第16話 引退
突然のマルティン様の言葉は、あまりにも衝撃的なものだった。だって、今までずっと元気に仕事をしていたボニーさんが、もう仕事が出来ないなんて、信じられない!
「仕事が出来ないって……そんなに酷いんですか!?」
「さっきも言ったが、ケガ自体は大した事ねえ。けど、元々ボニーの婆さんは腰が悪かった。今回も、腰の痛みで足から力が抜けて、転んで頭を打ったってとこだろうよ。そんな状態で、裁縫仕事を続けてみろ。次こそ取り返しがつかなくなるかもしれねえぞ」
「っ……!」
「まあ現場から離れるのは確定だ。だが、本人が運営のやり方をお前に教えたいって言うなら、もう少し一緒に入られるだろうがな」
さっきまでの気の抜けた、やる気のあまり感じさせない顔だった人と同じ人と思えないくらい真剣で低い声に、わたしは言葉を詰まらせた。
今回は、わたしが出かけていたとはいえ、見つけたのが早かった事や、打ちどころが良かったおかげで助かったけど、これがもし町からの帰り道で誰もいない所で転んでたり、作業中に機材にぶつけたりしたら……もっと大変な事になっていたかもしれない。
そう思うと……マルティン様の提案は、きっと正しいものなんだろう。でも、はいそうですかって受け入れられるほど、わたしは出来た人間じゃない。
「何か方法はないんですか!? 腰を良くする薬とか……!」
「無いな。あるなら俺がとっくに処方して飲ませてる」
「うぅ……そうですか」
「酷な事を言うが、現実ってのは非情なもんだ。あまっちょろい事を言ったって、状況はよくならん。お前はよちよち歩きのガキじゃねえんだから、少しでもボニーの婆さんにプラスになる事を考えろ。それを考える時間が、幸いにもお前には与えられてるんだからな。お前はまだいい方だぞ。酷い時は、朝行ってきますって言ったのが最後だったーなんて話もあるくらいだしよ」
フーッと煙草の息を吐くマルティン様。低く発したその言葉には、彼の人生による経験から来ているんだなと思えるほど、重かった。
「あー……悪い、言い過ぎたわ。詫びといっちゃ何だが、お前が望むなら、俺から婆さんに仕事を件を話すが?」
「いえ、マルティン様の言ってる事は間違って無いと思うので、お詫びはいらないです。それに、ちゃんとわたしから伝えます」
つらい事だけど、これはわたしがちゃんと話さなければいけない事だ。だって、唯一のお仕事仲間で、家族のような人の事だから。
――怖い。ボニーさんを傷つけてしまうと思うと逃げ出したくなる。でも、わたしは以前の弱いわたしじゃない。この小屋でボニーさんと話したり、リュード様と話して自信がちょっぴりついたわたしなら、きっと大丈夫……大丈夫!
「そうか。何かあったら、いつでも来い。それと、こいつを渡しておく」
「これは……ベル?」
「俺の患者で、家から出られない患者に渡してるベルだ。こいつには魔法が施されていて、鳴らすと俺に知らせが来るようになってる。もしボニーの婆さんの容態が変わったら、これを鳴らして俺に知らせろ」
ベルをわたしに手渡すと、マルティン様は肩に手を乗せながら、「がんばれよ」と小さな声で鼓舞してくれた。
「あーあ、すっかり酔いが覚めちまったぜ。帰って飲み直すか~……じゃあなセレーナ。お大事にっと」
急にいつもの気だるい感じに戻ったマルティン様は、馬に乗って小屋を後にした。
ふぅ……って、何一息入れようとしてるのよわたし。これからボニーさんの容体をちゃんと確認しないといけないのに!
