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 警察署の周辺にはファミレスはなく、鉄くさいドブ川沿いを南下し、阪神本線の高架下を東に歩くと、電車のじゃんじゃかした音が数回とおりすぎた頃にサイゼリヤが見つかった。さすがに今日ばかりはイズミのぶんも奢らなきゃいけねえと思ってたが、財布の中身に乏しいんで、安い店が見つかって助かった。サイゼリヤは廃れた工場地帯のなかに不似合いな緑色の看板を目立たせてて、昼過ぎっつうこともあり、客はほとんどいなかった。すぐに窓際のボックス席を案内してもらった。サイゼリヤに向かうまでの道中も、サイゼリヤに入ってからも、誰も口を開かんかった。

「イズミ、ヒトミ、なに喰う? 今日は俺の奢りだ。好きなもん食えや!」

 俺はテーブルのうえにメニューを広げ、わざとらしく明るい声を出した。俺の正面に座ったイズミはメニューは見てなくて、気怠そうにほそっこい肘をつき、窓のそとに寄る辺ない目線を投げてた。髪をアップにしてるから、相変わらずきれいな耳のかたちが分かる。あ、ピアス、開けたんだな。俺の隣に座ったヒトミは、テーブルに両の握りこぶしを乗せてファイティングポーズみてえな前傾姿勢を取り、食い入るようにイズミの横顔を睨んでた。

「ヒトミちゃん、言いたいことがあるなら早く言ってよ。ごはん、不味くなるでしょ。私も早く帰りたいし。仕事中に呼び出されたんだから」

 イズミはそっぽを向いたまま、ひどく他人行儀な冷たい口調で言った。こんな気が強い子だったっけ。いや、イズミと会わない十五年のうちに、俺が理想化してただけなのか。

「敢えて呼ぶけど。お母さん」

 ヒトミはソファに座り直し、体勢を整えて、噛みつくような猛々しい声で言った。

「お母さん、ミキオと兄妹だったんだね。苗字が同じだから、てっきり結婚してるもんだと思ってた。なのに『離婚届を出す』とか言ってわたしを期待させて、ひどいと思う」

 ヒトミの語調は強いわりに声が震え、テーブルの下にとっさに隠した右手も激しく波打ってた。

「勝手に期待したのはヒトミちゃんでしょ。だいたい、離婚届を出すよう迫ったのはヒトミちゃんじゃない。その通りにしたつもりだけど?」

 イズミはヒトミの追及をさらりと躱すかのごとく余裕のある微笑みを見せた。

「なんでわたしを養子に取ったの? 兄妹で結婚ごっこでもしたかったの? わたしはふたりの愛情を確かめるための道具だったの?」

「それはお父さんに訊きなよ。養子を欲しがったのは彼だから。私は反対だったし、それは養子を取ってすぐに私が彼の元を離れたことからも分かるでしょ」

「ミキオのせいにするわけ? 最低。無責任」

「事実を言ってるだけじゃない。事実で不満なら、どう答えたら満足なの? 『私たちは愛し合っている兄妹でした。でも結婚はできないし子どもも作れないから、ふたりの愛の証として、せめて養子を取ることにしました』とか、嘘でもつけばあなたは引き下がるの?」

「引き下がるとか引き下がらないとか、そういう話はしてない」

「じゃあ何の話をしてるの? 結局ヒトミちゃんは、私に嫉妬してるだけじゃない。お父さんが好きで、でも血縁がないから、ちゃんと血縁のある私に絡んで憂さを晴らしたいだけでしょ。どうしようもできないのよ。私とお兄ちゃんは離婚できないし、血縁を失くすことはできない。もういいかな? 私はあなたのサンドバッグじゃないのよ。お父さんとの愛情を確かめるための道具として、私を使ってるのは、あなたのほうじゃない」

 イズミはこれが結論とばかりにきっぱりとした口調で言うと、左手首をひねって銀色にきらめく高級そうな腕時計を確認した。ああ、もう行くんだな、と分かった。ヒトミは項垂れて、しんと黙り込んじまった。俺に言えることはねえ。俺はイズミの気持ちもヒトミの気持ちも分かんない。だから、なんもできねえんだ。ヒトミの言ったとおりだ。俺は甲斐性なしで、キングボンビーで、気の利いた演技ひとつできねえニセ古田新太で、仮性包茎の童貞なんだ。イズミが俺のとこを去ったときから何も変わってねえじゃねえか。あんとき、あと少しの勇気がありゃ……。

「ミキオは、」

 ヒトミが俯いたまま、せいいっぱい強がった声で反論しようとした瞬間、イズミは、

「だから! 彼をミキオって呼ぶのは止めなさい! あなたももういい年の女だから分かるでしょ、そういう都合のよさ、不愉快なのよ!」

 といきなり感情を露わにした口調でぴしゃりとヒトミの言葉を封じた。

 ふいに俺の手にやわらけえもんが当たった。ヒトミが俺の手を握ったんだって分かった。ヒトミの手の震えはだんだんと収まり、そんで、あったかくなった。俺の手なんかで、お前は安心してくれんのか。そうだ、お前はいつも、俺のことを信じてくれたじゃねえか。ド貧乏でもいつも明るくて、毛が生えたら見せてくれて、友だちに俺なんかのことを自慢してくれて、怒ってくれて、笑ってくれて、そんで……。

〈ピンポーン〉

 静まり返ったサイゼリヤ内にチャイムが響いた。俺の手、ヒトミの手を握ってないほうの右手は、気づいたら店員を呼ぶボタンを押してた。くりぃむクイズミラクル9の古田新太も真っ青になりそうな早押しだった。やってきた店員が上田晋也に見えた。

 イズミ、ヒトミ。聴いてくれ、これが俺の答えだ。

「ここからここまで、全部ください」

 シゲチーが教えてくれた、「家族」を見つけるための方法。俺は初めて、それを試してみてえと思ったんだ。

 イズミがようやく俺を見た。ヒトミの目線が俺に向けられた。そんでふたり揃って、こう言ったんだ。

「馬鹿じゃないの!?」

 やっぱおめーら、母娘だよ。

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