屍竜の翼 その2

 結局、俺たちの冒険は翌朝から出発することになった。

 二頭立ての開放式馬車が引き出され、俺とオルフェ、ミラベルが車内に座り、立ち乗り式の御者席にゾーエが入る、お馴染みの形だ。

「お出かけなんて嬉しいわ。外に出るのも久しぶりね」

 肌を隙間なく黒い包帯で覆い、喪服のような黒いドレスを着たミラベルが笑った。

 ゾンビの体組織は日光に極めて弱い。その為こうして肌の曝露を防ぐような恰好をさせねばならないのだが、全くこれが面倒でならないのだ。

「お前のためにこうして労をかけたのだから、今日はたっぷり活躍してもらうからな」

「ええ、ええ。ドリジャ―ル卿。私、オルフェウス様と貴方に従いますわ。そのように作られておりますもの。ねぇ、ゾーエ」

 ぎこちない震えを伴いながら台上のゾーエは頷く。

「とりあえず旧街道にでたいから、一旦村まで出よう。頼むよゾーエ」

「かしこまり、ました」

 手綱が揮われて馬車が動き出すと、間もなく館の門扉を通り抜けて村へ続く道へ出た。

 村というのはローズ&メイ館に最も近い集落で、正しくはスナイ村というらしいが、俺たちは専ら村とだけ言っている。

 村と言っても住民の大半が牧畜で潤っているために規模の割に栄えている、鄙びているが肩の凝らない過ごしやすい村だ。

 それこそ小僧の頃などはオーラムセンの所に遊びに来ると、村まで抜け出して随分と手ひどい悪戯に精を出したりもしたな、などと、過去の思い出が記憶の片隅をよぎった。

 村の中を通って旧街道へ抜ける途中、俺たちは村の薬局に立ち寄った。ミラベルのために手持ちの包帯を使い切ったオルフェが補充をするためだった。

 商品を受け取って勘定を支払う間、じろじろと横目にミラベルとゾーエへ視線を向けていた。

「どうした番頭。俺たちの連れに、何かあるのか」

「へっ? ああ、いや、なんでも。お二人はオーラムセン様のお客人で?」

「それがどうした? 俺たちがどこの客分だろうと関係ないだろう」

「ええ、ええ、まったく、その通りで……」

 慄きながら勘定を受けた番頭を尻目に、包帯を包んだ紙袋を片手に馬車に戻り、ゾーエに出発させる。

 すり減った舗装道で車が揺れる中、オルフェが肘で俺を突いた。

「ドリジャったら意地が悪いよ。何でもない番頭を苛めちゃあいけないよ」

「ああいう遜った態度は癇に障るんだ。もっと堂々としていればいいものを」

 馬車がやがて村を通り抜け、旧街道へと入って行く。すり減った舗道の上はそれでも未だ道としての機能を存分に果たし、ビッグレッドシャーの地平をまっすぐ伸びていた。

 この旧街道は地図で確認したところではローズ&メイ館の北西にあった囲い地の境界線を部分的に沿っていたはずで、進んでいるうちにだんだんとそれが分かる地点にやってきた。脇から首を伸ばせば、緩やかな盛り土の上に低く築かれた囲い地を示す石垣の残滓が見えるのだ。

 オルフェが手指示を出して馬車を止めさせると、きょろきょろと周りを見回していた。

「うーん、古地図ではここからでも湿地帯が見えるはずなんだけど」

「それは無理だろう。見ろよ、旧街道に沿って牧場が広がっているじゃないか。湿地だったらこんなものは作れない」

 おそらくステラ・フラッグ卿とその一族が代々に渡ってこの地の湿原を開発して、人の産業に適した地に変えていったのだろう。

「オルフェウス様、私にも外を見せて下さいな」

「うん、待ってね」

 オルフェが馬車の幌を畳むとミラベルは身を乗り出して外を見た。黒尽くめの女が広がる地平を車上から見下ろす様子は青空を背景にした異様な景色だった。

「綺麗な土地ですわね。本当に、遠い所に来たという気がします」

「今までずっと屋敷に引っ込んでいたからね」

「それもありますけど、こうして見晴らしのいい場所で、大きな建物もない場所に立つと、プリシィアの王宮から本当に遠く離れた場所にいるのだと実感するのです」

 ミラベルは不遇な姫君として生を受け、死んだ娘だった。生きていてはきっとこんな景色を見ることはついぞ叶わなかったかもしれない身だ。そう思えばそんな感想も出ようものだろう。