「し、失礼しまーす……」
ゆっくりと、ボニーさんが寝ている寝室に入ると、ボニーさんは静かに寝息を立てていた。
よかった、わたしが思っていた以上に軽傷で済んでくれたんだね。本当に良かった……そう思ったら、ちょっと涙が出てきちゃった。
「んん……? ここは?」
「ボニーさん、起きたんですか!」
ボニーさんの看病をしようとしたら、まるでわたしが来た事に反応したかのように、ボニーさんはゆっくりと目を開けた。
「セレーナちゃん? 帰ってきてたのね。もう、帰りが遅いから心配したのよ」
「ごめんなさい。楽しくてつい遅くなっちゃて……」
「まあデートだし、遅くなるのはわかってたから気にしなくていいわよ。それで、楽しかったかい?」
「は、はい。って、わたしの事よりもボニーさんが!」
「あたし? そういえばさっき転んだような……頭も痛いわねぇ」
呑気に頭をさするボニーさん。ちょっと体から力が抜けちゃったけど、とりあえず大丈夫そうで安心した。
……さて、大丈夫とわかったところで、早くあの話をしないといけないんだけど……正直言いにくい。
「あのですね……さっきマルティン様が診てくれたんですけど」
「あら、マルティンが? あの酒好きな男が、こんな夜によく来てくれたわねぇ」
「確かにお酒は飲んでましたけど、事情を説明したら飛んできてくれました。それで……見てもらった後……えっと……」
「言わなくてもわかるわ。もう引退しろって言われたんでしょう?」
「…………」
あまりにも勘の鋭いボニーさんに、わたしは小さく頷く事しか出来なかった。こんな時、なんて言えばいいのか……わたしにはわからない。
「そう。ついにその時が来たのね。本当なら、死ぬまで裁縫を辞めたくなかったんだけど……歳には勝てないわねぇ」
「…………」
「ねえセレーナちゃん、この店は旦那と開いたものって前に言ったの、覚えてる?」
「はい……」
「旦那はもう死んじゃったんだけど、あの人の思い出が残ってるこの店を、少しでも続けたかったの。それに、嫁いでいった娘や孫の思い出もあるからねぇ」
ボニーさんは、天井を見つめながら、ポツリポツリと想いを語る。その目は、わたしが出会ってからずっと見てきた、慈愛に満ちた優しい目だった。
「そして、セレーナちゃん。あなたの為にも、もっと頑張らなきゃって思ったのよ」
「わたし……? どうして……」
「家族と一緒に仕事をしたいと思うのは、おかしい事かしら? あたしがいなくなった後、別の所でもちゃんと仕事をして生活が出来るように、側で色々教えるのは、おかしな事かしら?」
「っ……! ボニーさん……ボニーさぁん……!!」
ボニーさんの優しさが嬉しくて、でもわたしの為に無理をさせてしまっていたと感じて悲しくなってしまったわたしは、ポロポロと大粒の涙を流した。
「あらあら、そんな泣かないの。あなたは強い子なんだから、きっと大丈夫よ」
「わたし……もっとボニーさんに色々教わりたい……一緒にお仕事が出来なくても、少しでも一緒に長く過ごしたい……だって、血は繋がってなくても、わたしの大切の家族ですから……!」
こんな事を言ったら、ボニーさんを困らせてしまうのはわかってる。それでも、わたしはボニーさんの優しさに甘えて、想いを吐露した。
わたしは最低だ。わかっててこんな事をするなんて。それでも、ボニーさんは一切怒る事なく、わたしの頭を優しく撫で続けてくれた――
****
■リュード視点■
「……はっ」
どうやら分身が活動を停止したようで、本体の僕に意識が帰ってきた。
いつもの分身は小さいからなんとかなるんだけど、大きいものだと、魔力消費もさる事ながら、意識まで分身に持っていかれてしまう。それが消えたから、こうして戻ってきたわけだ。
変な魔法だが、そのおかげで、セレーナと一緒に楽しめるんだけどね。
「セレーナ、大丈夫だろうか……」
結局分身は、回復魔法で魔力を使い果たして消えてしまった。その際に、まだ眠ったままの彼女が言った言葉が……セレーナの名前だった。
彼女の言葉は、まるで自分に先が無いようで……そんな言葉を聞いた僕は、この身が朽ち果てるまで、セレーナを守りたいと思った。
だって……僕は彼女は好きだから。
あのデートの時、とても楽しそうに笑う顔や、サーカスで目を輝かせる顔、一緒に昼食を取った時に驚いた顔や、嬉しそうな顔、そして花火を見た時の、花火に照らされて、まるで妖精のように美しかったセレーナ。そんな相手に、惚れないわけがない。彼女は、世界で一番美しい! 断言できる!
それに、彼女はとても優しい心を持っている。優しいのはもちろん、気づかいが出来て、他人の幸せを願える。これ以外にも、素晴らしい所が沢山ある。本当に最高の女性だ。
でも、僕には人を愛する事は出来ない。元々の僕の立場に加えて、僕の現状が嫌な後押しをする。
「はぁ……ぜぇ……魔力を使いすぎた……頭が全く回らない」
元からわかっていた事とはいえ、想像以上にきつい。頭の中に霧がかかったみたいになってるし、眠くて眠くて仕方がない。
『オマエモ……ヨウヤクコチラニ……』
「誰が行くかよ。そこでお仲間と遊んでな」
まさか、亡霊達に勧誘されるくらいにまで弱ってしまうとは。いつかは来ると思っていたし、今回のデートの件で劇的に時間が無くなったけど、全く後悔はしていない。
僕は滝の番人。なのに、誰も止める事もできず、亡霊を天に連れていく事もできない、ただの無能な男。そんな僕が、セレーナと添い遂げる資格なんてないんだ……。
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