第4話 わたしの好きな事

 夢を見た。それは、思い出したくもない過去の夢。絶望しかなく、毎日ただ虐げられ、苦痛に耐えるしか出来ない日々の夢。


『この俺の婚約者になれたんだ、その事に感謝の意を込めて、俺のおもちゃになれ!』


 フィリップ様は、横暴な難癖をつけながら、わたしに暴力を振るってきた。時には新しく習得した魔法の練習台にされた。


『私の靴、ここに来るまでに汚れてしまったの。あなたが綺麗にしなさい』


 陰湿な嫌がらせをしてきたサンドラ様は、わたしを床に寝かせてから、わたしの頭を踏みつけて、グリグリとしてきた。ヒールが高い靴を履いていたから、ヒールの部分がめり込んで凄く痛かった。


 もちろんそれだけじゃない。兵士やメイドも含めれば、どれだけ酷い目に合わされたか……。


 やめて、もう虐めないで。酷い事をしないで。もう……わたしは……!


「……はぁっ!?」


 行く所がなくて、この日も洞窟のお世話になっていたわたしは、草のベッドから飛び跳ねるように起きた。胸は爆発しそうなくらい高鳴り、体中に嫌な汗が流れている。


「夢……? そうだよね、わたしは追放されたんだから……もうあんな苦しみ……は……!?」


 一安心した矢先、わたしの頭がビリっと痛んだ。それを皮切りに、わたしの頭に激痛が走った。


 こ、この痛みは……お城を追い出された時と同じ……!?


「いや、痛い……痛いよぉ……! どうして、どうしてわたしだけ……ずっとこんな苦しい思いをしないといけないの……!?」

『ソウダロウ、クルシイダロウ』

「ま、またこの声……!?」

『イキテイテモ、クルシミシカナイ。ワレワレト、ヒトツニナリ、クルシミカラ……カイホウサレロ』

「う、うぅ……」

『モウ、ジュウブン、タノシンダヨネ? コレカラハ、ボクタチトアソボウ!』


 そうだよね、昨日あれだけ楽しい思いをしたんだ……もう十分だ。今日こそ死んで、楽になろう。


「早く……早く飛び降りないと……」


 洞窟の外に出ると、まだ外は夜の闇に閉ざされていた。月明かりも葉っぱによって遮られてるせいで、ほとんど周りが見えない。


 それでも、わたしは導かれるように歩き出す。その先は……もちろんあの滝だ。


 こんな真夜中なら、リュード様も帰って寝ているはずだ。きっと邪魔されない。


「い、痛い……は、早く……この苦しみから……解放されたい……」


 まだ続く締め付けるような頭痛に苦しみながらも、一歩一歩確実に歩を進める。全てはこのつらいだけの人生に幕を下ろすために。


 ……リュード様はたくさん励ましてくれたけど、やっぱりわたしは……生きる力が無いみたい。


「はぁ……はぁ……なんとか、着いた……」


 暗くて見えないけど、近くから滝の音が聞こえてくる。方向は間違ってなかったみたい。


 きっと、ここの亡霊達が、わたしを仲間に引き入れようとして、導いたのかもしれない。


「……あれ、あそこに明かりが……」

「ん? あれ、セレーナじゃないか。こんな時間に散歩とは、あまり関心出来ないよ」


 不自然な明かりがあった場所――そこは、リュード様がいつも座って釣りをしているところだった。


 どうしてこんな夜中にリュード様がいるの? この方は、一体何をされてる方なの?


「わたしは……いたっ!!」

「どうかしたのか?」

「あ、頭が……頭が痛い……!!」

「……これはどう見ても普通じゃないな。すまない、少し調べさせてもらうよ」


 リュード様が指を鳴らすと、痛みで蹲っているわたしの体を、白く輝く輪っかが包み込んだ。


 うぅ……痛いところに急に明るくされたら……眩しくて尚更つらいよぉ……。


「急にすまなかった。今君の体を調べたんだが……いつこの闇魔法……いや、呪いをかけられた?」

「呪い……?」

「うん。セレーナの頭の中に呪いの魔法陣が描かれている。珍しい魔法陣だ。おそらくこれは不定期に発動し、強烈な痛みを与えると同時に、ネガティブな感情を発生させる代物のようだ」


