第十五部 第7話 誘う小さな手

 「クスクス」「クスクスクス」「クスクスクス・・・」

Fallen’sフォールンズの隊長の目に映った〝白〟は視界の全てを覆いつくしていた。機体が高速で急激な軌道変化をしたことで生じる何かの現象だと思っていたその〝白〟は、それが自分の周囲を覆いつくしている霧だったかのように、周囲に濃淡をもたらし始めた。

 右手を肘から曲げるようにして、少し視線を落として手のひらを見ると、そこにある自身の右手は、その至近距離にもかかわらず、白い靄がかろうじて右手の形状をパイロットの脳に伝達している。

 一瞬、自身が裸なのではと思わせるほど、周囲を覆う霧がその存在感をもってまとわりついてくる。かろうじて見える自分の脚は、どうやらジーンズを履いているらしい。上半身はと思えば、グレーだろうか?Tシャツを着ているようだ。

 自分はMAのコクピットに居たはずだ。戦闘の真っ最中、それもクライマックスといって差し支えない場面だったと記憶している。アドレナリンやらなにやら、脳から精製される物質が幻覚でも見せているのだろうかと、それを確かめようとするかのうように一歩を踏み出す。

 足の裏が伝えて来る感触が、そこが地面のある場所で、自身が素足だということを事実として認識させている。

「クスクス」

再び聞こえた声は、まだ幼い少女の声に聞こえる。どこからと特定できるわけでなく、周囲で反響するかのように聞こえるその声が、果たして1人のモノなのか、それとも複数のモノなのかを判別させてくれない。

 二歩、三歩。まるで少女の笑い声に誘われるかのように歩を進めると、足の裏に感じたその感触が草の存在を知らせてきた。今自分の居る場所は草原か何かだと言うのだろうか?そんな風に考え始めた矢先、辺りを覆う霧が少し晴れたように思える。

 「クスクスクス」「クス」「クスクス」

周囲で湧き上がるような少女の声が増えたように聞こえる。視界に映る世界は、霧が晴れてきたというよりは、どこかに光源が発生しているように思えてきた。目の前の霧の中、フッと浮かんでは消える少女の影が、まるで霧がスクリーンの役割を果たしているかのように踊っている。その影が1つ、2つと増える様は、少女たちの楽し気な表情を思い描かせる。

 ふいに、そしていたずらに自身の左手を握る感触が走った。周囲の現状や、自身の置かれている状況、そしてこの不思議な世界に迷い込む直前までを考えれば、そのことに不気味さすら感じてもいいようなモノだと思いながらも、その小さな手がどこかへ導こうとする楽し気な雰囲気に、抗おうという気持ちがかき消されていくのが分かった。

 自分の手を握る小さな手は、霧の中でやがてはっきりとその姿を現す。それはやはり少女のモノだろう大きさで、透き通るような白さを持った手だ。その腕の持ち主である少女を見ようと目を細めてみたりもするが、光源が足りないのか霧が思ったより濃いのか、おぼろげな輪郭だけを映すのみだ。

 「クスクス」「クスクス」「クスクス・・・」

笑い声が増えた。もしもこれがコクピット内だったのなら、とうに全天周モニターにぶつかっている。どれだけ歩を進めたのかはっきりしないが、そもそもコクピット内に自身の身体があって戦闘中だったという記憶の方が偽物だったのだろうかと思えてきたころ、次は右手を握る手を感じた。霧の中でわずかに見えるその手は、左右で別の子のモノだと認識しているにも関わらず、見える限りでは同一人物のモノだと言われても不思議は無いほどの白さだ。

 左右の手を握るそれぞれの小さな手を見ていた視界の端で、歩く先がわずかずつに明るくなっていくようだ。周囲の霧が、その光が天敵だとでも言うように、そのまとわりつく存在感を薄らげていく。ようやく見え始めた少女たちは、その手の白さ、透明さに恥じないほどの可憐という言葉がピタリと当てはまる容姿をしている。子供を持ったことはない(結婚相手すら見つかっていないが)身ではあるが、こんな子が自分の子供だったらと考えると、自身の内側が満たされていくような感覚を覚える。

「クスクスクスクスクスクスクス・・・」

笑みを絶やさない少女たちが周囲を飛び交っている。そのどれもが全て可憐な少女であり、「全員姉妹だ」と言われても疑問を抱かないほどにそっくりでいて、わずかにどこか違う。誰なのか、ここがどこなのか、何をしているのか、どこへ行くのか。なんでもいい。少女たちと意思の疎通を図りたいと思うが、思うように言葉が紡げない。そう言えば、視界があるのだから目はあるのだろうが、自分の顔はどうなっているのだろうか?右手で自分の顔に触れてみようかと思ったところで、その手を握る少女の手に力が込められた。少女の顔を見れば、天使と形容もできそうな笑みがわずかに曇ったように見える。

 じぃっと見つめられる目に耐えかねて、今度は左手の方へ意識を向けてみる。自分でそうした覚えは無いが、いつの間にか少女の手を包み込むように握っていたらしい手を開くと、先ほどの左手を握る少女同様、きゅっと小さな手に力が宿った。

 「クス、クス、クス」

やがて両側で手を握る2人の少女が、自分を取り合うかのように手を引き始めた。気付けば周囲の霧はずいぶんと晴れ、暖かな日差しすら感じる。見える周囲の情景はやはり草原のようだ。周囲を飛び跳ねていた他の少女たちも、向こうからこちらが見えていなかったかのように顔を輝かせ、1人、また1人と抱き着いてくる。さすがに大人と少女の身長差のせいで、腰の辺りに腕を回す子や、それぞれの脚に抱き着こうとする。ついにはバランスを崩し、それまで手をつないでいた子たちもろとも、その場に仰向けに転がった。

 「クスリ」

不思議と痛みはどこにも感じない。一緒に転んでしまった少女たちにもそういった類の表情は見受けられない。それどころか、転んでしまったことが可笑しかったのだろうか、笑い声が大きくなったように聞こえる。

 それまで少女たちには手の届かなかった顔が、限りなく地面に近づいた。少女の手がペタペタと頬に触れる。その触れられた感触が、自分にちゃんと目以外の顔を構成するパーツがあることを教えてくれた。それでも、口があることも認識できたが声は出せない。

 「キャハハ」「アハハ」「ウフフ」

少女たちの笑い声。その性質が変わったようだ。それまでの〝恥じらい〟を含んだような控えめな笑みから、どこかいたずらめいた狂気を孕んだ笑みに変わったように思えた。

 「ヤメテクレ」

胴体を押さえられている。四肢を引っ張る力が強くなっていく。両の頬を挟む手に万力のような力が加わり、そのまま胴体から引き抜こうとする。その力は徐々に、それでいて急速に強さを増し、やがて、身体がバラバラになる感覚を覚えた。不思議と痛みはどこにもない。ただ身体がバラバラになったという感覚だけが宿った。

 可憐な少女の可愛らしい笑みは、まるで能面かのような冷たい笑みへと変わり、その三日月を寝かせたかのように開いている唇の隙間だけが、鮮やかな光に影絵のように残っている。その影は消えることもなく、その向こうから強い光が自らに近づいてくる。

 それは、Hanielハニエルが構えて突進してくるビームサーベルの光だった。

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