第17話

 深夜になって、天啓により目覚める。

 と言っても、実際、身体は寝たままである。夢の中、意識だけ覚醒するのだ。

 結婚式へ招待されたのは、和泉いずみ先生と狐面の御師、そして僕の三人だ。

 風子先生は、条件に当てはまらないので、呼べない。

 和泉先生は、最後まで未練がましかった。娘が嫁ぐことではない。

「急患が出たら」

「本当に面倒くさい」

 使いの狐が、そっぽを向く。慌てて、反論する。

「いえ、ですから」

「心配せずとも、婚礼中はここら辺一体を加護せよとのお達しだ。安心して参列せよ」

 それを聞き、どうにか胸をなでおろす。

 闇夜に映える白狐は、鼻先を病室の窓ガラスにつける。そこから、波紋を描く。満天の星空に、朱色の回廊が煌々と輝く。参道は、神様の通り道。彼岸と此岸をつなぐ。歩を進める度に、紫が目につくようになる。

「藤の花だ」

「紫は、瀬音の好きな色だ」

 手をつないだ和泉先生。見上げると、哀しげに微笑んでいる。僕は、目をそらした。「砂ずりの藤か。きっと結婚祝いといったところだろう。山中の藤は、決して枝を切るものではない。何故なら、藤は山姥から身を守ってくれるからだ。そんな伝承がある」

 目頭が熱くなる。今度こそ、藤の花は彼女を守るはずだ。瀬音の好きな紫色。

 山の上、何か光っている。

「テレビ塔だよ。この街の人間は、随分、あれに助けられている」

「そういうものですか」

 この土地は海が近く、山に囲まれている。そのため、霧が発生しやすく、なかなか洗濯物が乾かない。確か外国にも似たようなところがあった。

「灯り以外にも、山の上にはいろいろあるよ。動物園に遊園地、野草園もあるし、城跡だろう。高校や大学なんかもある。僕が初めて循環バスに乗って、ロボットアニメの秘密基地みたいなのが突然現れたときには、ワクワクしたっけなあ」

 堪え切れず、笑い声を洩らす。

「子供ですか」

「そうだよ」

 見上げると、穏やかな表情を返す。

「楽しいことは苦労して坂道を上った先にあるんだ。君もひとまず、循環バスに乗ってみるといい」

 ああ、この人は病気が治った先の指針を与えてくれたのだ。

「はい、そうします」

 まなじりに涙を溜め、微笑む。

「霧が深くなってきたようだ」

 僕の手を握る和泉先生の指先に力がこもる。

 視界が開ける。

 そこは、正真正銘、神社の中だった。独特の湿り気。

 瀬音。

 白いワンピース。

 藤の花。

 笑っている。男の子。

 全身白い。

 手を取る。

 駆け出す。

 何だこれは。

 何と幸福な光景なのだろう。

 僕は、その場にしゃがみこむ。頭を抱え、咽び泣く。

 僕の名前を呼ぶ和泉先生。

 大丈夫。瀬音は、もう大丈夫だよ。

 和泉先生を睨み上げる。

 うん、知っている。

 僕だって、そんなこと、見た瞬間知覚していた。

「ああ、なんで今ここにあれがないんだ」

 短い人生の中でも、最大の後悔だろう。

「ほら、これが欲しいのだろう」

 背後に目を遣る。狐面の御師が持っていたのは、僕のスケッチブックとペンケース。病室から持参してきていたのだろう。駆け出し、手を伸ばす。

「ありがとう」

「当然だ」

 狐面の下、御師はきっと笑っている。

 ふふふ。僕もつられて笑った。




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