Episode 04 新しい命
ゆっちゃんが、やっとよちよち歩き(というかよたよた歩き)ができるようになった頃、私の体に異変が起きます。一日中続く吐き気。しかもずっと、毎日。
これは……まさか……
思った通りでした。二人目を妊娠していたのです。
私は、すぐに実家に電話し、母に、
「無理や!! 産めんよ!! まだ、ゆっちゃんは歩けんのやで? どうやって二人も育てられるん? それに次の子まで障害児やったらどうするん? 無理や……自信がない!!」
叫ぶように泣きました。
「墮ろす……」
と、号泣しながら言いました。
母は落ち着いた声で言いました。
「そんなこと言わんの。せっかく授かった命やで? 大丈夫やから、産みなさい。あんたが育てられんかったら、私が育ててあげるけん」
「だって……」
「大丈夫やから。産みなさい」
母の言葉に背中を押されて、二人目の子を産む決心をしました。
元夫が何か言っていた気がするけれど、もうこのへんはあまりにも精神的にいっぱいいっぱいだったらしく、そんなこと、記憶にないです。
ゆっちゃんの歩く練習も始まりました。ベビーカーの、乗せるとお腹のところにくるガードを持たせ、ちょっとずつ押させて歩かせます。最初は3分位から、5分、10分と時間を増やしていき、もう辛いかな、って時はベビーカーに乗せて、公園や買い物に行きます。お散歩好きな、ゆっちゃんは、歩く練習が嫌いではないようでした。
ただ、自力で歩けるのは数歩。病院へ行くときの階段なんかも昇れないから抱っこ。妊娠中で自分の体も重くなる、娘も成長して重くなる。その上にベビーカーとリュック。
都会で電車もバスも時間を待たずに乗れるから要らないだろ? と、転勤前に乗っていた車を廃車にし、新しく買ってもらえなかったので、ひたすらバスと電車移動。車で行けば15分の病院にも1時間近くを要しました。
タクシー? そんなもの乗れるだけの生活費をもらっていない。元夫は、自分のポケットにはいつも10万以上持ってパチンコや競馬に行くのに、生活費を少しも増やしてくれるようなことはありませんでした。
勿論、病院に付き添ってくれることもありません。私は大きくなるお腹に、1歳半になる娘を抱っこして、肩にベビーカーを担ぎ、背中には娘のミルクやおむつ入り(ゆっちゃんは2歳までミルク、6歳までおむつでした)のリュック。そんなスタイルで駅の階段を昇り降りしたのでした。
母方の祖父が亡くなったと連絡があったのは、妊娠7ヶ月のことでした。当時、熊谷に住んでいた弟と一緒に、実家へと急ぎました。大宮から、元夫も一緒の新幹線に乗ったので、忌引きで休みが取れて、ついてきてくれるのかと思ったのですが、甘かったです。東京駅につくなり、「じゃあな」と言って遊びに行ってしまいました。
「最低やん」
「今に始まったことじゃないやん」
私たち姉弟も、彼については、もう諦めモードでした。
祖父の葬儀がしめやかに執り行なわれた後、私のお腹はまた張りが強くなりました。前に、ゆっちゃんを産んだ産婦人科で診てもらうと、やはり切迫早産。絶対安静です。無理しすぎなんですよね。周りのみんなにも言われたし、自分自身わかっていたことでした。
思いました。
じいちゃんは、私とお腹の子と、ゆっちゃんを助けてくれたんだ……と。自分が亡くなることで、私を実家に呼び戻してくれたんだ……と。
ありがとう、じいちゃん。
涙が止まりませんでした。
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