残念な大人が実在する 8


 福井ふくい教諭と香川かがわ教諭は、他の教員や教頭にも流石さすがたちの話を伝えずにいてくれた。

 前もって伝えてしまえば、教頭が個別に数本かずもとの話を聞く程度で、流石たちが問い詰めるチャンスが無くなっていたかも知れない。

 早々に昼食を済ませた教員たちは職員室の席につき、一番奥の大きな机に座る教頭に目を向けている。

 普段は保健室にいる養護教諭の福井も、職員室の隅に席がある。2年生の副担任でもある数本は、2年生の担当教諭たちと机を並べていた。

 窓の外からは昼休みを楽しむ生徒たちの、賑やかな声が聞こえている。

「えー、それでは、昨日、1年1組の奈良なら君と2組の栃木とちぎ君が病院に運ばれた件についてですが」

 教頭が話し始めると、養護教諭の福井が手を上げた。

「その件について、新しくお伝えしたいことがあります」

 そう言って立ち上がり、福井は職員室の扉を開けた。

 廊下では、流石と景都けいとが待っていた。

「入って良いわよ、ふたりとも」

 小難しい表情をしている教頭に、福井は、

「昨日、奈良君が階段から落ちる様子を見かけたそうです。犯人と思われる人物の姿も見ています」

 と、話した。

「犯人て、変な噂を流しているのは君たちか。奈良君が階段から落ちたのは事故だ。そもそも――」

「彼らの話を聞いてから判断してあげてください」

 教頭の言葉を遮り、福井のよく通る声が言う。

「……会議中だから手短に話したまえ」

 渋々という様子で、教頭は流石たちに言った。

 教員たちの視線が流石と景都に集まる。

「俺たちは生徒会室の前の廊下から、奈良が落ちたのを見たんです。階段の踊り場の窓越しに。踊り場から3階に上がる階段の途中に、数本先生が座ってました」

 流石が話すと、教員たちの視線が数本に向いた。

 数本は何も言わず、半分ニヤけたような表情で流石と景都を眺めている。

「階段に座って何してるのかと思って見てたら、2階から奈良が上がって来るのが見えました。でも、奈良が後ろに倒れるみたいに見えなくなって、落ちたのかと思ってたら、数本先生はガッツポーズして下りて行きました。だから、落ちた訳じゃなかったんだろうと思って、ゆっくりそっちの校舎に戻ってたんです」

 流石は、不思議屋の水盆すいぼんで見た階段の記憶を思い出しながら話した。

「ガッツポーズなんかしてないよ。落ちたのが聞こえたから急いで駆け下りたんだ。奈良と栃木を保健室に運んだのは僕だからな。急いで腕を振って階段を下りたのを見間違えたんだろう」

 数本が言い訳を始めた。

 流石は予想通りと思っていたが、景都は、正直に言わない数本に悲しげな表情を向けている。

「階段に座って何してたんですか」

「ゴミを拾ってたんだ」

「俺たちが、奈良が落ちた階段まで戻って来た時も、ゴミを拾ってたんですか」

 と、流石が聞くと、数本は少し間を開けて、

「戻って来た時?」

 と、聞き返した。

「キョロキョロしながら人目を気にするみたいに、階段に貼り付いてたものをベリッて剥がして、丸めてポケットに入れてた」

「ゴミだよ」

 ニヤけた顔を変えずに数本が答える。福井が、

「奈良君が落ちた原因かもしれないのに、ご報告がないですね。そのゴミは何だったんですか」

 と、聞いた。

「いやあ、それは思い付きませんでした。踏んで転げ落ちるようなものじゃなかったと思うけどなぁ」

「どんなゴミですか」

 と、福井が聞く。

「ゴミなんか覚えてませんからねぇ……小さい紙屑かなんかじゃなかったかなぁ」

 わざとらしく首を傾げる数本に、流石は、

「でかいテープに貼り付けられてた、オレンジ色の丸い物でした。大きさはピンポン玉くらいで、貼り付けてたテープをベリッて剥がす音も聞こえたし、それを丸めてポケットに押し込んでるのも見ました」

 と、続ける。

「あっ、そうだ。ガムテープだ。うん。踏ん付けてどうこうなることは思い付かなかったけど、ガムテープが貼り付いて汚かったから剥がしたんだよ。それを丸めたから、ピンポン玉みたいに見えたんだろう」

 階段の記憶の中にガムテープなど登場していない。

 しらを切り続ける数本に、景都は目を潤ませながら、

「コソコソしてるみたいで気になったから、階段を下りてく数本先生の後をついてったんです」

 と、言った。

「何がコソコソだ。見間違いでも言っていい事と悪い事があるだろう」

 などと、数本は偉そうに言う。

 とうとう景都は、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。近くにいた教員たちが心配そうな顔を向けている。

「見間違いじゃありません。ピンポン玉は何個かのセットで売ってるもんだ。新しいピンポン玉が、先生の机から出てくるんじゃありませんか」

 と、流石が言った。

 水盆の様子にはなかったが、不思議屋の老婆に追加で聞いていた話だ。

 数本の机の隣で、徳島とくしま教諭が、

「数本先生……さっき、ピンポン玉を」

 小声で言いかけたが、数本は睨み付けながら、

「余計な口をきくな!」

 と、大声を出した。これには教頭も眉を寄せ、

「数本君、言葉に気を付けたまえ」

 と、呆れたように言う。

 若い女性教諭の徳島も、呆れたような困ったような表情をしている。

 残念な大人が実在している。

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