灯火

 夢を見た。


 背中にひんやりとした感覚があって、おそらくは寝そべっている俺の横を通り抜ける冷たい風の音がする。そして、さくり、さくり、と何かがさされるような音がして──息が詰まった!

 何か、苦くて呑み込めもせず、飲み物が欲しくなるように口内に張り付くそれを、かじる、はきだそうとする。土だ、これは土だ。ぱさり、ぱさりと徐々に手や足、胴体にまで土が降りかかり、ようやく実感する。俺は、誰かに埋められようとしているのだ、と。数多の命を育んできたこの世の命の源ともいうべきそれにまみれて、俺もまた巡り巡る輪廻の過程で命の源へとなろうとしている。そして、俺のような人間が積み重なり、年月を経て、この地の壁となるのだろうか。いつか、地層を調べるために行われるボーリングで、栄養を何もかも地中生物へと渡してしまった残りのカルシウムが検出されて、調べつくされるのだろうか。

 呼吸が浅くなっていき、もう目も開けられない。

 暗い、暗いんだ、暗い。

 真っ暗な闇にただ翻弄されて本物の恐怖を目の当たりにした俺は、ふと不思議な感覚に包まれた。小さくか弱い誰かに抱きしめられているような……そんな感覚だ。わずかに金属がぶつかりあってじゃらり、という音が鳴る。

 温かい、この冷たい土の中で唯一の温かさだ。これに包まれたい。そう本能が叫んで、引き寄せる。瞬間、俺はその何かに


   ***


 ドア上部にあるガラス張りの欄間から覗くランプがつけられる、その灯りで目が覚めた。寝汗がびっしょりと身を包み、着替えるのも忘れてそのまま来ていた衣服は一日にして不快なものへとなり果てた。

 テーブルの上には、二つのトレイがそれぞれフードカバーをかけられておかれているさまを見ると、どうやら寝落ちていたらしい。よほど疲れていたのだろう。気分はそんなに悪くない。

 そばに置いてあったタオルで一度軽く全身を拭き、ありがたく食事をいただくことにした。一般的な、家庭の夕食と朝食が用意されている。満腹になるには不足はないことだろう。汗でぬれた一張羅をそのまま着るにはすこし気持ち悪くも感じ、せめて朝食時だけでも、と部屋内で干して置くことにした。

 そして、今この瞬間も夢であってほしいと思った。


 この街は、あまりに不自然すぎる。

 改めてそう思った。

 まず、これだけの僻地に、自給自足なしで生活できる資材の豊富さがどこからきているのか。そして、どうして俗世と離れたようなこの地で、電気という科学の産物を用いることができているのか。食べているものも、郷土料理のような特徴を有したものではなく、いたって普通の、一般家庭における食事。着ている服も、決してどこかの民族のものとは言えない、いわゆる洋服である。説明することのできないちぐはぐ感が気持ち悪くなって、そして、考えるのをやめた。

 食事も終え、小窓を開けながら風が部屋を通るのを感じてみると、再び寝たくもなってきたが、ここに来た目的は睡眠ではない。無理やり体を起こした。

 先ほどよりもはるかに着心地のいいだろう服を身にまとい、カメラをしまっていると、ふと扉がノックされた。相手は、紅太郎こうたろうさんであった。

「おはようございます。昨晩はお疲れのご様子でしたね」

「おはようございます。めちゃくちゃよく寝れましたね、ありがとうございます」

 わざわざ呼びに来てくれた理由を聞けば、噂の紫彩しさいサマに話をつけてくれたそうで、今からでもどうかと聞かれた。ほかにやることもなければ、この機会を逃すわけにもいかない。是非、とお願いした。

 今日も相変わらず子どもが、歌や踊りを楽しんでいる。数人で手をつなぎ、輪になって鳥のぬいぐるみをかこっているようだった。かごの中の鳥は……なんて恐ろしい童謡を思い出して、思わず苦笑いをしてしまう。

