第14話

「ひさしぶり」

 本当に、長いこと顔を見ていないと感じていた。たかだか数日のことである。

「それは、いつ以来」

 瀬音せのんが、口元に指を当て、天井を見上げる。

「うん、本当のことを言ってもいいのかな。せいやくんの手術が終わって、それ以来」

「会いに来ていたのか」

 溜息を吐く。

「なんだ。嬉しくなかったの?」

「小さな女の子が、夜に出歩くなんていけない」

 壁にもたれかかっていた瀬音。耳を肩につける。

「素直じゃないのね」

「これから、誰かのものになる女の子だよ。嬉しがってどうする」

「わあ」肩から首を離し、前のめりになる。「それまで、知っているの」

「聞いたんだよ」「へえ、そうなんだ」ベッドに腰掛ける。

「あのさ」胸を抑えつつ、起き上がる。瀬音が手助けしようとしたが、手を払う。「お前、おかしいよ。なんだよ、ただの人間が、神様に嫁入りするって」

 言われ、顔をしかめる。そのまま横にやる。重い沈黙。瀬音が、何か呟く。

「なんて」眉をひそめる。

「決まりなのよ」声は、まだ小さい。

「なんだって」布団の下、握る拳に力が入る。やろう。決めた。

「だから、決まりだって、あ、ああ」

 白いベッドに散らばる、黒い髪。瀬音の髪の毛だ。

「やめて」掠れ聞こえる声。それでも、はさみを動かす手を止めない。「術が、解けてしまう」肩を震わせて言う。懇願の表情は、切ったばかりの髪の毛と流れたばかりの涙に塗れている。僕は、口を開く。

「それも、知っている」

 僕は、見据える。黒い髪の毛が、藤の花弁に変わっていくところを。僕と同い年のはずの女の子が、小さくなっていくところを。

「じゃあ、どうして」

 四歳の瀬音は、顔を上げた。瀬音が、目を細める。小さな口が、不安に開閉する。決心が、揺らいでしまう。たまらず、瀬音を抱きしめていた。

「僕は、こんな小さな子を、叱るなんてできやしない」

 腕の中、抜け出そうと必死にもがく。もちろん、手術の傷跡は、悲鳴を上げる。それでも、離さない。

「切ったくせに、私の髪の毛、切ったくせに。パパが好きな、瀬音の髪の毛」

 堪らない。一言、一言が突き刺さる。勢い、瀬音の両肩を掴む。顔を近づける。

「なあ、お前、本当に父親が大好きなんだよな。なら、行くことなんてないじゃないか。和泉くらいの女の子なら、パパが恋人で、旦那さんだっておかしくないんだよ。それで、風子先生と和泉先生を取り合いして、喧嘩してさ。普通、そうなんだって」

 瀬音が抵抗を止め、唸り声を上げる。一切を飲み込む、そんな覚悟。それを僕は、覆してしまった。瀬音が、怒るのも無理はないのだ。だって、僕は、男だから。馬鹿な男だから。

「どうして、そんなことを言うの。おかしいのは、私。瀬音が、今、こうして生きていることなんだよ?」

「行くなよ」精一杯、睨みつける。「嫁になんか、行くな」

 和泉先生は、思い出してしまった。

 愛娘の瀬音は、すでに亡くなっていた。生きている娘ならば、口も出せる。それでも、すでに手許から離れてしまった娘だ。だから、諦めてしまった。少年がそう言うのならばと、狐面の御師もまた同意した。

 それなら、僕だけは対等であろう。ただの幻想にすぎない。だから、どうした。

「何で、そんなに偉そうなの」

「惚れたからだ」

 言い切った。

 自分でも驚くほど、平常心のままだ。

 瀬音は、ぽかんとする。我に返り、その小さな手でようやく突き放す。

「馬鹿みたい。私、結婚するんだよ」

「まだ結婚していない」

 瀬音は、唐突に笑った。病室中に、軽やかな笑い声が響く。

「それなら、見せてあげるね」

「え?」

 目が覚めると、瀬音は姿を消していた。

 和泉先生と僕以外、小学生になったはずの瀬音を認知していなかったのだ。

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