掌握

 少年との間に、微妙な空気が流れて。そして俺たちはじっと黙ったままお互いをうたぐった。

 俺が、悪人じゃない。ねぇ……?

 この街の住民的には俺は余所者で悪人なのだから、違和感でしかないというのがこの神様の言い分なんだろう。あからさまにこの少年は、俺を善人に構成させることが出来なかったことに動揺している。さて、どのようにして探ろうか?

「まず一つ、確認しても?」

「……なに?」

「君は、この街に祭られている壁神様。それであってる?」

 少年はじっと考え込みながら、しばらく俺の方をじっと観察していあが、やがてゆっくりと口を開いた。

「たぶん、そう……」

「ふうん」

 だが、神さまにしてはあまりにも扱いが雑であるように感じざるを得ない。神様、というよりは人柱とさえ思う。あるいは……人柱が、神の依り代である可能性……。

「だとしても、きみがここにいる理由はないでしょ。今なら俺が連れ出してあげられるよ」

「でも、そんなことをしたらシサイが」

 少年は、そう言いかけて、口を噤んだ。じっとりと汗がにじむこの土の中は、どうしても苦しさを感じる。呼吸がしずらい。肺が水や二酸化炭素で満たされる、おぼれるような感覚がする。壁からも、ぽたりと汗が流れているようで、わずかに差し込む太陽の光が水滴に入り込んで反射させていた。

「なんでここで紫彩サマの話が出てくるの」

「あ、れ……なんでだろう」

「そもそも、紫彩サマって何者?」

「やさしいよね!」

「いや、そういうことじゃなくて」

 ……待てよ?

 なぜ、この少年は紫彩を異様に気にかけるんだろう。

「どうして、紫彩サマのことをやさしいって思うんすか」

「だって、この街で一番、シサイが善人だから。それに」

 少年は、穏やかに優しく微笑んで言う。

「ぼくを、神さまっていわない唯一の人間なんだ」

 そうして、彼はその場に立ち、幼いその体格の背後に大きな影を背負う。壁そのものがかれであるような大きさを俺は感じ取っていた。

「シサイはね、ぼくのことをトウリって呼ぶんだよ。それがぼくの、本当の名前」

「……そう。それが、きみの名前か。〝トウリ〟」

 俺が、彼を見上げながらそういうと、ぱっと表情を明るくさせて彼は心底嬉しそうににっこりと笑う。これだけ見ていれば、年相応のかわいらしい少年にしか見えず、油断してしまいそうだ。

「シサイとおにいちゃん以外誰も読んでくれない名前だけど、うれしい。ありがとう」

 彼は、俺の手をじっと見つめたまま、今度は重たそうな声色で問いかけてくる。

「ぼくからも、おにいちゃんに聞いてもいい?」

「……まあ、どうぞ?」

 すると、少年は、無邪気な表情のままその目を漆黒に染め、こちらを吸い込んでしまいそうなほどに見つめる。

「なんで、おにいちゃんは、悪人なのに、悪人じゃないの?」

 ああ、怖い。

 今すぐここから立ち去ってしまいたいほどに体が震えているのがわかる。あぶら汗がにじんで、頬を伝った。

 しかし、動揺したり、気をやってはいけない。

「どういう意味?」

 すると、彼は先ほどまでの真っ黒な目を淡く透きとおった空色に変えてたどたどしい言葉で話し始める。

「ぼくは、この街を慈悲と調和と善の街にしつづけなきゃいけなくて。それが、ぼくのお仕事なんだってみんな言う。神さまも、そうやっていう。だから」

トウリは、瞬く間に、目元を赤く染めはじめ、そして目から大粒の涙をこぼしはじめる。もともとじっとりと湿っていた土の地面が、ぽたぽたと濃い色を生み出していった。俺は、彼の手を引いて、その場に座るように促して、わずかに震えている手で彼の頭を撫でた。

「だから、なんなの?」

「どうしよう。ぼく、神さまに怒られて殺されちゃうのかな!」

「だれが、そんなこといったんすか、マジで」

「だって……」

 トウリの様子が明らかにおかしくなったことに今更気づいてしまったが、どうしようもならない状態に見えてならなかった。ひとまずは心を落ち着かせようと試みて、大丈夫だから、と声を掛ける。しかし、もうそこには幼子の姿はなかった。

「お前に、果たして何がわかる」

 漆黒の眼にとらわれて、意識が持っていかれそうになった。

 とっさのことで自分の舌を噛み、口の中に滲み始める血の味を感じながら、トウリと向き合い続ける。

 ……いや、たぶんこれはトウリじゃない。

 トウリの中にいる別の何者かが、今、俺に話しかけている。

「トウリくん……」

 俺は、薄れゆく意識に抗いながら、トウリに向かって声を掛けようとしているのだと思う。彼は、それに答えるかのようにして、優しくガラス玉のようにきれいな涙目をこちらへと向けて、少し首を傾げた。

