chapter4 屍竜の翼 その1
「ドラゴンを見に行こう」
……そうオルフェが言い出したのは、俺たちがビッグレッドシャーにやって来てそろそろ半年にもなろうかという頃だった。
王都プリシィアで起こった死体魔術師を巡る陰謀から逃れるべく、俺たちがやってきたこの地は、はるばる鉄軌に揺られ、馬車に揺られてたどり着いた地方行政区の一つだ。
北から吹き付ける冷たい風が周期的に運ぶ雨雲が散発的に雨を降らせるものの、総じてカラリと乾いた大地は、まるで血を含んでいるように赤みを帯びている。
だが、オルフェが言うところでは、この大地は大変豊かな地味を持っているのだという。
「ドリジャ、あそこに広がる山脈の端が見えるだろう? あの山々も遥かな昔には活発に活動をしていて、ここら一帯へ頻繁に噴煙をまき散らしていたんだ。ただ、地形的に外海から流れてくる雨雲の殆どは山脈に遮られ、区切られたこの一帯をしっかりと潤すことがない。すると徐々に地に積もった火山灰から養分が分離していき、地表面には鉄分を多く含んだ土砂が堆積するようになる。ちょうど今見えてるようにね」
「お前が地象学にも通じているとは驚いたぞ。今からでも参謀になれるな」
「よしてよ。魔術の運営には自然現象への理解が必要なだけさ。……結論として、この地では僅かな降雨で育つ牧草で育てられた家畜たちが主たる産業となったわけだ」
なるほど。実際、ビッグレッドシャーで育てられた牛や豚はプリシィアの各地に運ばれて消費されている。この地方の中心都市になるニューカップには毎日のように家畜運搬用の貨車が流れ込み、悲し気に鳴く家畜たちを満載にして旅立っていくのだ。
「だがオルフェよ、こんなのどかな土地に、何故ドラゴンなんだ?」
「なんだ知らないの。ビッグレッドシャーには昔からドラゴンの伝説があるんだよ」
そう言ってオルフェは、俺たちが座っているテラスのテーブルの上に一冊の古い、とても古い本を持ち出し、広げてみせた。
「かなり古いな。装丁の皮が見たことのない光沢をもっているぞ」
「今はもう育てられていない品種の牛革だね。これを見つけたのさ」
オルフェは相変わらず屋敷に籠った生活をこの地でも続けていた。俺たちが滞在しているローズ&メイ
平屋の建物群が敷地内で緩やかに連結されており、整備された遊歩道へ降りれば塀の外に出ることなく散歩が楽しめる。敷地内には小川さえ流れているのだ。
まったくそれだというのに、オルフェは日がな一日、本館の最も年振りた区画にあった蔵書室を発見するや、そこに入り浸ってかつての住人たちが残した記録や、遺失したと世間では思われている珍妙な稀覯書の乱読に夢中になってしまった。
「それはね、二百年ほど昔にこの館の主人だったステラ・フラッグ卿という人物の回顧録だ。つまり僕らの友人にして腹違いの兄弟であり、この館の本来の主人であるところのオーラムセン卿の、遠い祖先の残した記録だ」
ちなみに件のオーラムセンはこの地には現在いない。彼はこの広漠たる父祖の地に腰を据えるより潮風吹く海原を愛する好漢で、今頃は南の海を渡る船の上だ。
俺たちが都を離れる算段をしていると聞きつけたオーラムセンは自分が館を離れている間の滞在を許してくれた。お陰で、何不自由ない生活が送れているわけだ。
俺はオルフェが見せた回顧録に目を通す。古い書体だし紙も黄変しているが、反ってそれがいかにも秘密を封じているというような雰囲気を出していた。
『我、ステラ・フラッグはフィヒト王治世六年、八月を振り返りてこれを記す。……シャマニの湿原の前を行軍した折、我が軍の頭上を西から東へと過ぎ去る巨大な影ありて、斥候にて追跡させ、これが湿原の奥へ降り立つのを認めん。斥候曰く、これ、黒肌のドラゴンありと言う也。我は己の目で検めんと、近習を揃えて湿原に分け入り、ドラゴンと相対せり。ドラゴン、まさに黒肌にして四肢より毒気を発し我らを退けたもう。暫くして後、湿原の水が毒にて腐り、民草大いに困らせた故、我は湿原の一帯を結界し、民草は毒の収まるまで我の料地にて農牧の用人として取り立てり……』
なんとかそこまで読み取って頭を上げると、向かい合って座るオルフェの手と皿にサンドイッチが握られていた。
「どうだい? 面白そうな話だろう」
「まぁな」俺は皿の上のサンドイッチを受け取って口に入れた。
