第2話
〈2021年〉
四月二十五日、第四波に飲まれて三回目の緊急事態宣言が出された。先月生まれたばかりのまん延防止等重点措置は僕未満の成績しか残せなかった。大学は警戒レベルを一つ上げたが全面オンライン化に立ち返りはせず、教壇の教授も一言二言の言及に終わる。変異ウイルスと聞いて親近感は更に高まった。僕も年を重ねる毎に新たな特異体質を獲得しているから。
今回、春は自然地理学、英語資格試験、線形代数、ヒューマンセクソロジー、美術論(日本・東洋)、確率、法社会学Ⅰ、ジェンダーと社会、社会と文化B、夏は環境科学Ⅰ、英語資格試験、線形代数、ヒューマンセクソロジー、美術論(日本・東洋)、確率、ジェンダーと社会、経済思想入門、教育の社会学Aの受講を決めた。登校日は自然地理学と確率のある火曜日、英語資格試験のある金曜日の週二日、二年生となって始めて買う定期は二万五千円、元は取れているし興味のある授業に違いはないから不経済ではないはずだ。自然地理学が一限目の為に朝六時に起きないといけないのは自律精神強化と捉えよう。
早朝駅まで運動がてら歩き、始発の電車に乗り角の席で読書する。続々と密になる車内にはクラスターが起こらない方が不自然に思える。オジサン達はビフォーコロナから咳エチケットを守って欲しかった。日の低い一本道を歩けば、通学とはこういう行為だったなと童心に帰る。どの対面授業にも去年、あわよくばそれ以前から見知った顔は出現せず、安心したような不満を抱えたような気分で直ぐにキャンパスを出る。そりゃディスカッションの無い授業で「鉛筆貸して」以上の交流が自然と生まれる訳が無いよね。
正午、抜きん出た小春日和とは裏腹の闇が僕の中で蠕動する。態々登校した意味は何だったのだろう。引き籠ってばかりでは他人を悪と結び付ける資格は無い、そう思って外に出た所で僕は結局一人だった。あまりに虚しかったので百貨店溢れる駅の歩道橋を降り、定期圏内を徒歩で踏破してみようと思い付いた。これなら先輩格の渋沢を二人少し分払い、時間を掛けて外出した価値が掬い取れるし、万が一の非常時には確信持って地元を目指すことが出来る。一日で何駅分歩けるか分からないけど春夏の間には全て回れるはずだ。
夏学期末、結果として駅間を歩き切ったのは半数程だったが、全ての駅とその周辺に足を踏み入れることが出来た。構内の小規模なスーパーや寂れた商店街があるだけで、高速道路がメインの土地が大を占めていたが、神社や美術館、表参道と言った景観が現れれば脚の重さは変わった。大國魂神社は中々歩きやすい設計だった。春夏は落単すること無く終えて良かったけれど、丸一日掛けてレポート作成したヒューマンセクソロジーの成績がCであることには懐疑を残した。英語資格試験は実際に例のテストを受ける為に受講し、その結果は何とも中途半端な点数だったので黙っておくとしよう。
芸能人が感染したというどうでもいい情報がまん延する中、四回目の宣言が出されながらデルタ株相まって、感染者数は過去最高を更新し続け二万人を超えた。またも中止となりオンライン開催となるイベントが増え、会場対面では居心地の悪さを感じる僕にとっては都合の良い状況の為、滅多に手を出さない配信チケットを買って主催者に貢献してみせた。そうそう、これまたどうでもいいけど去年三月から延期されていた東京五輪はいつの間にか終わった。誰が見るのアレ。
九月に入り、秋は音楽論(日本・東洋)、美術論(西洋)、英語LL、平和と人権、フランス語圏の社会と文化、地域研究A、現代思想、冬は音楽論(日本・東洋)、美術論(西洋)、英語LL、平和と人権、フランス語圏の社会と文化、現代思想、全てオンライン・オンデマンドの授業を選んだ。つまり七月中盤から来年四月の授業開始までの約八カ月の自宅時間を得たことになり、高校時代に叶わなかった創作への過集中時期を創出することに成功した。春夏を通して結局対面を受ける意味は大して無いことが分かった。実際にこの期間で既存の創作活動の進め方を身体で覚えたり、新しい創作にチャレンジしたりと、ただ自分の為の有意義な時間を過ごすことが出来た。留学やインターンシップは頭の片隅にも無い隔離生活、僕の将来の夢はエッセンシャルワーカーとは程遠いなと痛感する。嘗ての理系同級生は実験室にて確かな智慧を蓄えているだろう。自分の愚かささえ遮断する子供部屋はとても呼吸がしやすかった。
月末、僕からの誘いで旅行を共にした例のクラスメイトと久々に会う約束を結んだのだが、その話も描写済みなので省こう。十月十二日には世間に後れを取りながら、ファイザー製ワクチンの一回目接種を地元の病院で行った。ロキソニンを飲み忘れていたにも関わらず副反応は少し咳き込むくらいで収まり、十一月二日の二回目接種に至っては、プレゼンの終尾で僕が質問の有無を尋ねた時のように全くの無反応で、やはり僕はウイルスの近縁であると確証を得た。
秋冬の感想は音楽論(日本・東洋)の課題が五分程で済んで有難かったことの他に、楽単と名高いはずの英語LLを落としたことがあった。これも途中から知れていたが、オードリー・ヘプバーンの『シャレード』の台詞を聴き取る課題がどうにも乗り越えられず、Youtubeで同作の違法アップロードを見つけ英字幕をオンにしたは良いが結局面倒となり、解答欄を適当に埋めて提出していた。Manabaを見れば他の学生は大方合格していたので、僕が難聴か皆が裏で答えを共有しているかのどちらかだと理解した。語学なんて近い内に必要無くなるから別に構わない。
一月、オミクロン株と第六波が来る。二月三日、全国の感染者数が十万を超える。グラフは禍々しい隆起を見せながら、今やコロナを話題に挙げる学生は誰一人居ない。こうして僕の世界滅亡の夢はベッドから転げ落ちるように眼を覚ましてしまった。
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