「なあに?」

 ようやっと、重苦しさから解放されたような感じがして、その場で大きなため息を吐く。

「どうしたの、おにいちゃん」

「いや、なんでも。それより、トウリくん、俺に協力してくれない?」

 トウリは、袖で目をぬぐい取り、数回瞬きを繰り返した。

「どんなこと?」

「あー。協力してくれたら、きみが神さまとやらに怒られないようにする方法を一緒に探してあげるってのはどう?」

 これくらいのはったりをかますことくらいは許されるだろうか、と首筋を伝う汗に気が付かないふりをしながら、提案という名の賭けをする。

「ほんとう!?」

 俺の予想に反して、トウリの反応はかなり良かった。決して嘘はつかないように、まあ、できる限りでね、と言うが、当然彼の反応からしてそんなことに気を配っている余裕はなさそうだった。

「ぼくね、知っているよ。ヒュウガおにいちゃんについて調べてるんでしょう?」

 きっぱりと確信をもった大層自慢げな様子で言うトウリは、約束守ってね、と前置きをして、俺にこう言った。

「ひんとはね、倉庫のとおく、だよ。とりさんが鳴いている、みたい」

「はい?」

「よくわからないけどたぶん、こんな感じだったと思う」

「いや、よくわからないのは俺のほうだし」

「でも、これ以上はよくわかんないよ」

 トウリは困ったように眉を八の字にしたが、とはいえ貴重な手がかりだ。よく検討して、彼の痕跡を探さなければいけない。本来は、それが目的だから。

「……とりあえず、俺は一回戻るけど、トウリくんはどうする?」

「ううん、待ってるよ。何かわかったことがあったら教えてね。おにいちゃん」

 彼は、幸福に満ち満ちた笑みをにったりと浮かべて、そして静かにそこに座り込んだ。そこには、主のいなくなった鎖だけが閉める土の上に放たれている。俺は、そのことにすっかり気も留めないまま、またも重たい扉を上げて、戻る。

 その時間を待っていたかのようにして、出た時と寸分たがわないほどの立ち姿で、そこに紫彩は立っていた。薄い唇が、やんわりと開かれ、言葉が発される。

「……神とは、お会いになれましたか?」

「それは、それは、とっても」

 紫彩は、にっこりと微笑みながら、しかし、現実を突きつけるかのように厳しく言葉を放った。

「一条さん、あなたは解き放ってはいけないものを解き放ちました」

 そういえば、鍵開けっ放しであったな……ということを今更のように思い出してしまう。さて、どう言い訳したものかと、頭を回していると、彼は依然として変わらない姿、変わらない表情のままで俺に穴が開いてしまいそうなほどに見つめてきた。

「あのようなことをしても、壁神さまは、逃げられません。それよりもむしろ……」

 まるですべてを見透かしているかのようなその口ぶりに、ふと、トウリの言葉を思い出して、怒りが込み上げてきた。

「あの子が、ここにいるのは、アンタのせいなんじゃないっすかね?」

「だとしても、あなたに関係あることでもないでしょうに。かわいそうですね、神になにをいわれたのでしょう」

 へえ、否定はしない、と。

 表情を変えないから、一見至極冷静に見えるけど、実はその心の内にはわずかにも揺れを感じる。この紫彩とトウリの間に何か白髪有ることは、間違いないのだが、俺は、そのあと一歩を掴みあぐねているような気がしてならない。

「何が神様だ。命をくっだらない信仰に使って、そんなものに慈悲だの調和だの善だのと言い訳がましく縋って、情けないことこの上ないっすねえ」

 あんな幼い子供を鎖につないで、自分たちだけいい暮らしをして、それで何が一体善だというのか。心底わいてくる怒りを必死に押し殺すので、俺は精一杯だった。

「なんといわれようとも。あの人は、誰よりも尊ばれるべき壁神様です。それがゆるぎない事実、なのですよ」

「そうやって、神サマに殺される誰かをあんたはこれまで何人見てきたんだ?」

「……誰のことを言いたいのかはわかりませんが。彼は、自ら神に許しを願っただけの事ですよ」

 紫彩と話していても、埒が明かない。

 俺は、見せつけるようにため息を吐いていた。

「もういいっす。あんたと話していても埒が明かないし、知らなければならないことは自分で調べるんで」

 そうして、俺は司祭の部屋を出ようとする。出口の扉に手を掛けた時、先ほどよりも優しい声色が背を突くように放たれた。

「できるのですか、あなたに」

「神サマを、俺は救済する。そしてこの街の誤った思想を正してやる」

 それ以上は、お互いになにも言わなかった。扉が閉まるのを確認するよりも前に、俺は与えられた自室へと向かって、静かに倒れこんだ。



 

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