田舎っぽい固めのパンに厚めに切った豚のローストを挟んだだけのものだが、畜産の地だけに肉が抜群に美味かった。
「この記録、信ぴょう性があるのか? 言い伝えには誇大な表現、見間違い、現代の目から見れば取るに足らない現象だった、なんてことがよくあることだろう」
「流石ドリジャ、軍人らしい、現実主義的意見だね」
「茶化すなよ。……本を汚すなよ、ここのあるのは全部借り物なんだから」
「はいはい。……古い地図と現在の地図を比較してみたよ。この記録にある湿原は現在も存在するよ。もっとも、昔より小さくなってはいるみたいだけど」
オルフェはテーブルを片付けると地図を広げた。比較的新しいもので印刷の綺麗な多色刷りに、測量記号が打たれている。
地図には既にオルフェが印を描き込んでいるようで、朱のインクで描き加えられた丸や線が浮かんでいた。
「ここがローズ&メイ館で、ここからここまで、かつてのステラ・フラッグ卿の一族が直轄の料地としていた囲い地を示す石塁があるんだ。石塁のさらに先を旧い街道が通り抜けている」
なるほど。恐らくここをステラ・フラッグ卿は行軍していたのだろう。
「この旧街道は山脈まで続いていて、どうやら砦があったらしい。その先は……」
「それは分かる。俺たちの実家がある」
ビッグレッドシャーを区切る山脈を超えれば、その先はアーカンレイク、つまり、セルジュゲイル一族が代々治めている土地だ。
「旧街道の脇には平野があり、今は牧場になってる。で、この平野を超えると……」
オルフェの指先は丸を打った地点で止まった。
「高木の林が点在する地域があって、ここが湿原になっている。地元民は余り奥まで入らないと執事のバルクが言っていたよ」
バルクはこの館付きの執事で、館の使用人たちの頭だ。客人の俺たちが不自由なく過ごせるように取り計らってくれるのだからありがたいことだ。
もっとも、『あれ』の取り扱いについてはかなり眉根を曲げて言外の抗議を示していたと記憶している。
「そこにドラゴンがいると?」
「多分ね。若しくは、ステラ・フラッグがドラゴンだと認めた何かがある。仮に何もなくても、何かがあった痕跡は残っているかもしれない。ねぇ、ドリジャ。僕らはこのビッグレッドシャーに来て六か月くらいになるね。そりゃあ、僕らはこの館の主であるオーラムセンとは深い付き合いをしているし、この館に滞在するのも何も今回がはじめてじゃない。それでもここに来た時にすることと言えば、御料地に出てレースをしたり……君は馬に乗るのがすこぶる上手だからね……のんびりとこうして牧場と荒れ地の広がる平野を眺められるテラスで日を浴びて、暗くなれば引っ込んで玉突きやカードをするくらいなものだ。ま、そう言う僕も、日がな一日蔵書庫に転がって黴の生えたような古い記録に首っかかりになってばかりなんだけどね」
一息に言うとオルフェは残りのサンドイッチをわしわしと食べ、さらにビールも飲んだ。田舎っぽい、重たいビールだが酒気は弱い奴を喉を鳴らして飲んでいる。
「ふぅ。だから偶にはオーラムセンとその一家に、お返しとして言い伝えられているドラゴンを見つけ出して見せても、いっこう構わないと思うのだけど、どうかな」
「なるほど。オーラムセンの先祖の勲を俺たちで確かめてやろうというわけだな。旅の目的には悪くない考えだ。お前にしてはな」
俺もサンドイッチを平らげてビールを飲んだ。土地の味だ。
「よし。そうと決まれば早速出掛けるとしようか。だがどうする?」
出掛けの脚に馬なり馬車なりを借りることは容易い。だからここで聞くのは別の事だ。
というのも、俺たちは二人でビッグレッドシャーに来たわけじゃない。オルフェの従えるゾンビ、ゾーエとミラベルの二人も連れてきているのだ。
もっとも、土地の者にとってはゾンビなんてものは化け物扱いもいい所だ。ゾーエなんて見た目からして人間離れしているし、ミラベルだって薄気味悪い目でメイドたちに見られているのだから。
連れ歩くとすると色々と頭を捻る必要が出てくる。
だがオルフェの答えは明快だ。
「もちろん、連れて行くよ。居てくれれば便利で助かる」
「だろうな」
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