Episode 05 まゆの誕生と保育園

 次女が生まれたのは、ゆっちゃん1歳10ヶ月の頃でした。


 仮名ですが、「まゆ」とします。

 ゆっちゃんにとって、まゆは、初めて見る不思議な生き物でした。時々、そおっと近付いて、服の裾を引っ張ったりしていました。



 ゆっちゃんがしっかり歩けるようになって、まゆが最低でも首が座るようになるまでは、実家にいるから。と、元夫に言い切り、3ヶ月ほど実家暮らしをしました。

 

 実家はラクでした。何より、父親を怖がって毎日泣いていたゆっちゃんが、家族の誰にでも懐くので、任せることができ、その分、ゆっくりと、まゆの世話ができました。平和でした。

 


 一方、私には、まゆが埼玉に戻る前にやっておかねばならないことがありました。

 ゆっちゃんの行く保育園を探すために、少し早く埼玉に帰らなければならなかったのです。


 小児科の先生に、ゆっちゃんの成長を促すために、なるべく多くの子と接した方がいい。できれば保育園に。と言われていました。


 私は彼女の保育園を探すべく、市役所の案内所で言われた課へ行って、保育園に入りたい旨、理由と共に伝えました。

 すると、その係の男の人は、物凄く冷たく答えました。

「保育園っていうのは、そういう人のための物じゃないんです。障害児は、障害者のところへ行って下さい」



 断られたのはわかったけれど、何を言われたのかわかりませんでした。ただ、障害児は障害者のところに行け! と言われたことがショックで。障害児や障害者は、こんなにも冷たい扱いをされなければいけないのか……。

 母に、断られた旨、電話しようと、近くの電話ボックスに行きました。でも、電話番号が出てこない。30年近く使い続けてきた番号です。なのに、わからない。仕方なく、リュックからアドレス帳を取り出して、電話しました。それほどショックだったんだと思います。



 そこから、自力で無認可保育園を探しました。入れますよ、と言ってくれた保育園は、バスを乗り継いで行かねばならないところ。それでも送迎バスがありますよ、と言われ、そこに決めました。


 無認可保育園なので、保育料が6万円を超えていたでしょうか。それでも元夫は生活費を増やしてはくれません。自分の貯金の中から不足分を補って、なんとか通園させてやることができました。



 まゆが、母と一緒に、埼玉の家にもどってきました。飛行機の中で、気圧の上がり下がりの際の耳の痛さに、ずっと号泣していたらしく、母は大変だったと言っていました。



 ゆっちゃんが保育園に通うようになって、私は、まゆとゆっくりする時間ができました。窓を開ければ近くには片側3車線の道路と、その上に高速が走り、毎日2回掃除機をかけ、毎日1回は床を拭いて、月に1回ペースで網戸も洗わなければならなかったけれど。

 

 まゆの成長は眼を見張るものがありました。3ヶ月に入ってすぐに首がすわったと思ったら、4ヶ月を待たずにコロンと寝返り。いつの間にかはいはいもできるように。子供って、こんなに勝手に成長するものだったの? ゆっちゃんの時の毎日の訓練は何だったの??


 家族や叔母達が言ってくれます。

「ゆっちゃんの時に苦労した分、神様が、まゆちゃんのときには楽にしてくれたんやわ」

 そうなのかな。それならありがたいことだなあ。



 けれど、そんな環境下で育ったまゆは、酷い喘息になりました。入院して酸素室に入れなければいけないくらいの。点滴を外すと大変なので、私はまゆと一所に、自分の体の2/3くらいしかない子ども用のベッドで、半分、まゆの入っている酸素テントの中に身体を突っ込み、2週間くらいだったでしょうか、ずっとずっと隣で寝ていました。寝たか寝てないのかわからない感じでした。

 その間、ゆっちゃんの世話は、母が来てくれてやってくれました。元夫は、全く、本当に全くノータッチでした。



 精神的にキツかったんでしょうね。その頃の写真を見ると、子供たちと楽しそうに笑っている私は、随分と痩せていましたから。

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