 とはいえ、聞こえてきたのは、恐ろしい曲ではなく、いわばいろは歌のように言葉と文字で楽しんでこそ、と言ったような歌である。

「とりなくこえす?」

 子どもの一人がそう声高らかに述べれば、数人の子どもがそれに呼応して声を上げる。

「ゆめさませ!」

「みよあけわたる?」

「ひんがしを!」

「そらいろはえて?」

「おきつへに!」

「ほふねむれいぬ?」

「もやのうち!」

 そうして一斉に真ん中の鳥へ手を伸ばす。一番最初に鳥のぬいぐるみを手にしたものが、次に別の子へと投げて渡し、そうして今度はその子が親となって、また同じように童歌を楽しみ始めていた。

 子どもの遊びというものは、どうにも難解なものが多い。それは過去の自分にも言えることなのだろうが、どうやったらあんな遊びを思いついて、十分に楽しむことが出来るのだろう。何をしても不思議なものである。

「子どもたちはいつもああして、自分たちで遊びを考えるのです。あの遊びも、紫彩さまからお聞きした言葉に、自分たちで曲調を考えて、遊びにしたのです」

「へぇ。創造性の高い子たちですね」

「ええ、本当にそう思いますよ」

 さて、紫彩さまもお待ちですから、あちらへ。そう言われ、促された先にあったのは、昨日もみた扉である。しかし、 扉は昨日よりも小さなものに感じる。これなら俺でも入って許されそうな、そんな感覚すらあった。

「では、私はここで。紫彩様がお待ちになっております」

 一度だけ向き直って、うなずき、両の手を扉に添えて力を込めてゆっくりと押す。簡単に扉は開いてしまった。


 開かれた空間には、一際大きな石碑と、周囲を囲む燭台と、置かれている蝋燭、それに灯る小さな火。そしてその中心に立つ黒い姿。

 一目見て、そして直感した。

 彼だ、彼に違いないだろう。目にまでかかる黒い髪、その合間から見える深くて青い眼球。虚ろで焦点が合っていないような、無に満ちたそのたたずまいと雰囲気に、間違いなどあるはずがなかった。何にも染まらない黒い司祭服は、この地における権威を表している。そのようにも思えた。

「あんたが、紫彩サマ?」

 この街へ踏み入ったあの時にも感じたような、じっとり、ねっとりと、気色の悪い視線を再び感じる。ピクリとも動いていない顔に、ここにきてから一番の違和感を抱いた。

「はい、そうです。一条いちじょうかなめさん」

 彼は手に持っていたランタンを置き、蝋燭の長さを気にするように指を添えたと思えば、すぐにそこから興味を外した。そして、口元だけを緩く弓なりにする。

「ようこそ、慈悲と調和と善の街へ。神の御心のまま、貴方を歓迎いたします」

「そりゃあ、どうも」

「ぼくの名は紫彩。どうぞよろしくお願いします」

「……こちらの自己紹介は、いらなそうっすね」

 紫彩サマは、一際装飾の凝っている石碑前に立った一席置かれた椅子に、一ミリの狂いもないように足と膝をそろえ、背筋を伸ばし、両の手を美しく太ももの上に添えた。

「あんまりこの街に長居もしたくないんで、単刀直入に聞きたいことがあるんすけど」

「ヒュウガエイスケの所在が知りたい、ですよね」

 紫彩サマは、うなずくように一度瞬きする。

「存じ上げておりますよ」

 とってもよく、彼はそう言った。

「彼は、神のもとへ行ってしまわれました。そして善に満ちたことでしょう。それからのことは、ぼくにもわかりません」

 ですが、と付け足しながら、彼は先ほど置いたランタンを手に取って、蝋を入れる口を開いたかと思うと、優しく吐息を吹きかけて消した。消える直前まで息にあおられながらもがく火の姿をとても他人事とは思えず、思わず生唾を飲む。

