第18話 世界中の人に

 和寿かずとしは、水を一口飲んでから、


「学園祭、どうするって話なんだけど」

「え?」


 ワタルは驚いて、目を見開くと、


「その話をする為に、わざわざここに来たんだ? 学校でも電話でも話せたのに」


 ワタルの言葉に、和寿は頭を掻きながら、


「いや。何かさ、ここで食事もしたかったし。そうだよな。学校でも電話でも良かったかもな」


 いつでも堂々としている和寿が、軽く混乱している様子を見て、ワタルは、可愛い、と思い、小さく笑った後、


「わかりました。ここで、僕に会いたかったんだね」


 からかうように言うと、和寿は、「あー」と言いながら頷き、


「確かに、そうかもな。ここに来ればおまえはピアノを弾いてる。その音楽が聞きたかったのかも」

「えーっと。はい。わかりました。ちょっと冗談を言ってみただけだったんだけど」


 真面目に返されて、ワタルは、つい顔を伏せた。顔が赤くなっているのを感じる。冗談なんか言わなければ良かったと、少し後悔していた。


 和寿は、そんなワタルの気持ちには気付かないように、「それよりさ」と話し始めた。ワタルは、顔をゆっくりと上げると、「何?」と訊き返した。


「曲、どうする? ワタルさ、何かやりたい曲は?」


 和寿の問いに、ワタルは身を乗り出すようにして、


「この前弾いた、バッハの無伴奏バイオリンソナタを弾いたら?」


 が、ワタルの答えに、和寿は肩をすくめてから、首を振った。


「ワタル。違うだろう。オレは、おまえと二人で演奏しようとしてるんだぞ」


 ワタルは、和寿の真剣な表情を見て、はっとした。「あ……」と言った後、再び俯くと、


「そうだよね。ごめん。あの……あのソナタね、すごく良かったから……感動したから……世界中の人に聞いてもらいたいと思ったから……それで、つい……」


 ワタルの弁明に、和寿の表情が柔らかくなった。


「そうか。ごめん。ありがとう。そうだな。世界中。本当にそうなったらいいな」

「そうだろう。僕もそう思う。だから、君が留学したいなら、僕は応援する。その時は一緒に演奏出来なくなるけど、でも。僕は応援します」

「じゃあさ、一緒に留学しよう。そうしたら、一緒に演奏、出来るかもしれない」


 和寿が嬉しそうに提案してきたが、今度はワタルが首を振った。


「そんな。それは全然現実的じゃない。そもそも、僕は留学希望じゃないし」


 和寿は、首を傾げて、「え?」と言った後、「何故だ?」とワタルに訊いてきた。ワタルは、思わず息を吐き出し、


「何故と言われても……。あ、ほら。話がそれた。曲を決めなきゃ」


 それでようやく二人は意見を出し始め、候補曲が何曲か決まった。後日合わせてみて、最終決定することにした。


「だいたい決まったね。良かった」


 ワタルがそう言った時、店長がそばへ来て、「時間だよ」と言った。半分くらい残っていたが、諦めた。


「和寿。食べかけで悪いんだけど、後は君のお腹にしまってください」

「わかった。いただきます」


 そう言って、すぐに食べ始めた。自分で注文した物も食べたはずだが、よく食べられるな、と感心しながらピアノに戻った。

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