兄、駿河 2


 大きな窓に薄いカーテンが引かれている。

 手前の横壁際に空いているベッドが置かれ、奥の明るい窓際に駿河するがのベッドがあった。

 膝の上の本を閉じて棚に置くと、パジャマ姿の駿河は笑顔で3人を迎えた。

「兄ちゃん。あの、友だち」

 流石さすがが言うと、景都けいと咲哉さくやはぺこりと頭を下げた。

「こんにちは」

 痩せた青年だが、落ち着きのある笑顔は目元が流石とよく似ていた。

 駿河はベッドに歩み寄る3人を眺め、

「学ラン、似合うじゃないか」

 と、言った。

「みんな、制服に着られてるって言うよ」

「そんなの、すぐに馴染んじゃうよ」

 駿河は流石の学ランの袖を撫でた。

「なんか、久しぶりになっちゃって……えっと制服、見せに来た」

 と、流石は言った。

 入学してからいくらも経っていないが、流石の制服はすでにしわだらけだった。だぼだぼの景都の制服とも、サイズを合わせて仕立てられた咲哉の制服とも印象が違うから不思議だ。

 青白い顔ながら、駿河は明るい表情で3人を眺めている。

「そっか。もう中学なんだよな」

「うん」

「友だちを連れて来たのは初めてだな。あぁ、でも、小学校の卒業式の写真に写ってたふたりだね。母さんに見せてもらったよ」

「富山景都です!」

 と、景都が名乗ったので、咲哉も、

「栃木咲哉です」

 と、名乗った。

「よろしく」

「前からひとり部屋だったっけ?」

 長期入院のためか、窓際の駿河のベッド横には、戸棚や小さいテレビが置かれている。ベッドの柵には、スライド式のテーブルも備え付けられていた。

「二人部屋なんだけどさ。怪我とか急病で短期入院の人が、時々そっちのベッドに入るんだよ」

 と、駿河は壁際の空きベッドに目を向けた。

「へー」

「この前は、若い女の人が入ってたんだよ」

「え、男女で分かれてないの」

「普通は別々なんだけどさ。たまたま病室が足りなくて、ちょっとだけだからって。ふた晩だけだったけど、気まずいからこっちのカーテンも閉めっぱなしだったよ」

 と、天井から下がるベッド回りのカーテンを指差して笑った。

 ベッド脇に置かれていた丸椅子をふたつ持ってきて、景都と咲哉が座った。流石は駿河のベッドの足元に腰掛ける。

「ほとんど一人部屋状態の二人部屋なんだね。病院の夜とか怖くない?」

 と、景都が聞いた。

 駿河は景都のふわふわな髪を撫でた。

「周りの部屋には他の患者さんが寝てるし、看護師さんの見回りも来るし、別に怖くはないよ」

「病院の怖い話とかないの?」

 と、流石が聞いている。景都が、

「やめてよぉ……」

 と、口を尖らせた。

「はは、そういう話はぜんぜん聞かないんだよなぁ。そこの廊下さ、突き当たりが曇りガラスになってるんだけど、上の階はガラスが透明で夜には月が見えるんだよ。この前、夜中に月を見てたら急に子どもの声がしたんだ」

「子ども?」

「そう。上の階は廊下の突き当たりの横が、入院患者用の休憩スペースになってるんだ。そこで、1歳とか2歳くらいのよちよち歩きの子どもだけ十人くらい、うろうろして遊んでたんだよ。看護師さんとか保護者みたいな大人は誰も居ないし、キャッキャしててうるさいんじゃないかと思っても、次の日には誰もそんな話はしてないんだよなぁ」

 楽しげに話す駿河に、3人は目をパチパチさせている。

「……」

「……」

「あと、これも夜中だけどさ。赤ちゃんを抱いた女の人が5人、縦一列に並んでそこの廊下を歩いてたんだ。みんな同じ黒い服を着て、結構な速さで通り過ぎてったよ。でも、やっぱりそういう人たちが歩いてたって話は、他の患者さんたちからは聞かないな」

「……産婦人科の人たちかな」

 と、景都は聞いてみた。

「あぁ、そうかもな。赤ちゃんを抱いて暗い道を歩く練習とか」

 と、駿河は笑っている。

 この人なりのジョークだろうか。それとも……。

 咲哉はどんな反応をすべきかと考えたが、つっこみは実の弟にまかせようと、流石に視線を送った。

「なあ、それって――」

 流石が駿河に聞き返そうとした時だ。

 病室の戸をノックする音が響いた。

 シックな紫色の、ワンピース姿の中年女性が顔を見せた。

「あら、流石君?」

「え、伯母さん?」

 中年女性は、慣れた様子で駿河のベッドの奥まで行き、ハンドバッグを棚の上に置いた。

「しばらく来なかったんじゃない?」

「……あ、うん」

「最近、駿河君あんまり具合良くないのよね。聞いてるでしょ?」

「母ちゃんに聞いたけど」

 軽く頭を下げて会釈えしゃくする咲哉と景都にちらりと目を向け、

「病院は賑やかにお友だち連れてくる場所じゃないわよ」

 と、女性は溜め息交じりに言った。

「流石は病院で騒いだことないですよ」

 と、駿河は言うが、流石は少し気まずそうに、

「あ、じゃあ兄ちゃん。俺たち帰る。また来るから」

 と、立ち上がった。

「そっか。気をつけて帰れよ」

「うん」

 景都と咲哉がもう一度ぺこりと頭を下げ、3人は駿河の病室を後にした。



 流石と駿河の伯母、美加みかは景都と咲哉の座っていた丸椅子を、少々大げさな様子で片付けていた。

「流石は学ランを見せに来たんですよ。ついでに友だちも紹介してくれました」

 駿河は肩を落としながら言っている。

「駿河君は学ラン着られた事ないのに、わかってるのかしら」

「流石のランドセルは俺のお下がりだったんですけどね。中学の制服は流石のを買ってもらえたんですよ」

 駿河が話しても、伯母の美加は気にせずベッドに腰掛けた。

「さ、それより着替えましょ。体を拭いてあげるわ」

 と、ハンドバッグの中から制汗用の汗拭きシートを取り出した。

「看護師さんがやってくれますよ」

 と、言ってみるが、

「だめよ。確かに看護を勉強したプロなんでしょうけど、人数をこなすせいで一人ひとりが粗雑そざつに扱われてる気がするのよね」

「……」

 駿河は、美加の手が伸びる前に自分でパジャマのボタンを外した。

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