「本当、今思えば死んで良かった」

 ……まぁ、何を思うかは人それぞれであるが。

「それでオルフェ、この後はどうする」

「うん。まさか完全に湿地帯が消滅したなんてことがあるとは思えないから、多分もっと北方に進めばあるんじゃないかな」

 オルフェの視線は旧街道に沿って広がる放牧場にある、細い枝道に向けられていた。

「いくか」

「いこう」

 そういうことになった。

 

 素人普請の細道に乗り出すには、この馬車は聊か大きすぎた。

 ついさっきまでのどかな田舎道を落ち着いて走っていたはずなのに、絶えずガタガタと揺さぶられ、尻を打ち付け、頭をぶつける。

 車輪がわだちを削って沈み込むたびに小さく軋みを上げるのを聞き、俺は嫌なものを感じた。

 だがそんな苦労をしながらも道を進んだ甲斐は多少なりともあった。

 というのも、道の途中で牧場地で働く牧夫を見つけたのだ。

 見慣れない馬車が自分たちの道を走っているということで、ひどく興味を惹いたのだろう。

 俺たちが車を止めて誰何するとすぐに答えてくれた。

 そしてオルフェの想定はやはり当たっていたのだ。

「そうか、やはり湿原はもっと北方に残っているんだね」

「ええ、ええ。残っておりますよ。誰も近づきやしませんがね」

 牧夫は足元を指さした。

「ここに領主様が昔敷かれたといが埋まっとってね。湿原まで続いてる。そっから水を引っ張って貯水地に送って、そっから今度は上水をこっちに流すようになってる」

「へぇ。便利なものだね」

「まったくさぁ。俺は学がねぇからどうなってんのかさっぱりだけどよォ、樋が割れたり穴空いたりしないようにせねばならんのよ。だからあんたらも気ぃ付けてくれよ」

「うん。ありがとう」

 オルフェは気持ちよく応えて馬車を走らせた。再び体を打ち付ける悪路に打ちのめされながら、オルフェは言った。

「やはりオーラムセンの一族が土地改造をしていたね。水源だった湿地が後退してこの辺りを乾いた土地に変えたんだ」

「だがどうして一旦貯水地に送るんだ? もっと近くで浄水すればいいだろうに」

「忘れたのかい? この湿地の水はドラゴンによって毒に侵されたって古文書にあったじゃない。多分簡易な浄水機能じゃ太刀打ちできないから、もっと大規模な浄水場が必要になったんだ。……ミラベル、そこの鞄から地図を出して」

 激しく打ち付けられる車内を掻い潜り、ミラベルが鞄から出した地図をオルフェは手の中に広げた。

「……うん、そうだ。ローズ&メイ館の東に、この一帯に上水を提供してる浄水場がある。ビッグレッドシャーは雨があまり降らない土地だから、他の場所への水源も兼ねているんだろうね……」

 細道を行く馬車に揺られながら見える景色は、やがて牧場地から灌木がまばらに生える荒れ地に変わった。細道は溶けるように途絶えたが、牧夫が言っていた樋を埋めた痕らしき土の線が地面にまっすぐと刻まれているのが見えた。

