4

 サイゼリヤでは閉店まで粘ったんで、すっかり深夜になり、イズミを家まで送ってくことにした。警察署まで帰ると、もうマスコミの姿は消えてて、車の鍵を返してもらった後、一般来客用の駐車場に移されてたR1にイズミとヒトミを乗せた。助手席を使うと後部座席はひどく狭くなるんだが、ヒトミもさすがに食いすぎたのか、車を走らせるなり横になって寝息を立て始めた。あ、そういや、R1の助手席に人を乗せるのは初めてだな。でもいつかイズミを乗せる日は来るんじゃないかって、そんな気はしてた。

「かわいい子ね、ヒトミちゃん」

 そう言ったイズミの声は優しかった。サイゼリヤに入ってすぐ、ヒトミに対して冷たかったイズミの声は、そういう風に作ってたんだなって分かった。

「俺の自慢の娘なんだ」

 俺はイズミにそう伝えた。誰にも言えなかったけど、言いたくなかったけど、イズミになら言ってもいいかなと思ったんだ。

「可愛くて、優しくて、すごく賢い子。でも、結婚してない男女が養子を取るのはほぼ無理だってことは、知らなかったみたいね」

 イズミの言葉に、俺は当時のことを思い出す。昔から、イズミの男運はあんまり良くなかた。俺とずっと一緒にいたからそうなったんだって言われりゃ、返す言葉もねえけど。イズミの妊娠が分かってすぐ、当時の彼氏とは連絡が取れんくなった。まだ三か月ぐらいだったか。堕ろそうと思えばできたし、イズミもそうしようとしてた。それを止めたのは俺だ。

「お兄ちゃんに産婦人科に着いてきてもらって、『俺が育てる』って急にお医者さんに啖呵切ったとき、このひと、頭おかしいんじゃないかって思った」

 イズミはそう言って、ふっと笑う。あんときは、イズミと毎日大ゲンカしたな。けど今はこんなふうに笑える。十五年も経ったんだ。

「ヒトミに再会してみて、どうだった?」

 俺はそう尋ねた。深夜の幹線道路は長距離トラックがたまにいるぐらいで、すいすい進む。隣町にあるイズミの家まであっという間だ。もっと話してえ。あとちょっとだけ。

「会ってみても、変わらないよ。私はやっぱり、もうお兄ちゃんと暮らす気にはなれない」

 イズミはそう答えた。訊いてもねえのに、答えは正確で、俺の訊きたいことはイズミに全部分かられてる。昔からそうだったし、今もそうなんだ。

「あ、でも、昔と理由は違うよ。昔は、あの頃は、お兄ちゃんに寄せられてる気持ちが苦しくて仕方なかった。でも今は、お兄ちゃんは私よりもヒトミちゃんのが大事なんだって分かったから、そこに私が入る余地はないなってだけ」

「ちげえよ」

 俺はとっさに言い返した。

「俺はずっと、この十五年間ずっと、イズミのことを待ってたんだ。いつか三人で暮らせる日が来るんだって、そのことをずっと楽しみにしてたんだ。だって俺は、イズミを……」

 好きなんだぜ、って言いかけて、言えなかった。後ろでヒトミが寝返りを打ったからだった。なんでこんなことで、俺は一番大事なことを、今まで一度も言えなかったことを止めちまうんだ。ヘタレが。ヒトミに聴かれたっていいじゃねえか。けど俺は、もうヒトミに嘘なんてつきたくねえんだよ。どうしてか今イズミにそれを言えば、嘘になっちまう気がする。

「もう『あのこと』なんて、言っちゃ駄目だよ」

 もう数分でイズミの家に着きそうだった。だからか、会話の終点を見定めたような言い方だった。あの頃、イズミと俺は同じ家で暮らしてて、こうして離れることなんてなかったから、会話は永遠みたいに思えてた。それが今はイズミも上手に別れようとする。あまりに上手なその口調が寂しくて、愛おしかった。そうだ、寂しいってのは、愛おしいってことなんだ。だから、さよならの気持ちは永遠なんだな。

「私とお兄ちゃんが他人で、お兄ちゃんとヒトミちゃんの血が繋がってたらよかったのに、そうじゃないんだから」

 マンションの前に車を停め、ギアをパーキングに入れてサイドブレーキを引いた後、うん、と頷く。最後になるかもしれねえその言葉を俺は慎重に選ぶ。

「ヒトミな、GLAY好きなんだよ。渋いだろ?」

 ヒトミ、ちゃんと寝てるよな。聴いてねえよな。聴くなよ、ぜったい聴くなよ。こんなんヒトミに聴かれたら、俺は恥ずかしくて死んじまう。

「俺はそれがすげえ嬉しいんだ。俺とヒトミの青春が繋がってる気がする。だから俺は、ヒトミと同い年ぐらいのときに、ヒトミに会いたかったと、そう思うことがあんだ」

 よっしゃ、勇気出した。言いたいこと言えた。初めて好きな子に付き合ってくれって言ったときよりずっとキツい、イズミの子どもを俺が育てるって言いだしたときよりずっとキツい、一世一代の告白だった。

「お兄ちゃんのなかで、もう結論出てるじゃん」

 イズミはそう言って、俺の左手を握った。あの頃、車の狭い後部座席でおしゃべりをしてたときと同じように、ぐうぱあぐうぱあした。あんときは右手だったから、違う手に違和感があった。今は左手は誰のためにあんのか、俺はもう知ってる。

 ああこいつだ。やっと見つけたぜ、シゲチー。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る