兄、駿河 4

 ひんやりとした空気の中、暖かい風が流れている。

 日ごとの寒暖差も大きく、季節の移り変わる時期だ。

 学校の帰り道。

 雑木林の横を、3人は傘を差して歩いていた。

「こういうのって……身内だけどさ。これでいいのか? 警察とかに言わなきゃいけない事じゃないのかな」

 と、流石さすがが言った。

「証拠写真、撮っちゃってるね」

 と、景都けいとも呟く。咲哉さくやは薄暗い林の奥を眺めながら、

「警察沙汰になったら身内による虐待なんて事になって、駿河するがさんにやたらな人目が向くぞ」

 と、話した。

「……そんなの、具合がますます悪くなっちまう」

「その通り。これ以上続くようならともかく、身内とは言え、守りたいのは加害者側じゃなくて被害者側なんだからさ。わざわざおおやけにしなくても良いじゃないか」

「うん。そうだな」

「きっと、流石のお母さんが上手く伝えてくれたよ」

 静かに頷く流石の手を、景都がそっと握った。



 病院の窓の外を、さらさらと霧雨が舞っている。

 北区総合病院1階の売店で、咲哉と景都は差し入れを選んでいた。

「俺の親戚にオネエの人がいてさ。多少スキンシップは激しいけど、別に俺は嫌じゃないんだよ。ちゃんと相手に合わせてくれてるって言うか、俺が引くような事は絶対しないんだ」

 と、咲哉が言う。

 咲哉が適当に選んだ飲み物を、景都の持つカゴに入れていく。

 カゴを持ちながら景都は、

「自分勝手はダメだよね。相手に合わせるって、相手を合わせさせるってことじゃないもん」

 と、言う。

「うん。本当だね」

 咲哉は景都の髪を撫でた。「景都はなに飲む?」

「あ、桃のジュース」

「オーケー」

「あ、自分の僕払うよ」

 と、景都は言うが、咲哉はレジに向かい、

「俺が買うからいいよ。でも上まで持ってってくれるか」

 と、笑った。

「うん」

 売店の奥の窓から薄日が差している。

 もうすぐ雨は止みそうだ。


 ひとりで病室へやって来た流石の表情で、兄の駿河はすぐに気付いたらしい。

「見られたか」

 と、駿河は肩を落とした。

 流石は無言で頷いた。

「午前中、母さんが来たよ。詳しく教えてくれなかったけど、美加さんはもう来ないって」

「俺が来るよ」

「それは楽しみだ」

 駿河はにっこりと笑った。

「なんで母ちゃんに言わなかったんだよ」

 流石が言うと駿河は片手を伸ばし、流石の短髪を撫でた。

「まぁ、それで伯母さんが救われてるなら良いのかなと思ってたんだよ。俺に出来ることなんて少ないからさ」

「じゃあ俺に算数教えてくれよっ、まちがえた数学!」

 と、流石は力強く言った。

「……そのくらい構わないけど、数学苦手なのか?」

「だいたい……全部の教科苦手だけど」

「全部?」

 病室の扉がノックされ、景都と咲哉が顔を出した。

「流石、声大きいよ」

「ジュース買ってきた」

「ふたりも来てくれたのか。こんにちは」

「こんにちは!」

 景都は、ジュースの入ったビニール袋をベッド横の棚に置いた。

 薄いカーテンの向こうから、夕方の日差しが届き始める。

 雨は止んだようだ。

「新しい中学の勉強って難しいのか? 母さんからは、あんまり小学校の通知表も良くないって聞いたことはあったけど」

 駿河に聞かれ、景都が嬉々として、

「流石はすごいんだよ! 小学校の通信簿で、右から順番に1,2,1,2って行進みたいな時があったんだよ」

 と、答えた。

「行進……」

「この前やった入学初期学力テストってやつの総合順位は、俺が上から5位だった時に下から5位だったよな」

 と、咲哉も笑いながら言う。

「――!」

 これには駿河も驚きの表情を見せた。

 流石は口を尖らせている。

「中学は勉強をする場所だと実感したぜ。英語も単語の小テストばっかやるしさ」

「小学校では生徒会長だったんだろ? 勉強できなくはないんだと思ってたよ」

 と、駿河は目をパチパチさせながら笑っている。

「成績で選ばれた訳じゃねぇもん。それに行事とかで言う事は咲哉が書いてくれてたんだ」

 片手をひらつかせて咲哉が、

「副会長でした」

 と、答えた。

「俺の勉強はここでできる通信教育だったから、普通の中学の内容とは少し違ってるかもしれないけどな……うん。そういうレベルなら、俺に教えられることは色々ありそうだ」

 駿河はそう言って、明るく笑っていた。



 ――その夜。

 駿河が目を覚ますと、開いているベッドに半透明の若い女が腰かけていた。

「シズさん」

 ベッドに起き上がり、駿河は半透明の若い女に声をかけた。

『残念。お迎え、遠退いちゃったみたいね』

 ほわほわした声で女が言う。

「弟のおかげです」

『よかったわ。心配してたのよ』

「シズさんには、お迎えよりお見舞いに来て欲しかったな」

『これから、弟君たちが元気を運んでくれるわ』

「はい」

 半透明の若い女は、腰掛けた空きベッドのシーツを撫で、

『ふた晩だけだったけど、このベッドもなんだか愛着がわいちゃったわ。最後に覚えている場所だからかな。でも、もう逝かなくちゃ』

 半透明の若い女はふわりと立ち上がると、駿河のベッドのそばにやって来た。

 女性用の病室が足りず、駿河とふた晩だけ相部屋になった女だ。

 その後、亡くなっている。

『シートベルトを締め忘れた時に限って事故を起こして、顔は包帯を巻かれてたのに、どうして私が若い女だってわかったの?』

「今と同じ姿が、体から出かかってました」

『ふうん。死ぬ間際の人間ってそんなふうに見えるのね』

「人によりますけどね」

『その体質が、あなたの体調に影響してるのよ』

 言われて駿河は苦笑して見せる。

「まぁ、俺の場合はそうですね」

『もう行くわ。元気でね』

「シズさんも気をつけて」

『ありがとう』

 空気に解けるように、若い女は姿を消した。

 見送っていた駿河は、棚に置いた写真立てに目を向けた。

 流石たち3人が写る卒業式の写真だ。

 3人の笑顔につられるように、駿河は優しい笑みを向けていた。

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