「彼は、神に許されました。彼はもしかすると今も神のもとにいるのかもしれません」

 ……所詮、ヨソ者は、ヨソ者か。

 冷や汗が止まらなくなり、わずかに右手がしびれ始めた。じっと彼の青い目を見つめ続けていると、彼は静かにその目を細めて、そしてわずかに口角を上げる。

「神にお会いになられますか?」

 そう来たか。

 なるほど、この街の人々は、俺に……同じ末路をたどれと言いたいわけか。

「そこまでいうなら、会わせてもらえませんかね?」

 紫彩サマはその答えを待っていたとでも言わんばかりに、奥の扉の開ける。

「では、こちらにどうぞ」

 奥から流れてくるじっとりとした生ぬるい風から土のにおいが鼻に刺さって、息苦しい。

 とはいえ、進まないわけにもいかない。俺はその扉の先へ、警戒は怠らぬように歩いていく。やがてその境界を越えた時、後ろで重たい扉が土を引きずる鈍い音が聞こえてきた。

「くれぐれも、神に失礼の無いよう……」

 紫彩サマのきれいなその声がわずかな隙間から響き、そしてやがて空間が閉ざされた。ここまで来たのならば進むしかない。思わず出てしまったため息を、思いきり吸い込むようにして、先を目指した。

 ここは、牢獄だった。

 道の左手は、土の壁。右手には無人の牢屋がいくつも連なり、そして部屋ごとたった一つ取り付けられた鉄格子の隙間からわずかに太陽の光が差し込むだけの不気味な空間。土に見える白い個体は……これ以上触れるのはよそう。あまりよくないことを考えていては、気がめいってしまう。放置された手錠をながめていても、本当にここに〝神〟が存在するのか? と疑わざるを得ない。

 視線を、進む先に移した。一筋の光が見え、一体どういうことかと俺はそこへ向かっていく。どうやら、道の最深部があの場所らしい。進まない意味はなかった。

 先がない、と足を止めた先に広がっていたのは世界だ。

 柵さえ取り付けられておらず、一歩踏み出せば、地面へ真っ逆さま。どうやら、結構な高さらしい。とはいえ、ここから飛び降りれば、この街から解放されるということは想像がつく。最悪の場合は……世界からも解放されてしまいそうであったが。 

「柵くらい、立てたらどうなんだよ……」

「そんなもの立てたら、許されたい人が許されなくなるよ?」

 声の聞こえたほうに、ゆっくりと視線をやる。

 俺は、どこかこの外から差し込む光を見た時点で願っていた。彼らのいう、神というものは存在しないものだということを。

 しかし、最奥の牢獄の中、鎖につながれたその先には、わずかに差し込む光に照らされて白銀に輝く髪の少年がいる。真昼の太陽のように眩しすぎる白い眼に、俺は、思わず視線を切った。

「こんなにたくさんお客さんがきてくれるの、初めてだなあ……」

 日が十分に当たっていないためか、透き通るように白い頬をわずかに桃色に染めて、あどけない表情をしたその子は鈍い金属の音を響かせながら、こちらに向かってきた。

「ねえ、おにいちゃんがほしいもの全部あげるってヤクソクするから、おねがい」

「……何が?」

「ぼくを、たすけて!」

 何を言っているんだ、と俺は思った。まさかこんな子供が……。そんなわけ、ないよな。

「一つ確認してもいい?」

「なあに?」

「まさか、君がこの壁の街の……」

「そうだよ」

 食い気味に、そしてつまらなさそうにその子は答えた。

「みーんな、ぼくのことを神さまだっていうんだよ。ほんとうに神さまなら」

 彼は、自分の足につながれた鎖を持ち上げて、唇を尖らせている。

「こんなこと、しないよね」

 そこで初めて理解した。

 ここでいう神というのは、所詮は人柱のことなのだ。潤んだ彼の真っ白な目をじっと真っすぐに見つめていると、どうにもむずがゆく、しかしそのままにしておくことのできないような慈愛とも似た何かが心の底から湧き上がってくるのをじっとりと感じる。

