第5話 出会い

 入学式の日、学長からの祝辞を受けて、新入生を代表して和寿かずとしが舞台に上がった。


 学長に向かって礼をすると、手に持っていた紙をゆっくりと広げていった。マイクの向きを少し直すと紙に目をやり、


「桜咲く美しいこの日に、私達は入学を許されました。これから私達は、本格的に音楽の世界に入って行きますが、諸先生方、どうか私達をお導き下さい。音楽に精進していく事をここに誓います。

 総代そうだい バイオリン科 油利木ゆりき和寿かずとし


 声がとても良かったので、この人は声楽科の学生だろうか、と思ったが、違っていた。声楽科の学生ならば、歌っているのを聞いてみたい、と思うような声だった。が、バイオリン科と言われれば、バイオリンを弾いているところを見てみたい、という気持ちにもなった。


 それが、和寿の存在を知った日だった。


 食事を終えてピアノ演奏に戻ってからも、ワタルは彼らのことが気になっていた。が、仕事中だと自分に言い聞かせ、なるべくそちらを見ないように努めた。そうしている内に、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、ピアノの演奏に集中出来るようになっていった。


 ピアノの正面の壁に掛けられている時計を見ると、もう最後の曲を弾く時間になっていた。深呼吸をしてから、弾き始めた。曲の途中でゲストは宝生ほうしょうたち三人を残すだけになったので、手を止めた。すると、和寿がそばに来て、


「何でやめるんだよ。最後まで弾いてよ。聞きたい」

「いや。でも、それがここでのルールなんですけど」


 反論してみたが、和寿は聞いてくれない。


「弾いてよ。続きからでいいからさ」


 それに乗っかるように、宝生も、


吉隅よしずみくん。続きを弾いてください」


 この人には逆らえない、とワタルは諦めて最後まで弾いた。三人は大きな拍手をくれた。


「あの。ここでは、僕、拍手をもらったらいけないんですが。そんなに目立ったたらいけないんです」


 ワタルが自分の立場を説明するが、宝生は涼しい顔で、


「今日は特別です。いいじゃないですか」


 微笑を浮べている。ワタルは、大きく息を吐くと、


「先生。良くないです」

「いいじゃないですか」


 宝生と言い合いしていると長田ながた店長が来て、ワタルと宝生の肩を同時にぽんと叩いた。


「はい。ブレイクです。吉隅くん。油利木くんと演奏してくれるって聞いたんだけど、本当にやってくれるのかい」

「はい。油利木くんに頼まれたので」


 そう言って、ワタルが油利木をみると、彼は頷き、


「どうしても合わせてみたくなって。店長。ここを使わせてくれて、ありがとうございます」


 店長に向かって頭を下げた。店長は、にやっとして、


「で? 何を聞かせてくれるのかな?」


 楽しそうに言った。和寿は、「そうですね……」と言って、バイオリンケースから楽譜を何冊か取り出して考えた後、ワタルに楽譜を渡してきた。



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