応援コメント

Episode 03 受け入れること」への応援コメント

  • やったね! ゆっちゃん\(^o^)/
    医者の言うことも、ましてや元夫さんの言うことなんか聞く耳持たんっ!
    ゆっちゃんの可能性は無限大なんですよ!

    作者からの返信

    そうなんですよ。
    子供の可能性って無限大。
    ゆっちゃんは、できるようになりませんといわれていたことを、ゆっくりと克服していくのです。

  • 駄目です。

    毎回コメントを書けます。

    暫くは読むことだけに没頭させていただきます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    コメント、いつもありがたいと思っております。
    でも、気にしなくて構いませんので、ゆっくり読んでやって下さい。

  • 何でもない、ほんの小さなことが出来た時の喜び。
    それを感じられる緋雪様も素晴らしいです!
    受け入れる事は難しいけれど、それが出来た時には、少し心が軽くなると思います。
    とは言え、受け入れたとしても、まだまだこれから始まったばかり。
    お察しします。

    作者からの返信

    この美のこ様

    ありがとうございます。
    なかなか成長しない分、ちょっとの成長が本当に嬉しかったのを覚えています。
    立てないかもしれない、歩けないかもしれない、と言われていた娘が自力で立った時には本当に嬉しくて。育児書なんかいいや、うちの子はうちの子でいい。そう思えた瞬間でした。

     そうなんです。始まったばかり。ここから大変なんです。母子ともに。

  •  どうも。投稿ご苦労様です。
     育児書を捨てる。正しいと想います。

     こういう育児書のようなハウ・トウー本はその傾向が顕著ですが、情報というのは、基本的にコスパ(経済原理)の問題に帰着します。何であれ、その情報が本当に正しいのか、というのを検証するのは膨大な労力と費用を要します。そんなことをするよりも、例えば現代でいえば、ネットでちょちょいと調べれば良いという訳です。

     ただ作者様のようにお子様に向き合われ、それに賭ける労力はいとわないとなれば、当然、育児書は廃棄すべきとなる訳です。

     誰が書いておられたかは忘れましたが、いわゆる生殖年齢を過ぎたメス(他の動物絡みでこう表現しているのであって、女性蔑視ゆえではありません)が集団内に存在するのは人間に特有な状況であると。つまり、おばあさま、お母様から娘へと伝わる情報こそ長らく人類集団にとって重要であったと。育児書にすがるより、頼れるおばあさま、お母様が身近におられるならば、そちらにすがった方が良いと想われます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    育児書というのは、いつ頃こうなりますから、その時はこうした方がいいですよ、っていう、母親にとっては、みんな、参考までに見る本なんだと思います。みんなその通りなんかいくはずがないって、周りの人たちに言われながらも、参考にしていく、参考書であって、How to本とは、またちょっと違った意味合いをもつ本だと思います。

    ネットはなかったですし、そちらで調べれば調べるほど恐らく不安は増していたんじゃないかと…。


    難しいことは、私には、わかりません。でも、私には周りに頼れる人がいなかったことで、不安ばかりだったのだと思います。そんなもの読んで不安になってる時間があったら、可愛い娘と大切な時間をもっと楽しめたのに、と、今になって思います。
    それくらい、育児をしている時って、お母さんは必死なんですよね。

  • 私にとっては育児書は予言書のようなもので、月齢ごとの項目にクリアできた~と成長の目安を感じさせてもらえるものでした。しかし、次男は違ってましたね。なんでお兄ちゃんと違うの???ちょっとパニックでした。育児書を見なくなったのはこの頃かもしれません。
    緋雪さんの環境は子育てをするには辛いものだったんですね。でも、ゆっちゃんは緋雪さんのもとに生まれてよかった。

    作者からの返信

    育児書に書かれてあるのは飽くまで平均的なものなんでしょうね。そこには幅が物凄くあるのに、その通りじゃないと、ママたちはハラハラしてしまう。この辺でこうなるよ、次はこうなるんだよ、くらいの気持ちで参考までに見る、くらいでいいのかもしれませんね。

    そうですねえ。なかなかシビアな環境でした。ゆっちゃんも父親を怖がって、顔を見たら泣いていましたし。お母さんはいるけど、父親っていうのが何なのか全く理解してなかった感じでした。ずっと守ってましたね。

  • ゆっちゃんのこと全てを受け入れることができて、本当に良かったです。
    親御さんがまずお子様のことを認めないと、そこから先の支援につながらないですものね。

    私事ですが、小学校の役員をしているとき、おそらく軽度の自閉症か知的になにか障害があるのではないかと思われる女の子がクラスにいました。お母さんが頑として「うちの子どもは普通です。だから普通学級にいるんです!」と言い張ったために、市から補助教員も入れられず、担任はクラスメイトにもその旨話しも出来ず。子どもたちも配慮が必要だと知らぬまま、いじめの対象になってしまいました。
    今から思うと、そのお母さんも孤立していたのかもしれません。
    なにか声かけが出来ていればと、反省です。

    作者からの返信

    「知的障害児」と「発達障害児」というのは、とても微妙な線引があるんですね。知的障害児として、手帳を持っている子供は親も受け入れざるを得ないところがあるのですが、広汎性発達障害であったりADHDであったりLDであったり、要するに「困ることはあるけど普通の子に見える子」は、障害児であると、なかなか親も受け入れられないことが少なくありません。児童相談所で知能検査をすればわかるし、それを周りに理解して貰って、苦手なことだけでも別の部屋でその子に合った教育を受けたりできれば、子供にとってもラクだったかもしれません。

    確かに、確かにです。親は認めたくないですよ。普通の学校の、普通のクラスで、普通の子供として育ってほしいと、どの親も思うでしょう。だけど、それが、本当に子供のためなのかということを考えてあげてほしいのです。親の変なプライドみたいなもので、子供が辛い思いをしないといけないとしたら、本当に子供が可哀想。

    だけど、そこに、他のお母さんが介入するべきでもない気がします。孤立していることは本人が一番よくわかっていると思うので。こういう場合は、児童相談所が介入すべきことだったと思うのですが、学校と児相って必ずしも同じ方向を向いているとは限らない。難しい問題だと思います。