第17話 二代目職人
翌日、わたしはボニーさんを連れて、マルティン様が経営する病院の病室へと足を運んでいた。
昨日は大丈夫と言われたけど、念の為もう一度診てもらった結果、大事を取って数日入院する事が決まったの。
「それじゃボニーさん、わたしは帰りますね」
「ええ。付き合ってくれてありがとねぇ」
「これくらい当然の事ですから!」
微笑むボニーさんと別れたわたしは、一度小屋に帰ってボニーさんの荷物をまとめ始める。数日の入院とはいえ、必要なものはあるからね。
「えーっと、マルティン様から事前に聞いてきたものは、これで揃ってるかな」
目の前に用意された荷物と、マルティン様から貰った書類を交互に見てから、わたしは頷いた。
これで忘れ物はないはず――そう思って少し気が抜けたのか、わたしはふと小屋の中をぼんやりと見つめた。
小屋の中には、当然誰もいない。今まであった優しいボニーさんの笑顔もない。
「会えないのは数日のはずなのに……こんなに寂しく思っちゃうものなのね」
寂しくてまた泣きそうになったけど、わたしはほっぺをパシンッと叩いて気合を入れた。
「駄目だぞわたし。こんな顔をしてたら、ボニーさんがゆっくり休めないよ。それに、引退した後はわたしが頑張らないといけないのに、今からこんなんでどうするの」
意気込みを新たにしたわたしは、病院へと戻っていった――
****
「はぁ……」
ボニーさんが入院した日の翌日、する事がないわたしは、小屋で一人溜息を漏らしていた。
いつもなら作業を始めている時間だけど、運営ができるボニーさんがいない以上、今のわたしにはどうする事もできない。
「ボーっとしてると、嫌な事ばかり考えちゃう」
ボニーさんがもう病院から戻ってこなかったらどうしよう。引退する以上、わたし一人でやってかないといけないんだけど、本当にやっていけるのだろうか。他にも色々と、嫌な事が頭を過ぎる。
「……リュード様……」
参ってしまったわたしの中に浮かんだのは、リュード様の顔だった。あの人だったら話を聞いてくれるだろうし、良いアイディアをくれるかもしれない。それに、すごくあいたいもん。
……命を助けてもらった時から頼りっぱなしで情けないけど……わたしには、リュード様に頼るしか道が無かった。
「この前の事のお礼を言わなきゃだし、現状の報告もしないとだもんね。そのついでに話を聞いてもらおう。いつもの所にいるかな……」
すがる思いで、わたしは小屋を出発してあの滝へと向かう。今まで散々楽しみだった滝への道が、今ではとても憂鬱で重い道のりだった。
『おいで……』
『僕達と遊ぼうよ』
「この声……! もしかして、あの滝の……!?」
森に入ってから間もなく、周りには誰もいないはずなのに、何人もの声が聞こえてきた。
この声には覚えがある。あの滝に住む亡霊達の声だ。つい最近まで、滝への道のりで聞こえる事は無くなってたのに……それくらい、わたしの心が弱っている事だろう。
「うぅ……負けないんだから! あなた達の誘惑には乗らないっ! だから静かにして!!」
強い気持ちを持ちながら、わたしは思い切り声を張る。すると、亡霊達の声は聞こえなくなった。諦めたのだろうか……?
「ふぅ……あ、よかった……いた!」
なんとか滝にまでやってきたわたしの前には、いつものように釣りをしているリュード様の姿があった。その姿を見るだけで、わたしの心は幾分か軽くなった。
「リュード様ー!」
「…………」
「あれ、聞こえなかったのかな……」
手を振りながら声をかけたけど、リュード様からは何の返事も無かった。
おかしいな、いつもここから声をかけたら気が付いてくれるのに……何か考え事をしてるのかもしれない。
「リュード様ー?」
「…………」
「リュード様ぁぁぁぁ!!」
「……はっ。あれ、セレーナ?」
近くに行ったうえで、大声で声をかけてようやく気付いてくれたリュード様は、少し驚いた顔をしながら、わたしに視線を移した。
「ごめんよ、ちょっとボーっとしてて……」
「そうだったんですね。その、この前のデー、デデ……お散歩楽しかったですね!」
「ああ、楽しかったね。デート」
「言い直さないでくださいよぉ!」
「あはは、ごめんよ。それで、彼女のその後はどうだい?」
「念の為、検査入院になりました。数日で帰ってこれるそうです」
「そうか。思った以上に酷いものじゃないんだな」
「ただ、腰も弱ってるし、引退した方が良いって言われちゃって……」
「それは……残念だね」
ボニーさんの引退の話が出た途端、わたしは顔を上げる事が出来なくなってしまった。未だに、ボニーさんの事が受け入れられていないのだろう。
「セレーナ」
「ふにゃあ!」
「大丈夫だよ」
「あっ……」
リュード様に突然抱きつかれたわたしは、変な声を出してしまったけど、すぐにリュード様の冷たい体に包まれて、落ち着く事が出来た。
「とにかく、彼女が助かってよかった。命はもちろんだけど、大切な技術をしっかり後継者に継がせられるだろう?」
「それって……わたし?」
「他にいなさそうだからね。君が望むなら、あの店の看板を受け継ぎ、二代目の職人セレーナになるんだ!」
二代目職人・セレーナ――
行ってしまうのは簡単だけど、実際にやるとなったら大変だろう。責任者になる以上、責任はすべて自分が持ち、お客との交渉も自分でやって、道具も全部自分で揃えて、仕事も一人。
考えるだけで目が回りそうだ。
それでも、わたしはあの思い出の小屋の看板を下ろしたくない! ボニーさんの技術力を後世に残したい!
