第1話への応援コメント
こんにちは、永礼経です。
人にはそれぞれの見解というものがありますね、
しかしながら、どんな国どんな民族にも
「祈り」という文化は存在します。
その「祈り」をどういう形で伝えるか、
そういうことを改めて考えてみてほしい、
そういうことなのでしょう。
作者からの返信
下のコメントのたてごと様のご意見がとても良いこと言うな、と思いました。でも、祈りはどうしても否定しきれませんよね。
怖いのが、独善に陥ることですね。必ずしも日本人に限らないみんながそういった「支援」をし続ければ、それこそ物資の分配に支障をきたします。それで、人命に繋がるケースもあるように思えます。
私達は、再び「同情するなら金おくれ」(『家なき子』より)という痛烈な言葉と再び向き合わねばならないでしょうね。
第1話への応援コメント
「相手の都合を考えないで相手を思い遣る」というのはさすがに、矛盾にも程があるとしか、、
実際のところ、折り鶴じゃないにしても、本当に困っている人は祈りだけ届けられても困ると想像します。
応対する労力を割く余裕もないでしょうから。
ところで日本古来から、強い祈願を示すものとして「お焚き上げ」という風習がありまして。
燃せばいいんじゃないでしょうか。
作者からの返信
ここに関しては、想いは届く、とかちょっと自惚れたことを言うとそれこそ独善らしさが増しますからね……。
あと、「同情するなら金おくれ」という言葉は非常に痛烈な言葉ですよね。「我々の善意の同情を拒むのか?」と言いたくなりますが、今考えれば、それはどうしても独善で。きっと、それを知らない大多数は徒党を組んで、いじめみたいなことをしているのでしょうが。
僕もたてごと様のように、サラッと「ところで」って入れたいですね、
‧˚₊( ⁰͈∀⁰)‧˚₊
それは良いとして、アリですよね、お焚き上げ。日本に置きっぱにするのも、ウクライナに送って迷惑させるのも何か違う、と考えたとき、一番想いが届く気がします。
ニュースを見て、募金というものをもう少し真剣に考えねばな、と僕は考えさせられました。どうしても募金という行為が無機質な卑しい行為に見えてしまう先入観が読む前にあって。
第1話への応援コメント
そもそも、千羽鶴と言うのは禍が終わった後で生き延びた人々が亡くなった人を追悼するために飾るものなので……贅沢が許される環境にある人にしか意味がないんですよね。
正直、戦闘が激化する中で現地に送ろうとするのはちょっと無神経ではないかと。
現実に飢えている人には一かけらのパンの方が千羽鶴よりも役に立つはずです。
作者からの返信
追悼ですか! そこに関しては、今初めて聞いて、驚いています。千鳥ヶ淵にありましたね。
ちょっと他の方への言葉の繰り返しになってしまうのですが、自分は募金を見つめ返さないといけないなって思っています。
なんか、根性論とかは嫌いなのですが、どうしてもサイフにある金属の塊が自分の労働の成果だと思えなくて。まだ働いてないこともあるのかもしれませんが。
うーん、そこは「そういうものだから」としか言えませんよね……。お金がどれだけ、どういう風に大事かについては、ちゃんと知っていた上でこのように悩んだ訳なのですが。