第8話
「ひとつ、
嫌な予感がした。
「パパが突然、外国に行ってしまうことがあるとね。それは、パパの外科医としての腕を必要としている患者さんがいるからかもしれないし、もしくはその技術をさらに磨くための留学かもしれない。どちらにせよ、愛娘である瀬音と同じくらい大切なパパのお仕事のことだ。直接、瀬音にその話を伝えては、パパの決心が鈍ってしまうかもしれない。だから、パパが突然、瀬音の前からいなくなったとしても、決して泣かないでほしい。ママを責めないでほしい。瀬音は、瀬音の人生を大切に送ってほしい」
「だから、嫌なんだ」
震える声で、精一杯の悪態をつく。いつか、瀬音は告白した。自分は死にかけて、そして、外科医である父親に命を助けられたのだと。そして、ついさっき、お返しに自分の命を父親に返すと言った。目茶苦茶だ。この父と娘はあまりに似すぎている。だから、確信してしまう。
「このままだと、和泉瀬音はいなくなるよ。少年」
いつの間にか、窓際に医者が立っている。闇に白衣がぼうっと浮かび上がる。眼鏡をかけているせいか、うまく表情を読み取れない。不信に思った和泉先生が声をかける。
「あの、どなたですか」
「相変わらず、不遜なやつだ。久方振りだな、少年」
随分、偉そうな物言い。つい最近、どこかでこんな人と会ったような気がする。
「あ」和泉先生と僕の声が重なる。
「まさか、またあなたと会える日が来るなんて」
「私も同じことを思ったよ」
男が僕のほうに、視線を落とす。
「ふん、どうやらオペは成功したようだな」顔を上げる。「少年もここまで来るには、大変な苦労をしたことだろう」
男は、和泉先生に向かって「少年」と呼びかけているのだとようやく気付いた。古い知り合いなのだろうか。
「あなたと瀬音のおかげです」泣きそうな顔をして、深くお辞儀をする。
「馬鹿め。
起き上がれぬ身体。それでも、両手を伸ばし、男の白衣の袖を掴む。
「ねえ、教えて。瀬音がいなくなるって、どういうこと」
男が言葉を飲み込む。
「瀬音は、狐に魅入られた。その狐は、瀬音を神の妻にするつもりだ」
「え…?」
瀬音と狐を遭遇させるな。それは、瀬音が神に嫁入りさせられるから。神。本当に、神様と結婚できるものなのか。頭の中で、情報が入り乱れる。和泉先生も、同様に、ぽかんとしている。
「何が、何だか」
和泉先生が、ようやくそれだけ口にする。男が和泉先生の肩に手を置く。
「それは、まあ、そうだろうな。これから、詳しく話して聞かせる。そもそも、私はある神に遣われている身だ。神が御師を使うようになったのは、あちらの世界にしてみればつい最近のことだ。それまでは、神の眷属である狐を遣っていたのだ」
「だから、あなたは狐の面を」
和泉先生の言葉に、男が頷く。
「正直、御師ごときが手を出せる相手ではない。それに、我々は、神に恩もある」
「そうだ。瀬音があの時、会いに来てくれなかったら、今の自分もいない」
自分自身の言葉にはっとする。ゆっくりと顔を動かす。和泉先生は、口を開いた。
「瀬音は、すでに死んでいる…?」
頭に血が上る。
「馬鹿なこと、言わないでよ。だって、和泉は」
僕は、確かに瀬音と会話した。頭の生々しい傷も確かめた。そうだ、そうだった。ああ、どうして、こんなことを覚えているのか。涙が溢れる。のどが鳴る。
「パパは、看取ることを選んでくれた」
和泉先生の目を見て、現実を思い知った。そんな二人を無言で見つめていた男は、ある昔語りを始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます