第12話 感涙

 ロビーのソファに座らされた。和寿かずとしは、ワタルの隣に座ると、バイオリンと弓をソファの座面にそっと置いた。大事にしてるんだな、と泣きながら思った。


 和寿はワタルに、何で泣いているのか訊かない。ただ、さっきまでバイオリンの顎あてに置いていたハンカチを、裏返しにしてから渡してきた。


「ごめん。これしかないんだ。拭きなよ」

「でも……」

「いいから、気にするな」


 遠慮なく拭かせてもらった。あっという間に絞れるくらいになってしまった。一体、どれだけ涙は出てくるのだろう、と呆れていた。


 数分で落ち着くと、急に恥ずかしくなって、「ごめん」と小さな声で言った。和寿は、ワタルの肩に手を回し、軽く叩いた。


「何、あやまってるんだ? オレさ、今、感動してるんだけど。オレの音楽を聞いて、何か感じてくれたから、だろ? さっきの涙」


 ワタルは頷き、


「何だかわからないんだけど、すごく、すごく感動して、鳥肌立っちゃって。最初から最後まで。上手く言えないけど。そしたら、涙が止まらなくなっちゃって。すごく恥ずかしい」


 和寿は、ワタルの頭を撫でながら、


「ありがとう。オレは、本当に嬉しい。なあ、ワタル。音楽ってすごいよな。オレ、やっぱりプロになる。絶対なる。それで、世の中にこんな素敵な音楽があるんだって教えてあげたい。何だかわからないのに出る涙って、本当の、心の奥から出てきた涙だろう。オレは、その力を信じる」


 和寿は正面を向いたままワタルの頭を撫で続け、熱く語った。が、急に声の調子を変えて、


「おまえがプロのピアニストになってくれないなら、いいよ、それでも。オレは、無伴奏の曲ばっかり弾くから」

「え?」


 驚くワタルに和寿は笑い、「冗談だよ」と言った。


「今日は来てくれてありがとう。本当にありがとう。嬉しかった」


 和寿は立ち上がり、「ここで待っててくれ。楽器をケースにしまわないと」と言って去って行った。


 触れられた肩と髪に、彼の感触が残っていた。

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