そうだよ、落ち込んでる暇なんて無かった! ボニーさんにしっかり休んでもらいながら、必要な事を教わろう! やった事がないものにチャレンジしよう! ここからが……わたしの本当の幸せという名の夢を掴む為の、新たな一歩にするんだ!
「ふふ、吹っ切れたみたいだね」
「はい。すべてはリュード様のおかげです!」
わたしは、恩を伝えようという意を込めて、リュード様の背中に腕を回す。つまり、完全にハグしてる状況になっているというわけだ。
……自分でやっておいてだけど、恥ずかしすぎて顔から火が出そう! 今なら火の魔法が使えるかも!?
「ふーっ……ふーっ……我慢だ僕……」
「ど、どうかしましたか?」
「気にしないでいい。これは僕自身の戦いだ」
「は、はあ……??」
よくわからないけど、自分と戦うって……なんかカッコいいかもしれない。凄い魔法使いだと、こうやって自分と戦い、自分と向き合うのだろうか? それにしては、鼻息が荒いし、顔も真っ赤だけど……大丈夫なのかな?
そんな事を思っていると、例のあいつらがわたし達の邪魔をしてきた。そう、亡霊達だ。
「邪魔な亡霊だね……さっそく退場を……くっ!」
「リュード様!?」
「すまない、魔力が……この前のデートで使いすぎてね……」
「えぇ!? ど、どうしよう……!」
ずっと抱きしめてもらっていたわたしが、逆にリュード様を支える立場になってしまった。その体は相変わらず氷のように冷たくて、以上に軽かった。
『ワレワレト ヒトツニ』
『コノヨハ クルシミノミ』
『イッショニ アソボウ』
「亡霊……それは現世がつらくて亡くなった人達が、怨嗟と共に現世に残る異形。それなら……おねがいみんな、わたしのこの気持ちを……受け取って!」
わたしは、ちょっぴり幸せで素直になる魔法を使って生み出した光を、襲い掛かってくる赤いボコボコした泡に入れる。すると――
『ナンダコノヒカリ……アタタカイ……ア、ああ……心が洗われるようだ……お前……俺、どうしてもつらくて、お前がいないのが耐えられなくて……でも、もういいよな……そっちで……一緒になってもさ……ああ、愛する妻よ……』
赤いボコボコしたものの一つは、わたしの光に導かれるように、天高く消えていった――
「すごい……まさか、この地に縛られている亡霊を、天に召させたのか?」
「わ、わたしには、なにがなんだか……」
『マズイ』
『ニゲヨウ』
まるで脱兎の如く逃げだした黒いボコボコ。逃がしちゃったのはアレだけど、乗り越えられた事を今は喜ぼう
「君の魔法は、ここの亡霊を天に召す事が出来るようだ。これは思わぬ収穫だよ!」
「これで、もしかしてこの滝に縛られた人を助けられますか!?」
「すぐに全員とはいかないと思う。長い年月をかけて集められた亡霊の数は、かなり多いからね。セレーナの生活もあるから、長期的にのんびりやってもらえればいいよ」
もっともっといるのか。思わずビビりそうになっちゃったけど、これだってわたししか出来ない事なんだから、頑張るしかないよね!
「大丈夫、セレーナなら出来るさ。なにせ、僕がほれ――ごほん、認めた女性なんだから、何とかなるさ」
「リュード様……」
「なにかあったら、またいつでもおいで。なんならまたデートや雑談もオッケーだよ。見ての通り暇だからね。あはは」
いつもの様に、にへらっち笑うリュード様に釣られるように、わたしもクスクスと、口に手を当てて笑う。その頃には、さっきまで感じていた不安は、何処かに行ってしまっていた。
やっぱりリュード様って凄い……それに素敵。はうぅ……リュード様の事を考えると、顔の熱が全然取れないよぉ……。
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