 俺としては体のあちこちを車内に打ち付けて回るのが終わって一安心というところだ。

「あら、いけないわ」

 車内から身を乗り出して体を伸ばしているとミラベルが言った。

「どうかしたかい? ミラベル」

「腕が折れてしまいましたわ」

「は?」

 振り返るとミラベルの細い腕が、あらぬ方向へ曲がっている。

「うおっ!?」

「どうしましょう、オルフェウス様。腕が動かなければお仕えできませんわ」

 まるでちょっと服が汚れた程度のことのように嘯くミラベルの姿はかなり不気味だった。ゆらゆらと曲がってはいけない箇所から折れている腕を揺らめかせて、文字通り魂に刻まれた主人に助けを乞うていた。

「こりゃまずいねぇ。ああ、でも、その前に。そろそろ目的地の近くだ。ゾーエ、そこの石の前に馬車を止めるんだ。そう、その石の柱の前に」

 万事理解した黒い巨漢の従僕は手綱を揮って馬車を道から外し、先の零れた石の角柱が突き立っている原野へと乗り入れた。大地は平坦だが軟質なのか、車輪が沈みこんでいるようだった。

 石柱に近づくとそれは馬車の車上からでも見上げるほどの高さがあった。 

 馬車が停まった。風雨に晒されて色褪せ、ひびの入った石柱の前に降りると、オルフェはミラベルの腕を見るために鞄から外科治療の用具を取り出した。

「待っててね。すぐに補修してあげるよ。馬車の陰に座るんだ」

 手慣れた手つきでオルフェはミラベルの腕に巻かれた包帯を解き、無惨に折れた腕へメスを入れた。ゾンビとして薬品と魔導に浸かった肉を巧みに切り裂いて骨を露出させると、切断面を検めていた。

「うん。綺麗に折れたね。骨粉の練り剤で繋ぎ直せばすぐにくっつくよ」

「簡単なものだな。そう易々と骨折が治るなら人生世話はないぞ」

 訓練や実戦で数多くの兵隊が怪我を負っていくのを見てきた身としては、弟が人体を容易く切り刻んで繋ぎ合わせる様は何度見ても複雑な気分になるものだった。

「そうはいうけどドリジャ、生きてる人間と死んでる人間じゃ、やっぱり違うよ。仮に生きてる人にこれをやったら、痛みの余りに心臓が止まると思う」

「だろうな。せいぜいお前の前で骨を折らんように気を付けておくさ」

 俺は視線を石柱へ移した。周囲が人二人、三人はかかりそうな太さで、白目の地肌が黒く煤けているので、ぱっと見は灰色に見える。風雨による浸食とは別に黒い縞模様が入っている。この辺りには無い石だろう。

 軟質の地面に踏み出して近寄って行くと、表面に刻まれた石工たちのノミの痕が見えた。

「一体この石柱は何処から運ばれてきたんだろう。この辺りじゃ採れそうにない石だぜ」

「アーカンレイク近郊の石山で採れる石材に似てるよ。堅固な建築土台に向いた石だね」

 振り向けば処置を終えたオルフェと、包帯を巻きなおしたミラベルが日傘を差して近づいてきていた。

 腕のいい死体魔術師にとってはあれほどの手仕事は大した時間もかからないらしい。

「つまりこの石柱は俺たちの生家のあるアーカンレイクから運ばれてきたのか」

「多分ね。それ以来、アーカンレイクのセルジュゲイル一族とオーラムセンの一族には親交があるということさ」

 そう言われると、この無表情な石の塊にもなんとなく愛着がわく様な気がしてきた。

「ドリジャ。この石柱は恐らくステラ・フラッグ卿の記録にあった『結界』の一つだよ」

「そんな記述があったな。だが『結界』とはなんだ? 境界線を示す標石にしてはちょっと仰々しいじゃないか」

 領地の境界を示す石細工なら、精々腰かけられるくらいの大きさで十分だ。

 大神殿を支えるような太く巨大な石柱を突き立てる必要はない。ましてや、こんな僻地に。

「魔術的な解釈では、『結界』は単に境界線を示すものじゃない。境界線の中に危険な何かを封じておくためのものさ」

「危険な何かとは何だ」

「ステラ・フラッグ卿はこの湿原でドラゴンを見た。ドラゴンは四肢の爪から毒を放って、この地の水を汚染した。だから卿はドラゴンの住む湿原を結界で囲んで毒が他の地域に流れるのを阻止した……ということだと思う」

