第3話 ちょっぴり幸せで素直になる魔法

「今日も寒いなぁ……朝だから尚更なのかな……」


 翌日の早朝、気持ちのいい青空の下、わたしは洞窟を出てあの滝へと向かっていた。


 最後の日が、こんなお天気の良い日だなんて、わたしにしては運がいい。人生最後の日を飾ってくれている……なんて、さすがに都合の良い考えだろう。


『ハヤク、ハヤク……』

「この声……昨日と同じだ」

『コレデ……ラクニナレル……スベテヲウシナッタオレモ……ラクニ……』


 滝の方へと行くにつれて、例の声が頻繁に聞こえてくる。それも、最初に聞いた時の優しそうな声とは違い、あの唸るような怖い声だ。


『オマエモ、ナカマニナレ……!』

「…………」

『ハヤク、ハヤク……ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク――』


 大丈夫だよ。そんなに急かさなくても、すぐにわたしも一緒になってあげるから。


「そういえば、あの滝から飛び降りて亡くなったら、ずっと苦しむってリュード様が言ってたなぁ……」


 あの亡霊達を見たら、その話の信憑性は高そうだけど、現状簡単に死ぬのは、あそこから飛び降りるのが最適なのは確かだ。


 だから……これから永遠に苦しむとしても、わたしはこの現実という地獄から逃げ出すのを選ぶ。


 ――そう決意したのも束の間、例の滝に行くと、今日もリュード様が釣りをされていた。バケツの中が空っぽなのも一緒だ。


「あ、あれ……リュード様?」

「おはよう。昨日はよく寝れたかな?」


 漆黒の髪をなびかせながら、わたしの方に振り向くリュード様。今日もエメラルドのように綺麗な輝く目も、それに負けないくらいの笑顔も、大変美しい。


「は、はい。暖かくて、ごはんもおいしくて……人生で一番幸せでした」

「……そうか……あれで一番、か……」

「リュード様?」

「いや、なんでもない」


 何か思案するかのように、スッとした綺麗な顎に手を当てるリュード様。そのすぐ隣には、見覚えのない靴が片方だけ置いてあった。


 この靴、誰のだろう。リュード様の……じゃなさそう。リュード様はちゃんと靴を履いてるもの。


「あの、その靴は?」

「……ついさっき、ここから旅立った男性の物だよ」

「え……?」

「随分と思い悩んでいたみたいでね。誰かの名前を呟きながら、消えていった。もちろん止めたんだけど、僕の事は全く視界に入っていなかったみたいだ。手も振り解かれてしまった」


 そうだったのね……きっと話を聞く余裕すらなかったのだろう。それくらい、つらくて、苦しくて……早く楽になりたかったのね。


 あれ、そういえば……。


『コレデ……ラクニナレル……スベテヲウシナッタオレモ……ラクニ……』


 あの言葉って、さっきここから飛び降りた人の……。


「……少しでも、あなたが幸せになれますように……」


 飛び降りた人に向けて、両手を合わせたわたしの体から、白くて小さな球体が生まれた。


 こ、これはなに? 害はなさそうだけど……少なくとも、今まで生きてきた中で見た事は無い。


「この魔法は……珍しいね。人をちょっぴり幸せに、そして素直にする魔法だ」

「笑顔……幸せ……?」

「そうだよ。ほら」


 リュード様はわたしの手を取ると、フワフワ浮かぶ球体に触らせた。すると、球体はわたしの体を包みだした。


 あぁ……なんか気持ちいいなぁ……昨日のご飯と寝床を経験した時の気持ちに似てる。これが、ちょっぴり幸せで素直になる魔法……?


「あ、でも……わたし、魔法の練習なんて、した事ないですよ……? それに、わたしみたいな底辺の人間には……身に余る魔法ですよね……?」

「果たしてそうかな? 幸せを知らないからこそ、魔法で少しでも幸せになりたいって、心のどこかで思ってたんじゃないかな。その結果、練習しなくても魔法を会得していたんだと思う。それが、さっきの男性の事を考えた結果、初めて発動したんじゃないかな」


