングを後にして行った。


 静かになった室内。

 浩紀は味噌汁を見る。

 友奈が一生懸命に作ってくれただけあって、普段よりも格段に美味しかった。


 いつも、妹が作ってくれる食べ物はどれも口に合う。

 が、今日の朝だけは格段に違った。

 味噌汁を飲むたび、距離を感じていた妹からの想いが伝わってくるようだったからだ。


「友奈って……俺のことが好きだったんだな……全然気づかなかった……。もしや、俺を避けていたのって好きだったからなのか?」


 そう考える方が普通。

 けど、血の繋がった者同士が付き合うこと自体は、おかしい。


 ただ、友奈のことをおかしいとは思いたくなかった。

 昔から一緒に生活してきた妹。

 それも彼女の想いの一つであり、不思議と否定はできなかった。


「……」


 浩紀は味噌汁を最後まで飲み、席から立ち上がる。

 妹から作ってもらったのだ。

 食器は洗わないと申し訳ない。


 浩紀はキッチンの洗い場で食器を洗い終えると、自室に行き、制服に着替えた。

 通学用のリュックを背負い、部屋から出ると――

 二階の廊下で丁度良く部屋から出てきた友奈と視線が合う。


「……」


 妹はみるみる内に頬を赤く染め、視線をそらし、俯きがちに走って浩紀の前をサッと通り過ぎていく。

 浩紀は、ふと思う。


 今の状況で歩いて行ったら、彼女は確実に階段を踏み外すと――

 急ぎ足で背後から駆け寄り、友奈の左腕を強く掴んだ。


「な、何するんですか、お兄さん、へ、変態ッ」

「いや、そうじゃないって。友奈。今のままだったら、階段から滑り落ちてたんだぞ」

「え……? そ、そうなの」

「はああ……友奈はもう少し回りを見た方がいいよ。いつもなら、そんな失敗しないのにさ。どうしたんだ?」

「そ、それは……んんッ、そ、それより、て、手を離してくださいッ」


 友奈からの強気な主張。


「え、あ……ごめん」


 なんで謝ってんだろと思いながらも、妹の細い腕から手を離す。


「……」


 友奈は浩紀から触られていた左腕を優しく撫でていた。


「どうした? もしかして、俺が強く触りすぎたか?」


 浩紀は隣に立ち、心配そうに視線を向ける。


「ち、違いますからッ……そ、それと、さっきはありがとうございました、お兄さん……」

「そんなに礼儀正しくしなくてもいいよ」

「……でも、助けてもらったので……その――」

「え? なに?」

「な、なんでもないです。それより行きますよ」


 友奈は何かを小さく話していたが、全く聞き取れなかった。


「……お兄さん?」

「なに?」

「その、手を」

「手を?」

「つ、繋いでくれませんか?」

「どうした急に?」

「……もしかしたら、階段から滑ってしまうかもしれませんし、手を借りたいのです」


 友奈が、そのセリフを口にした。

 正直驚きだ。


 今日の朝から。いや、この前から衝撃的なことが多い。

 けど、妹が望んでいる事であればと思い、右手を差し伸べた。


 だがしかし、彼女からの反応がない。

 騙されたのかと思っていると。


「お、お兄さんの方から、私の手を触ってください……」

「ん?」

「聞こえなかったのですか? 私は……お兄さんの方から触ってほしいって……言ったんですが。こ、こんなこと、何度も私の口から言うのも恥ずかしいんですからね」

「ごめん……」


 浩紀は簡単に頭を下げたのち、友奈の手を触って一緒に階段を下りるのだった。

 玄関に到着するものの、手を繋いだまま、靴を履くのは難易度が高い。


 手を離そうと思っても、友奈は離してくれなかったのだ。

 一応、靴は履けたこともあり、玄関を後に学校へと向かうのである。






「……」

「……」


 気まずい。

 実の妹と一緒に、学校に向かうのは気恥ずかしかった。


 通学路を歩いてると、辺りにいる人らの視線が痛く感じる。今は、同じ学校の人や、知り合いがいない故、まだ平静を保てる方だ。


「友奈? そろそろ、手を離さないか?」

「嫌です」

「いや、嫌とかじゃなくてさ。俺が困るんだよ」


 頬を紅葉させている浩紀は、胸が痛くなった。

 もし、同じ学校の人に見られたらと考えると、息苦しさを感じるのだ。


「……」


 左側を歩く友奈とは無言で手を繋ぎ、通学路を歩き続けている。


 刹那、嫌な予感が的中してしまった。

 背後からの足音が聞こえた――


「おはよう、ひろーッ」

「⁉」


 その声に、浩紀は体をビクつかせた。

 突然の問いかけ。


 ゆっくりと背後を向くと、そこにはクラスメイトでかつ、女友達の夢が笑顔を見せ、近づいてきているのだ。


 彼女は近くにたどり着くなり、笑みを見せる。

 だがしかし、その笑顔には、闇のオーラを感じるのだ。


「ねえ、浩紀? どうして、友奈ちゃんと手を?」

「これには訳が……」

「別に私はね、怒ってるわけじゃないの」

「え?」


 浩紀がホッとした感じに胸を撫でおろした。


「それと、友奈ちゃん、おはよう」

「おはようございます。夢姉さん」


 二人も挨拶を交わす。


「私はね。友奈ちゃんが手を繋いでるなら、私もってこと」

「え?」


 そうこうしている間にも、夢は右側の方に移動し、浩紀の手を強引に触る。


「はい、行こうね、学校に」

「え、いや、ちょっとッ」


 強引に歩き出す夢。

 普段は落ち着いた言動が多いのに、今日は朝から積極的だ。


 こ、これは本当にヤバい……。

 このまま学校に登校したら、同性からのバッシングを受けてしまうだろう。


 ただでさえ、この前のことで、友人の真司とも関係性があまりよくなくなってきているのに。これではただ単に、悪い方に追い打ちをかけられるだけである。


「お兄さん、行くよ」

「早くね、ひろ」


 うわああ……学校に行きたくないッ。


 まだ、死にたくないと想いを募らせながら。浩紀は二人に引きずられるように、学校という”魔の領域”へと連れていかれることになった。

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