 オルフェが目を細めて周囲を眺めた。いじけた灌木や丈の長い草がまばらに生えるかつての湿原は、人の視線を捉えるような人工物が全く無いように見えた。

 だが、目敏いオルフェには何かが見えたようだ。

「ふむ。なるほど」

「何がなるほどなんだ。説明しろ」

 だがオルフェは説明をする前に、石柱の埋まっている地面にかがみこむや、腰に佩いていた短剣で柔らかい土をほじくり始めた。

「ふむ、ふむ。思ったより掘れるな……きっと昔はもっと水分を含んでいて、この石柱も深く刺さっていたんだろうけど。今はかなり浅く刺さっている。まぁ、多少掘っても倒れはしないかな」

「どういうことだ」

「単に細工をした石柱を並べただけじゃ、魔術的な結界にはならない。霊的な力を呼び込めるような材料が要る。例えば、生贄とか」

「生贄……」

 俺は不意に傍に立つミラベルを見た。黒い包帯に身を包んだ女ゾンビ……そういえば、ゾンビはそもそも死者と語らうために作られたと、以前聞いた気がする。

「ミラベル……貴様には何か見えているのか」

「何か、とは、なんでしょう?」

「俺にはお前たちのように、死者と語らう力はない。お前たちには見えていても俺には見えていないのだ。教えてくれ、ここに『何』がある」

 ミラベルはゆっくりと首を巡らせた。俺の視線は自然とミラベルの向いている方向へと流れた。

 荒涼たる湿原の広がる一面の景色だ。所々に乾いた地面があることで出来る自然の色彩という奴が、俺の目を楽しませてくれていた。

 ……しかし。

「そうですか。ドリジャ―ル卿には、あの方たちはお見えになりませんのね」

「あの方たち……」

 それは何か、と誰何する前に、オルフェが顔を上げた。

「出てきたよ。見てみるといい、その方がドリジャには分かりやすいよ、多分ね」

 泥に塗れた手をハンケチで拭いながら、石柱が埋まっていた地面を示すオルフェに促され、俺は掘り返された箇所を覗く。

 石柱の根元は湿った土が掘り返され、じわじわと土中の水が染み出ている。その中に土石とは異なる質感の、赤黒く変色した太い鎖の環が現れていた。鎖の環は石柱の根元へ向けて連なっているらしいことは明白だった。だが、もう一方の端はどうなっているのだろう。

 俺の目は鎖の先を見た。そこにはちょうど、人の腕が通りそうな太さの枷があった。

 まるで囚人を繋ぐ鉄丸を思わせた。

「生贄……人を埋めていたのかっ」

「そう。結界の魔術的効力を持たせるためには生きた生物の犠牲が必要なんだ。規模が大きければそれ相応の生贄がいる……おそらく、この辺りには」

 オルフェはミラベルが眺めている方角を同じように見た。その目はしっかりと何かを捉えているように見えた。

「この石柱以外にもたくさんの結界の『点』があって、そこここに人柱を埋めて効力を発揮しているんだ。点を繋ぐように『線』を結び、ドラゴンのいる湿原を囲んでいるはずさ」

 ……俺は二人のように景色を見た。湿原には何もいない。遠くから鳥の鳴き声が聞こえる位だ。

 だが、二人にはきっと違う光景が見えているに違いない。俺は想像するしかない。

 遥か昔、この地に降り立ったらしい怪物を封印するように埋められた人々がいる。

 その人々は何処から連れてこられたのだろう。何故か俺はニューカップに流れ込む貨物鉄車に詰め込まれた家畜たちを想像した。

 牛馬を育む大地の下には、名も知らない人の命が埋まっているのだ。

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