第11話 発表会
発表会の当日、ワタルは朝から落ち着かなかった。あと数時間で、
今度プログラムを渡す、と言われたが、あれからお互いの都合が合わず、もらっていない。したがって、彼が何を弾くのか正確なところはわからない。
昼過ぎに会場へ向かった。もうホールに人を入れていた。少し遅くなってしまったようだ。
「ワタル。来てくれてありがとう。はい。プログラム」
和寿がそこにいた。びっくりして、彼を少し見上げた。
「和寿は、スタッフ?」
「スタッフでもある。オレは、おまけで出るだけだから。それまでは、雑務を手伝ってるんだ」
「それはご苦労様。じゃ、また後で」
ワタルは和寿に手を振って、中に入った。
一列目で聞くのが好きだ。演奏者の手の動きがよく見えるし、息遣いがすぐそばで感じられるからだ。
誰も座っていなかったので、一列目のやや左寄りに座った。プログラムを見ていると、五分前のブザーが鳴った。徐々に会場が静まり、女性がステージに出て来て挨拶をした。たぶん、和寿の母親だろう。
小さい生徒たちが、次から次に演奏していく。ワタルは、自分の小さい頃を思い返していたが、こんなに可愛らしくはなかったな、と苦笑した。
ファルファッラのスタッフからは可愛いと言われるが、それまでそんなことを言われたことはなかった。たぶん、可愛げがない子供だったのだろう。
いろいろと考えを巡らせている内に、第一部は終わった。出演者の集合写真の撮影があり、その後、彼らは解散した。
二十分後、第二部が始まり、少し長めの曲が演奏されていく。それぞれ個性があり、興味深く聞いていた。
そして、最後に和寿が登場した。演奏する曲は、バッハの無伴奏バイオリンソナタ第一番だ。
彼はステージの中ほどに立つと礼をして、楽器を構えた。表情が、一段とキリっとする。自分のことのように緊張が走った。
弓が楽器に降り、一音目が鳴った瞬間、鳥肌が立っていた。
(こんな音、聞いたことない……)
心の奥深くで音を感じている。こんなにも感じ入ったことは、今までそう何回もはなかった。身動きも出来ずに、ただ彼を見つめ音を聞いていた。
何分位そうして弾いていただろう。一瞬のような、すごく長かったような、不思議な感覚だった。
弓が楽器から離れた時には、思わず立ち上がり、拍手。我慢していた涙がこぼれ出た。
弾き終えたばかりの和寿がワタルを見て、「え?」と言った後、ステージ脇の階段を下りて、ワタルのそばへ来た。
「どうした?」
和寿に訊かれても、首を振ることしか出来なかった。
ステージを下りて行った和寿を、母親が呼んでいた。が、和寿は、「ごめん。無理」と言って、ワタルの手を握った。涙をぼろぼろ流しながら和寿を見ると、彼は頷き、
「ロビーに行こう」
「え?」
そのまま手を引かれて、ロビーに連れて行かれた。鼓動が速くなり、苦しかった。
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