第6話 護衛後、それぞれの秘密

 私は電車内からホームへと降りて、顔が熱いのを感じながら降り口へと向かって歩いて行く。

 改札口を抜けた所で、ようやく胸の鼓動が収まって来た。


「はぁ……何とか乗り切ったわね」


 私は、額に掻いた汗を額で拭う。

 途中、裕介君がバランスを崩して私に寄りかかるような体勢になってしまった時、私は身動きを取ることが出来ずに強張ってしまった。

 やはり、まだ車内で異性から触れられるという行為は、記憶のどこかに恐怖心が残っているらしい。


「裕介君に嫌な思いをさせちゃったかしら……」


 彼も私が怯えているのに気づいてくれて、すぐに距離を保ってくれたけど、自分から頼ったくせに、相手のことを警戒しているなんて、護衛してもらう身として不相応な対応だと思ってしまった。


「明日あった時に、ちゃんと裕介君に謝らないと……」


 そんなことを思いつつ、私はオフィスに向かって歩き出す。

 と同時に、私は盛大なため息を吐いてしまう。


「どうしよう……今日は誤魔化せたけど、いずれまた聞かれるわよね」


 朝、スターバで仕事ができるキャリアウーマンだと言われ、浮かれていた自分が恥ずかしい。

 あの時に聞かれていてもおかしくなかったというのに、私は何の対策もしていなかった。

 とはいえ、今日はハプニングによって職業を有耶無耶に出来たけど、次からはそう上手くはいかないだろう。

 裕介君に幻滅されない為にも、理想の仕事のできる女性像を築き上げておかなければ……!


 そんなことを考えているうちに、仕事場である雑居ビルへと到着する。

 エントランスからエレベーターに乗り込み、四階のボタンを押す

 エレベーターを降りて、私はオフィスへと入っていく。


「おはようございます」


 オフィス内は煩雑としており、PC画面に向かって黙々と作業をしている。

 すると、先に出社していた恵ちゃんが、私の元へと駆け寄ってきた。


「おはようございます令菜先輩。出社直後で大変申し訳ないのですが、イラストレーターさんからキャラクターデザインのラフが送られてきましたので、確認の程よろしくお願いします」

「分かったわ。確認しておくわ」


 私はお誕生日席の自身のデスクに腰かけ、PCを起動させてパスワードを入力してマイページへと入る。

 メールボックスを確認すると、先ほどカフェで確認した時にはなかった新着のメッセージが届いており、添付ファイルが送られてきていた。

 私はファイルを解凍して、送られてきたファイルの画像をクリックして開く。


 そこに現れたのは、頬を染め、瞳を潤ませ、あられもない姿で大胆に股を開いている女の子のラフ絵だった。

 もちろん、肌着などは身に着けておらず、生まれたまま、ありのままの姿で描かれている。

 胸元の頂点の部分や、下腹部の秘部も丸見えで、今まさに、目の前にいる男の子へ媚びてメスになろうとしている瞬間そのものだった。

 私はそのラフ絵を見ながら、思わず頭を抱えてしまう。

 

 言えない……私がアダルトゲームのキャラクターデザイン担当だなんて、裕介君には口が裂けても言えないわ。

 

 もちろん、私はこの仕事に誇りをもってやっているし、不満もない・

 けれど、世間体となれば話は別。

 裕介君は、私の事を仕事のできる女性だと、尊敬の眼差しすら向けてくれていた。

 そんな彼に、本当のことを伝えたら、幻滅されてしまうに決まってる。


「はぁ……どうしよう……」


 結局私は、イラストレイターさんから届いたラフ絵を眺めながら、ひたすら自身の職業について、裕介君に何と言ったらいいのか、考えさせられる羽目になるのであった。



 ◇◇◇



 HRが始まる十分前。

 俺はようやく教室へと到着した。

 ふらふらとした足取りで自席に着くなり、俺はグデーンと机に突っ伏してしまう。


「はぁ……疲れた」


 いつもより電車内で気を張っていたためか、登校するだけで物凄い疲労感を感じていた。


「護衛って、こんなに大変だったんだな」


 改めて、俺は人混みの中で人を護衛するということが、どれだけ大変なことであるのかということを思い知らされた。

 普通の状態でもこれだけ疲労感が凄いのに、お偉いさんを護衛するSPの人たちは、命を引き換えにして守っているのだから、そんな仕事を生業にするなんて尊敬の域を超越していると思えてきてしまう。


