第4話


 夜と朝の繋目を焦がしたビスケットなどと形容するのは行き過ぎだろうか?あの時々刻々それでいて甘ったるく嫋やかに移ろいゆく空模様は、一つの西洋菓子の凸凹のある焼き加減と似ているのだ。半分溶けた街の景観に、心臓の底に揺蕩う感情も感応をする。私は此の無際限に広がる未明の空間の境涯へ目を凝らす。もちろん”無限”という単語が内包する通りに大空の距離は”無限”なのである。だからどこまで行っても果てはない。漠然とした色素の奥行が続いていく。けれども私の視線が空を下降して街並みに落とされたとき、きっと無限は有限に紐付けされる。平凡な日常生活を彩る人巻きの管を教示する。地上に下ろされた二本の素足と、不定期に湧出する畏れや信心。どちらかが欠けてもいけないのだね。実際家であって夢想家であって。瞬間を愛することを止めた時、全体も又愛せないのならば。


 

 一番遠回りのことをやってご覧。其れが"有限"を"無限"に結びつける一つの手段なのだから。などと言って私は冷えた外気に嘆息してみる。日の出直後の朧げな雰囲気は、人間をnostalgicでsentimentalな気持ちに変える触媒作用を持つのだね。有限をコツコツと積み上げれば無限に到達するという仮説。そして最も遅く山頂に到着したbegginerという像。全ての私たちが作成した仕事は発展途上である。其れを少しでも仕上げるために毎分毎秒を生きているのだと思う。例えば、其れは高層ビルの屋上から一人の少女の掌を伝い舞い落ちる黄色い花弁。何回繰り返しても悲しみが色褪せない物語や小説。ただ不合理に夜空を見詰めた冬。一日の断片が私の内腑で醸造されている。そして其のうねりを可能な限り同地点に留めたいのだ。現代の世界情勢の奔流,延いては一個人の内部で醸される日々の思想の変遷に於いては、どれほど微弱であったとしても巨大・強大な変化であって然るべきなのだ。だから変化自体を其の儘押し留めることは物理的に不可能だと知っている。其れならば私はこう考えてしまう。少なくとも”変化を知覚したという記憶”だけは心臓に残して置きたい。希望の問題だ。信仰の問題だ。祈祷の問題なのかもしれない。

 

 

 天空の重さに耐えられなくなった水滴が一滴一滴地上へ落下する。其の一箇の音響を自分は胸の内側の敷布に反響させる。軟弱であるが故に確実な道しるべ。そう、だからたった一つの単語を覚えるだけで、たった一シラブルを発音しただけで暮れ泥む日があったとしてもいいのだ。何事も簡便に決済される時代。其の最中に於いて私たちの日々は完結しない。本当は何もかも忘れてししまいたいのかもしれない。悲しみも苦しみも。喜びも慈しみも。けれど未だ判定が下されていないならば、評決に猶予があるのならば、例え不完全な感情でも認めていたいのだ。何故ならば、その先に或いは平行線上に本質的な”愛”が存在すると信じたいから。

 

 

 私が一番最初に書いた小説。其れはA4ノートの余白に書き込まれた、短編と呼ぶには餘に文字数が少なく、また同時に感傷と自己主張に塗れた全く体裁の整わない落書きだったのだ。其の小説に於ける主題はたった一つ、”真実なる愛情”という台詞だけだった。何も変わらない。何も変わらない。”真実”と記した墨痕だけでは旧態依然の世界だ。何かを変えることを願って筆を握りしめた小説は甘いから。何も変わらなくても耐え得る冷涼な土壌を耕すから。数年後、私は幼稚で我儘な小説を屑籠に入れた。


 

 もう既にこの瞬間が小説の内側に湾曲し始めた。不思議だね。今の時刻は?時計の分針。デジタル表示。話をstartlineに修正しようか。camomille tea の深い霧だ。気怠さを大気圧に押し包んで、懇ろに夢想している。其の頃の私の癖は、息詰まると深夜の公園に立ち止まってじっと欅の木の裏側を下から見上げていた。其の意味を澄んだ肉声で発声できるのは、様々な経年の輪転が噛み合ったから。自分の皮膚の表面に酸化した猜疑心や羞恥心、自尊心等が一枚一枚落剝する中途だから。「美しい」という言語の表明にさえ多大なenergyを要するのだ。いや寧ろとても無垢な理論だからこそ全精神に肉薄するのかもしれないね。人生はどれ程取り零したとしても、決して本人を見捨てたりしない。きっと此の大きな社会で生かされていて……。それでは本質的に自己の根柢を嫌ったり、世界を嫌ったりはできないのかな?ええ。”心”が在る限りは………。無知なままでいい。世間知らずでもいい。其れを若しも”取り零す”と形象化するのならば、”取り零し”てなどいないのだから。”下手”なものを”下手”な儘結晶化する術を。明るさ。クリームの内層に溶け込む微笑みを。


 

 大学生の時に読んだ小説はhenry millerの『北回帰線』。どのページから読み始めても読み終わっても物語の進行に遜色はない構造を成す。当時の飽きっぽく粗雑な私には丁度良い読書経験だったのかもしれない。読み終えた時、私は其の熱い文面から或る一つの氷塊を取り出した。


       ”25時間を超えた提言は未だなされたことがない。”


 此の隻句が私の頭上に飛来したんだ。『北回帰線』との関連付けは史実的には為されていない。しかしhenry millerの向けた顔の方角と、心に想起したこの一文は合致することが自然に感じ取られた。25時間を超えた提言はする必要が無いのだ。人間にとって。


 

 死後の世界はあるのだろうか?映画を観ていてふと思い付く。信じる気持ちが半分。信じない気持ちが半分。信じてみたいという気持ちがちょっぴり。私の祖母が幼い頃に人魂を見たらしい。其れを聴いて、私は素敵な話だと思った。





 


 

 「大丈夫。


 此れは愛情じゃないから。

 

 自己満足だから。

 

 自己満足を通り越して哀しみだから。」

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