 幸せになりたい……? わたし、そんな事を思ってのだろうか……? ずっとつらくて悲しくて……そんな気持ちの裏で、気付かないうちに思っていたのかな。


「そんな顔をしないでほしい。可愛らしい顔が台無しだ」

「かわっ……!? わ、わたしなんて……ずっとお城の人にブスだと貶されてましたから……!」

「その人達は、随分と見る目がないようだ。僕は残念でならない」


 ふぅ、と息を漏らすリュード様。その表情は、心の底から残念がっているような、沈んだ表情だった。


 わたしが可愛いなんて、そんなのお世辞も良いところだ。フィリップ様やサンドラ様だけではなく、多くの人に散々ブスだ醜いだと言われたわたしが……可愛いだなんて。


 ……あ、また流されてしまうところだった。今日はリュード様とお話をしに来たんじゃないのに。


「きょ、今日はそんなお話をしに来たんじゃないんです。今日こそ――」

「そうだ、今日は君の好きな事でも聞かせておくれよ。今日もボウズだし、話し相手がいなくて寂しいんだ」


 今日こそ飛び降りると言う前に、先に言われてしまった。別にそんなの気にしなくても良いのかもしれないけど、無下にするのは申し訳なく思ってしまう。


 罪悪感に苛まれたわたしは、仕方なくリュード様の隣に腰を下ろした。


「好きな事って言われても……小さい頃は両親のお金の工面で働いてばかりでしたし……元婚約者の所に行ってからは、ずっと離宮に幽閉されてたので……」

「……君は本当につらかったんだね。よく一人ぼっちでも頑張ってきたね」

「ふぇっ……?」


 リュード様は、片手を釣竿から手放すと、その手でわたしの頭にそっと手を乗せて、ワシャワシャと撫でた。


 その手は、氷のように冷たかったけど、わたしの心は春の暖かな風に吹かれたように、とても暖かくなっていた。


「うっ……うぅ……ぐすっ……わたっ……こんな優しくして貰った事……なくて……楽しいお話一つもできなくて……ごめっ、ごめんなさ……お役に立てなくて……ごめんなさい……!」


 リュード様の暖かさに触れたせいか、わたしは気づいたら嗚咽と涙をこぼしていた。


 泣いてたら駄目なのに……泣いてたら、両親にも、フィリップ様達にも嘲笑われ、酷いと暴力を振るわれるのに……涙が止まらないよぉ……。


「いいんだ。君はもう十分頑張ったんだから、少しくらい弱音を吐いても良いんだ」

「……うわぁぁぁぁん!!」


 リュード様の優しい言葉でもう耐えきれなくなったわたしは、生まれたての赤ん坊のように、声を上げて泣いた。


 こんなに泣いたのはいつ以来だろう。暴力を振るわれ始めた時は泣いてたけど、いつの間にか、ただ許しを乞うだけになってたから……。


「落ち着いたかな?」

「はい……」

「それはよかった。本当はハンカチ一つでも渡せればよかったんだけど……生憎この釣竿とバケツしか持ち合わせてないんだ」

「いえ、いいんです。そのお気持ちだけで……わたしには十分ですから」


 あれからずっと泣き続けてしまったわたしだったが、その間ずっと慰めてくれたリュード様のおかげで、何とか涙を止める事が出来た。


 うぅ……子供じゃあるまいし、人様の前であんなに泣いちゃうなんて……これがお城にいた頃だったら、ずっと笑い話の種にされていただろう。


『ヨケイナ、コトヲ……』

「ひぃ……!?」


 またあの低い声が聞こえたとほぼ同時に、地面から赤黒くてボコボコした泡のようなものが出てきた。


 こ、これってこの前の!? もしかして、これが亡霊の正体……!?


「うるさいな、今セレーナと話すのに忙しいんだ。少し黙っていてくれ」


 今までずっと優しかったリュード様とは思えないほどのドスの効いた声を出しながら、指をパチンと鳴らす。


 すると、リュード様を中心に、物凄い風が辺り一面に吹き抜けていった。そのおかげで、赤黒い泡は一瞬にして消えた。


「ひゃあ……!」

「これでよしっと。驚かせて申し訳ない。大丈夫かな?」

「は、はい……大丈夫です」


 出会った時と同じ優しい声で心配してくれたリュード様。この少し気の抜けた笑顔は、見てるだけで不思議と安心できる。


 それにしても、さっきの風は何だったのだろう。魔法……なんだろうけど、全容が全くわからない。


 唯一わかる事と言えば、リュード様が凄い魔法使いだという事だけだ。


「邪魔者もいなくなった事だし……別の話をしようか。そうだ、僕の好きな童話を聞いてもらうのはどうかな? こう見えて、幼い頃から童話には目がなくてね。子供っぽいかな? あはは」

「い、いえ。そんな事ないです。わたし……童話ってあまり知らないので、ぜひ聞かせてください」

「そうか、それは話し甲斐があるな! どの話をしようか……迷ってしまうなぁ」


 それから日が暮れるまで、わたしは様々な童話を聞かせてもらった。


 知らない話をたくさん聞かせてもらった時間は凄く楽しくて……昨日に引き続いて、わたしは幸せという感情を感じたのだった――

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