第13話 変化

 夏休みが終わって最初のレッスンの後、「何かありましたか?」と宝生ほうしょうが訊いてきた。ワタルはその意味を図りかねて、首を傾げた。


「音が、良くなりました。休みに入る前より、格段に。きっと、音が変わるきっかけがあったんだろうと思いました。で? 何があったんですか?」


 褒めてくれているらしいことがわかった。


「それは、たぶん……」


 発表会を聞きに行ったことが、自分の音を変えたのだろう、とワタルは思ったが、上手く説明出来るだろうか。


 和寿かずとしのバイオリンの演奏を聞いて、号泣したこと。音楽の、説明の出来ない圧倒的な力を全身で感じたこと。


 考え考え伝えると、宝生は深く頷き、


「そうですか。いい体験をしたんですね。それで、君。プロになりたいって言ってくれないんですか。油利木ゆりきくんの為にも、プロを目指してみてはどうですか」

「それは……出来そうもないです。僕より弾ける人なんて、いっぱいいますから」

「挑戦すらしないと言うんですか。まだ、一年生でしょう。諦めが早過ぎです。では、何になりたいですか」


 今日の宝生は、簡単に話をやめてくれないようだ。ワタルは一礼して、「ありがとうございました」と言うと、レッスン室を後にした。


 和寿の演奏を聞いて、音楽の力を本当の意味で知った気がする。自分もそんな演奏が出来れば、と思った。


 が、そう思うそばから、そんな大それたことが自分に出来るはずはない、と否定したくなる。確かに宝生が言うように、挑戦すらしないで諦めようとしているのかもしれない。


 ぼんやりと考え事をしながら廊下を歩いていると、人にぶつかってしまった。


「あ。ごめんなさい」


 あやまってからその人を見ると、由紀ゆきだった。彼女は、ワタルをギッとにらむと、


「ちゃんと前見て歩きなよ」


 強い口調で言う。ワタルは頭を下げながらもう一度、「ごめんなさい」と言ってから、


「ちょっと……考え事をしていて……」

「和寿のことでも考えてたの?」

「いえ。そうではなくて……」

「あら、違うの? かわいそうな和寿。きっとあの人はあんたのこと、考えてるわよ」


 突き刺すような言い方だった。ワタルは驚いて、口をつぐんでしまった。


「あの人、夏の発表会に、私のことは誘わなかった。去年まで一緒に参加してたのに。あんたを誘ったんでしょ。私、あの人と付き合ってるんだよ。でも、誘われなかった。あんたは誘われて、私は誘われてない。あの人は今、あんたのことばっかり考えてるんだよ、きっと」

「そんなはずは……」


 ワタルが口ごもると、由紀は、


「そんなはず、あるんだよ。もう……あんたなんか、大嫌い」


 そう言い放つと、由紀は、床を踏みしめるようにして歩き始めた。


 和寿の伴奏を交代した一件から先、講義で一緒になると、いつもにらまれていた。が、今日はその比ではない。


(怖かった……)


 心の中で、そう言わずにはいられなかった。

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