 そんなものがわたしに……そうだ、追い出される前に、フィリップ様がなにかわたしの頭にしてから、そんな事を言っていた気がする。それが、この呪い……。


「うぐぅ……痛いよぉ……こんな苦しみを味わうくらいなら……やっぱり……」

「この呪いが解呪できたら、君は前向きになれるかな?」

「え……?」

「僕には解呪が出来る。これでも結構凄い魔法使いだからね」


 少し自慢げに鼻を高くしながら、ドンっと胸を叩くリュード様の姿は、とても頼もしくて、安心する事が出来た。


 前向きに、なっていいのかな。ずっとつらくて、泣く事すら許されなかったわたしが、前向きになって、人並みの幸せを手に入れていいのかな。


「……おねがい、します」


 絞り出すような声。わたしには、これが今出来る精一杯の自己表現だった。


「わかった。すぐに楽にしてあげるからね」

『ヨケイ、ナ――』

「黙れ。僕は忙しい。さあ、始めるよ。ちょっと失礼して……」

「ひゃあああ!?」


 リュード様はわたしの頭を触ると、なんとそのままわたしの頭を、リュード様の胸まで持っていく。それからリュード様は、わたしの頭を抱きしめるように、体を丸めた。


 手の時も思ったけど、リュード様の体温が低すぎて驚きを隠せない。どこを触っても、氷みたいに冷たい。なにか魔法の副産物なのだろうか?


「恐らく解呪には痛みが伴う。それに、少々時間がかかる。魔法も解呪されないように必死だからね。だから、つらいとおもうけど……大丈夫かな?」

「……これを乗り切れば……幸せに近づけるのかもしれないのでしょう?」

「その通りだ」


 わたしはもう生きていたくなかった。だって、どうせこの先に待ち構えているのが、苦しみしかなかったから。


 でも、死ぬ前に少しでも幸せになれるんだったら……幸せになりたい。普通の人でも味わえるような、ささやかな幸せで良いから。


「それじゃ、始めるよ」

「……お願いします」


 承諾の言葉から間もなく、わたしの体とリュード様の体から、新緑の色の光があふれ出した。


 その光は、どんどんとあふれ出し……わたし達を包み込んでいった。


「え、すご……いっ!?」


 わたし達を包んだ新緑の光が、わたしの頭を覆うような形に移動すると、即座に激しい頭痛に襲われた。


「い、いたっ……いたい……いたいよぉぉぉぉぉ!!」

「がんばれ! 僕の魔法と呪いの魔法が戦っているんだ! 大丈夫、僕が一緒にいるから!」


 わたしの頭をギュッとしながら、リュード様は終始『大丈夫だ、必ず助かる』と言ってわたしを励ましてくれました。そのおかげで、わたしは割れるような頭痛にも耐える事ができた。


 その結果……三十分程で、わたしに掛けられていた呪いは解呪できたそうだ。


 今まで散々痛い思いをしてきたけど、それの比にならないくらいの激痛だった。リュード様がいなければ、きっと耐えられなかっただろう。


「はぁ……はぁ……あ、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。何かお返しを……」

「大げさだって。見返りを求めてたわけじゃないからね」

「でも……」


 いくらそんなつもりがなくても、この激痛から救ってくれたお礼はしたい。でも今のわたしなんかに、お礼の品を渡したりとかはできないし……。


「あ、そうだ!」


 わたしは自分の掌を合わせて祈る。すると、小さな白い球体が、わたしの掌の上でフワフワと浮かんでいた。


 うん、よかった。ちゃんと出てくれて一安心だ。


「リュード様、はい、どうぞ」

「これは、セレーナの魔法?」


 リュード様がしっかり認識する前に、球体はリュード様の中にスーッと消えていった。すると、ずっと真剣だったリュード様の表情が綻んだ。


「ありがとう。この魔法は本当に心が暖かくなって、つい素直にお礼を言ってしまうね」

「えへへ……誰かが幸せそうなのを見るの、好きかも……あっ!」


 リュード様の笑顔を見ていたら、前に聞かれた質問……好きな事が一つだけ出てきた。


「どうかしたのか?」

「わたし、ありました……好きな事」

「ぜひ聞かせておくれ」

「あの、わたし……幼い頃お金を稼ぐために、家でお裁縫をしていたんです。集中してましたし、楽しかったから……嫌な事を忘れられるんです。それに、買ってくれる人の中には、喜んでくれる人もいたんです。その顔を見るのが凄い好きでした」


 目を閉じれば、あの時の顔が思い出せる。お子さんの洋服を買った人が、それを着せて来てくれた時の事や、年老いた旦那さんにプレゼントする手袋を渡した時のお婆さんが、笑顔で何度もお礼を言ってくれた事――他にも沢山。


 わたし、どうしてこんな大切な思い出を忘れていたんだろう。ずっとつらい目にあってたから、無意識に記憶の奥底にしまっていたのかもしれない。


「そうだったんだね。優しい君らしいよ」

「そんな、わたしは……」

「君は優しいよ。それはこの数日という短い期間だけでも、僕に伝わってきた」

「あ、ありがとうございます」


 褒められた事なんてほとんどないから、こんなにストレートに褒められると、なんだか照れてしまう。顔が熱くて、胸が凄くドキドキしてる。


 その後、調子が良くなったわたしは、リュード様の童話を中心に、とても楽しい時間を過ごしながら、夜を過ごした――

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