Episode 08 療養生活、そして……
私は、娘たちを連れて、一旦実家に帰って鬱病の療養をする。ということにして、元夫も納得の上で、実家に帰りました。そういうことにしないと、生活費をもらえない。親に金銭面で迷惑をかけてしまうのが明白だったからです。
当然のように半額にされましたが。病院代も保育料もかかるっていうのに……。
それでも、あの地獄から解放されると、鬱病はどんどん快方に向かいました。
療養の間、娘たちは保育園に入れてもらいました。その保育園では、ゆっちゃんのことを考えて、一つ学年が下のクラスに入れて貰うことができ、ゆっちゃんも、沢山のお友達に囲まれ、楽しそうでした。
まゆは、後に、あの時は全然楽しくなかった。って言ってました。まだ3歳になってなかった頃の記憶が残っているとは思えませんが、お母さんと一緒にいられなくて辛かったことは覚えているのかもしれません。
私は1ヶ月くらい、まともに食事がとれませんでした。何も食べられない。食べると吐いてしまう。
そんなとき、母の店(ブティック経営をしています)の、従業員さんが、ふりかけをくれました。わかめと鮭が入ったふりかけ。混ぜてもおいしいのよ。と言って。
今ではスーパーでも簡単に手に入りますが、それはその「走り」のようなもので、もっと高級なわかめと鮭で作られていました。
不思議と、それの混ぜご飯だけは食べられる。それしか食べられないけれど。それだけで1ヶ月乗り越えました。
両親や弟たち、叔父叔母、従妹弟たち。みんなで、ゆっちゃんのことも、まゆのことも、私のことも、本当に大事にしてくれました。
そんな優しい、穏やかな生活を経て、半年後には普通の生活ができるまでに回復したのでした。
私は千葉に戻らなければ、と思いました。後から考えると、何故そこで戻ることを選択したのかわからない。でも、子どもたちを連れて、千葉に戻らなければ。そう思っていました。
親や弟たちには大反対されました。そんなことをしたら、また病気がぶり返すかもしれない。
今考えても、何故? と、自分でも思います。わからないです。
とにかく、私は、ゆっちゃんとまゆを連れて、千葉に戻りました。冬のことだったと思います。戻って数ヶ月後……3月。今度は宇都宮に転勤しろと言われました。
もう、嫌がらせ以外の何者でもない。仕事もできない、祖父の代からのコネだけで入った「ゴミ」が大きな企業にぶら下がっているんです。払い除けようとするのは当然なのでしょう。せっかくの条件の良い提案を無視して、いつまでもいつまでもしがみついてくる……。
単身赴任してほしいという願いなど、到底聞いてもらえず、宇都宮へ。
いつも通りです。引っ越しの荷作り、荷ほどき……。荷ほどきをしているとき、ゆっちゃんは大人しく横で遊んでいたけれど、まゆは退屈してグズる。そこで元夫が言います。
「まゆを散歩に連れてってやるから」
珍しく気の利くことを言うな、と思ってお願いしたら、帰ってきた娘が一言、
「パチンコ屋さんの中、通ってきたよ〜」
もう、やめよう。この男には娘たちを触らせない。
そして、3ヶ月後、
今度は大宮への転勤が決まりました。
「でも、ここから新幹線通勤するから」
とかいう元夫に、私は聞きました。
「こんなに転勤ばっかりで、ゆっちゃんの小学校はどうしたらいいの? 来年小学校なんだよ?」
すると、元夫から、信じられない一言が返ってきたのです。
「こいつなんか、学校に入れてどうするんだ?」
もう、その言葉が、決定打でした。
この男には父親の資格はない。1ミリもない。私も子供たちも、こいつと一緒にいる義務はない。必要もない。
本当に、やっと、心から悟った瞬間でした。
私は、その男を捨てる決意をし、最低限の荷物を持ち、娘たちと一緒に新幹線に乗りました。
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