「あまりにも残酷っすねえ……」

「でしょう? だからお願い、ぼくのことを助けて……!」

 少年はそう言って鉄格子の中から手を伸ばす。何かをひっかいたような赤い傷で埋まっているその差し出された手のひらがあまりにもかわいそうに思えて……。

 いや、惑わされてはいけない。彼は、このへんてこりんな街の神様とされていることを

「ぼくだって、人間になりたいの! ねえ……お願い……」

 しばらく考えてみて、だが全く答えが出ず。

 しょうがない、と思いつつ、その鉄格子の前に屈んでみた。

 鍵穴の構造を見るに、そこまで難しい造りの錠前ではないらしい。これなら、ピッキングが出来るかもしれない。確か鞄の中にヘアピンを入れていたはずだ。

「ちょーっと待ってて」

「え? う、うん」

 周囲をぐるりと見渡して、誰もいないことを確認してから俺は鞄から雑に取り出したヘアピンに少し細工をしてみる。こんなことをするのはあまりにも久しぶりだからできるかどうかは定かではないけど……。慎重にその鍵穴にヘアピンを通し、鍵のピンを探して鍵開けを試みた。

「なにしてるの」

「ピッキングってやつっすよ」

「ぴっきんぐ?」

「要は鍵がなくても鍵を開けるってこと」

「そんなのっ!」

 上から大きな声が聞こえて、とっさに俺は少年の方をにらみつけた。ここで騒がれて街の人たちがやってきてはどうなるかわかったもんじゃない。

「静かに。人が来たら困るんで」

 毅然としてそういえば、少年はじっとこちらを見つめたままことの行く末を見守っている。

 やっとのことで、最後のピンがはじく音がわずかに聞こえ、そのままピンを回してみればガチャ、という音が聞こえて、少しその扉を押してみれば鈍い音を立て始める。

「さて、次はそれもやるか」

「これも?」

「つけたってことは外れないってことは無いでしょ」

 ここまでやってしまったら、鍵開けの一つや二つ変わらない。ましてや足枷の鍵は、見た目だけでも扉の鍵を開けるより容易そうだ。

「さあ、大人しくしてるんすよ」

「……わかった」

 少年は、自分を縛るものがなくなることに対しての不安や恐怖の表れか、小刻みに体を震わせているみたいだった。俺は、鎖に繋がれたその震える足を静かに手に取り、自分の膝にのせて開錠を試みる。

 思った通り、あっちの鍵よりは簡単かもしれない。さっきよりもスムーズに小気味いい音が鳴って、ガシャンと激しい音を立ててその枷は外された。

「よし。これで終わり。きみは晴れて自由の身ってことだね」

 現実を受け止めきれないような潤んだその瞳でじっとこちらを見てくる。

「あ、りがと?」

「どういたしまして。って言われる義理も言う義理もないんですけど」

 ここからが、本題なのだから。

「さて、それじゃあ改めて教えて? 俺が欲しいものは、日向栄助という人の情報、てか、その人の持ち物。どこにある?」

 少年は、激しい瞬きを繰り返して、その後目を逸らした。

 この反応……なにかあるのは間違いなさそうだ。

 彼の異変を見逃さないようにと、じっくり彼を観察していれば途端!

 鍵を開けたきりそのまま降ろされていた、俺の右手を少年は掴んだ。そして祈るように右手は包み込まれて、か弱いながらも力を感じる。

「な、なにしてるの」

「……なんで」

 少年の目が黒鉛よりも黒い、光を一切受け止めて返してくれないような深い黒になって俺を射抜く。この不安は、どこかで感じたことがある。

「なんで、おにいちゃんは、悪人、じゃないの?」

 この少年は、やはり人間などではなかった。

 この子は……まごうことなき壁の神。

 突如として、頭に浮かんだ「慈悲と調和と善の神」という言葉が嫌にしっくりきて、俺は紫彩という男の姿を思い出していた。

 

 

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