「裕介―!」

 すると、俺が疲れているのもつゆ知らず、クラスメイトの春海未空が、俺の元へ駆け寄って来た。

「おう春海」

「どうしたの裕介? すごいげっそりした顔してるけど、体調でも悪い?」

「気にすんな。ちょっと色々あっただけだ。それで、何か用か?」

「あっ、そうそう! 英語の和訳みせて!」

 俺の体調が悪くないことを知って安心した途端、春海は早速ノートを要求してくる。


「いや、初手から人頼みかよ」

「だってぇー、英語の翻訳今日絶対当てられる日なんだもん。裕介の事だから、指されない日でもちゃんと和訳してきてるでしょ?」

「まあしてきてるけど……」

「お願い! 今度ラーメン奢ってあげるから!」

「ったくしょうがねぇやつだな。ほれ、授業前には返せよ?」


 俺は鞄の中から、英語のコートを取り出して、春海に渡してやる。


「テンキュー! さっすが裕介。愛してるよーん」

「お前が愛してるのはそのノートだろ?」

「むぅ……信用してないな?」


 ぷくりと頬を膨らませ、唇をツーンと尖らせる春海。

 俺ははぁっとため息を吐き、しっしと手で振り払う。


「いいから、早く写してこい」

「はぁーい」


 春海は何かまだ言いたげだったが、渋々といった様子で机へと戻っていく。

 朝から春海にカモられ、大きなため息をついていると、今度は横から肩を組まれる。

 顔を横へ向けると、そこにいたのは、元気いっぱいの笑顔を振りまく聡太だった。


「おう、聡太。相変わらずお前は元気だなぁ」

「あったりめぇよ! そういうお前さんは、随分と朝からへばってんなぁー。どうかしたのか?」

「別に、ただ通学で疲れただけだよ」

「えっ、電車に乗るだけだろ? なんで疲れんの?」

「徒歩通学のお前には、朝の通勤ラッシュがどれほど過酷か分からないだろうな」

「なんだと⁉ 確かに俺は、今までずっと徒歩通学で、電車通学なんてしたことないけどよ! 俺にだって、人混みの大変さはよく分かってるぞ! 音楽ライブとか、新作ゲームの発売日の行列とか、常に人のオンパレードだからな」


 ドヤ顔で言う聡太に対して、俺は盛大にため息をついてしまう。


「バカ野郎。イベントの混雑なんて、通勤ラッシュと比べ物にならねぇよ」

「そうなのか?」

「あぁ、通勤ラッシュってのは、いわば一つの場所取り戦争なんだ。遠くまで乗車する人は、出来るだけ座りたいから、座席を確保しようとするし、途中から乗車する人は、出来るだけいいポジションを取って、プライベートスペースを確保しなきゃならねぇからな。それに、イベントとかは座席は決まってるし、娯楽という同じ目的で来てるけど、通勤通学に関しては、それぞれ目的地も違えば「、否応なしにやって来る第一のストレスイベントみたいなものなんだよ」

「な、なるほど……奥が深いんだな」

「まっ、お前も大学生になった時、通勤ラッシュの恐ろしさに驚愕する事になるだろうな」


 そんな、通勤ラッシュのうんちくを語っていると、和訳を写し終えた春海が俺の元へと戻って来る。


「裕介ありがとー。これで英語の授業も乗り切れるよー!」

「よかったな。つーか、春海はもう少し自分で課題やって来い」


 俺がノートを受け取りながら悪態を付けると、春海は苦笑しながら頭を掻いた。


「いやぁー、だってさ。部活終わりに勉強とか、普通疲れてて出来なくない?」

「それなー」


 春海の意見に、隣に居た聡太が同意する。


「裕介はほんとそういう所サボってこないから、本当に凄いと思う」

「分かるわ」

「いや、俺はただ通学時間が長いから、その間に読み込んで予習してるだけなんだって」

「それが凄いんだよ。アタシなんて、帰りの電車なんてスマホいじってばっかだよ?」


 まあ、それが普通だろう。

 俺だって本当は、疲れを少しでも回復できるよう、席に座って仮眠を取りたいのは山々だ。

 けど、俺が帰宅する方面の電車は、帰宅ラッシュ真っ只中で混雑しているので、途中駅から乗り込むとなれば、当然座る席などあるはずもなく、やる事と言ったらスマホを弄るか、勉強するか、ラノベを読むぐらいしかないのである。


「ってか、話変わるけどさ。裕介昨日遅刻したじゃん? んで、その後なんか呼び出し食らってたけど、なんかあったわけ?」

「えっ? あぁ……。まあ、色々とな」

「なになにー? もしかして、何かやらかしちゃった系?」

「ちげぇよ。ただ、ちょっと色々とデリケートな話だから」

「なにそれー。教えてくれたっていいのにぃー」

「まあ、話せる時が来たらな」


 俺はそう適当にお茶を濁しておく。

 痴漢を助けた話なんて、あまり聞いていても面白い話でもないからな。

 それに、女性は意外と痴漢被害に遭ったことがある人が多いと聞く。

 こういった類の話は、春海の嫌な過去を思い出させる引き金になるかもしれないので、出来るだけ控えた方が良いだろう。

 とそこで、タイミングよく予鈴のチャイムが鳴り、担任が前方のドアから教室に入ってくる。


「ちぇ、もう時間かー」

「今度、ゆっくり聞かせてくれよ」

「はいよ」


 春海と聡太はそれぞれ一言いい残して、自席へと戻って行く。

 なんとか話をせずに済み、ほっと胸を撫で下ろす。

 こりゃ、何か別の遅刻理由を用意しておかないとだな。

 それに、明日から、俺はどういう顔して令菜さんに接すればいいのかも考えなければならない。

 やることがいっぱいだ。

 それから、一限目の英語の授業中、ひたすら遅刻の理由を考えたのだが、結局春海も聡太も、俺に聞いてくることはなく、取り越し苦労に終わるのであった。

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