兄、駿河 3

 駄目元で3人はもう一度、不思議屋へやって来ていた。

 薄暗い店の中、老婆は手元の水盆すいぼんを見下ろしている。

 流石さすがが真剣な面持ちで老婆を見つめている。

 白狐の笹雪ささゆきを抱っこしている景都けいとと、咲哉さくやも老婆の言葉を待っていた。

「体質は治せんが、最近の体調不良の原因なら取り除けそうだね」

 と、老婆は水盆から視線を上げて言った。

「原因ってなんだよ」

「伯母の美加みかだよ」

「……は? さっき、見舞いに来てたけど」

 流石が、いぶかしげな顔で首を傾げた。

「それほどが強くはない。知れれば引っ込む程度だ。だが荒立てればこじれる」

「だから、なんのことだよっ」

 食ってかかる流石の後ろで、咲哉がスマホのレンズ側を老婆に見せた。

 老婆は頷き、

「明日の午後3時、病室の外から覗いてごらん」

 と、言った。

「学校が終わってからじゃ間に合わないよぉ」

 と、景都が言う。

「いや、学校から直でタクシーに乗って行けば間に合うよ。すぐ乗れる時間に、俺がタクシー呼んどくよ」

 と、咲哉はもう一度スマホを振って見せた。



 その日は雲が厚く、廊下の窓から入る日差しのぬくもりも少なかった。

 入院棟はひんやりとして静かだ。

 駿河するがの病室は、若年層の入院階の一室だった。

 午後の回診なども終わり、入院階には廊下を出歩く患者の姿もない。

 個室の扉は、縦長の覗き窓がついたデザインだ。

 ちょうど午後3時になった。

 足音を抑えて病室の前に来た3人は、不思議屋の老婆に言われた通り、扉の窓をそっと覗き込んだ。

 駿河は、枕に背を預けて座っていた。そのベッドに、伯母の美加も腰掛けている。

 美加は駿河の肩を撫で、身を寄せた。

 視線を落とす駿河の口に、美加がそっとキスをした。

 頬を撫で、視線を覗き込むと、もう一度唇を合わせる。

 廊下の暖房なのか、生暖かい空気が流れていた。

 咲哉に袖を引かれるまま、流石と景都は入院棟の階段ホールまで戻って来ていた。

 患者が行き来することの少ない階段には暖房もなく、逆にひんやりと冷たく感じる。

「そういう事だったんだな」

 と、咲哉が頷いている。

「……今のって」

 呆然としたまま、景都が呟いた。

「いやいや、なに逃げてんだよ。止めねぇと」

 と、向きを変える流石の腕を掴み、咲哉はスマホの画面を見せた。

 先程の瞬間。美加が駿河にキスしている場面が写されている。

「なにしてんだよ、お前」

「これがどういう意味でも、俺が兄貴なら弟には見られたくないよ」

「……」

「婆さんが言ってたのはきっと、これが駿河さんの体調不良の原因ってことだ。荒立てればこじれるって言ってたろ。これごと持ってって良いから、なにも言わずお母さんに見せろ」

 と、咲哉は流石にスマホを差し出した。

 流石はスマホを受け取ると、

「先帰る」

 と、言いながら階段を駆け出した。

 その場に残された咲哉は、まだ呆然としている景都の背を促し、

「俺たちも帰ろう」

 と、階段を歩き出した。

 景都も小さく頷いて歩き出す。

 雲が厚くなり、もうすぐ雨が降り出しそうだ。



 伯母の美加は、流石と駿河の母親、彩加さいかの実姉だ。

 甥である駿河の入院する病院へ、ちょくちょく通って来ては勝手に世話を焼いていたらしい。

 レンガ造りの喫茶店は、冷たい雨のせいで客足が少ない。

 窓ガラスに、吹き付ける雨が流れ続けている。

 彩加は、姉の美加を近所の喫茶店に呼び出していた。

 彩加は活発な印象の女性だ。さらりとしたセミロングの黒髪を耳にかけている。

 重い表情をしているが、待ち合わせの席にやって来た美加よりもずっと若々しく見える。

「急にどうしたのよ。こんな天気に」

 席に座った美加に、

「姉さん、これを見て」

 と、彩加は、自分のスマホに転送した例の写真を見せた。

 美加は画面を覗き込んで眉を寄せ、

「……なによ、この合成写真」

 と、声を尖らせた。

「駿河から聞き出したわ」

「なにを」

「姉さんがそんなに病院に来てたこと、わたし知らなかったわ。駿河が黙っていたのは、そういうことだと思うの。駿河のことを気にしてくれるのは嬉しいけど、もう二度と病院には来ないで」

 落ち着きながらも、強めの口調で彩加は言った。

「そんな写真、なにかの間違いよ」

「ええ、もちろんよ。でももう病院には来ないで。駿河の所には、私や流石が行くから」

「そう」

 わざとらしく溜め息を吐き出すと、美加は注文をすることなく席を立った。その後ろ姿を、彩加が目で追う。

 カツカツとヒールの音を鳴らしながら、喫茶店を出て行く美加は不機嫌そうな表情だった。赤い傘を広げ、その姿はすぐに見えなくなる。

 まだ雨は止みそうにない。

 一歩遅れたウエイトレスが、彩加の残る席へやって来た。

「あの、お連れ様は」

「ごめんなさい、ちょっと立ち寄っただけだったんです。えっと、レモンティーをもう一杯もらえます?」

 と、彩加はお代わりを注文した。

「かしこまりました」

 ウエイトレスに作り笑みを向けていた彩加は、スマホ画面に視線を落とすと、眉間にしわを寄せて息をついた。

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