第一部 第6話 マドカ・アカホシ

 「ウテナ、どうする気だ?」

3人が残されたオフィスの窓から見える太陽は、すでに荒野の先に姿を隠しつつあった。壁に掛けられた時計は午後6時を指している。

「どうもなにも・・・理論上だけの存在を精製するなんて無理だろう?」

「と、頭で理解してるだけでしょ?だから中将も〝挑戦〟って言葉を使ったわよね?」

「挑戦かぁ~、技術者にゃあ響く言葉を使ってくる・・・」

 ADaMaSアダマスのMA開発受注における基本的なスタンスは〝待ち〟だ。もちろん、最初からそのスタンスだったのではない。発注を待てるようになるまで、ローズやナナジンによる営業的側面の努力と、技術陣の確かな技量の積み重ねがあった。しかし、その成果を得ることができた一番の理由はと問われれば、ADaMaSアダマスの全員がウテナの功績を挙げるだろう。ウテナの発想力はMAの設計に関わる全ての人間に影響を与える。そしてその発想を現実のものとするために行われるMA構造とのすり合わせについては、それを直接目の当たりにしているADaMaSアダマス技術者から〝神のすり合わせ〟と称されるほどだ。その力量を熟知する2人にとっては、ウテナが手掛けるのならば、反物質精製装置の開発が絵空事にならない可能性を秘めていることを知っていた。

 「そりゃあね?ヒッグス粒子を超えることなんて、技術者にとってはウズくさ。でもね?これも理論だけど、真空崩壊を抑制できなけりゃ、地球どころか、宇宙全てが一瞬で消え去るんだよ?」

「マジか・・・」

「それってイタイ?」

そう言いつつも、ローズとナナジンの表情には悪戯な笑みが見える。現状の理論としての話ではあるが、現在の物質が安定している状態が偽物であった場合に起こる真空崩壊は、一度起これば止める手立てがないと言われる。止める手段を講じるよりも早く、崩壊の連鎖が世の中を飲み込むからだ。説によれば崩壊が広がる速度は光速の領域だと考えられている。仮に地球圏のどこかで真空崩壊が発生した場合、発生を認識するよりも早く、地球そのものが消えることになり、それは痛みを感じる隙も無い。

「何かを感じたりする余裕なんて無いだろうさ・・・とにかく、もう夕飯の時間だろう?いつものメンツは食堂に集まるだろうから、そこで決めようか。僕たちの存在にも関わる重大事だからね」

「・・・そうね、解ったわ」

「すまん、場面じゃなかったな」

ウテナはノリの悪い人物ではない。ローズの悪戯な問いに応えるウテナの表情は、深慮された表情だった。ローズにしろ、ナナジンにしろ、ウテナの得意分野における頭の中だけは、現在に至っても理解とは程遠い。この〝反物質〟と呼ばれる物質が、世の中の一部の人間には認識されているモノであったとしても、その言葉自体が、2人にとっては認識の外側にあった。そうした物質について考えるウテナの頭の中がどうなっているのか、できれば想像したくない。

 少しばかり雰囲気が重くなったその場を、上手く打開する手段を見出せずにいた3人を救ったのは、ウテナの実の妹であるマドカ・アカホシだった。

「こんなトコに居た~!もう夕飯の準備できるよ~・・・って、ん?」

オフィスの扉から元気を体現した様子で入ってきたマドカは、3人の雰囲気を察したのだろう、首を傾げて見せた。

「ああ、ありがとう、マドカちゃん。それじゃあ行こうか、2人とも」

マドカはウテナと7つ年齢差がある。まだ小さかったころからその成長をずっと見てきたナナジンとローズにとっても、マドカは妹のような存在だった。誰が見ても可愛いと感じるだろう容姿、雰囲気に育ったマドカは、3人にとって1つの自慢であると同時に、心配の種でもあった。

 「ねぇ、マドカちゃん?確かに今日は暑かったわよ?でもまさか・・・今日ずっとその恰好だったってことはナイワヨネ?」

「え?と言うより、昨日寝たときの恰好のままだよ?」

そう言うマドカは白のTシャツこそ着ているものの、それ以外には透けて見える下着だけのように見える。

「お姉さん、クラクラしてきたわ・・・まさかソレ下着?」

「ん~ん?下はホットパンツだけど?あ!ちなみに上は見せブラね!見る?」

「ウテナ、私、育て方間違えたかしら・・・」

「どこに出しても恥ずかしくない女性・・・には見えないな」

「むしろ、どこにも出せんだろ・・・」

片手で頭を抱えてうなだれるローズに、ウテナとナナジンがそれぞれ肩に手をかける。3人が向けた視線の先にいるマドカは、視線を逆から辿って見えるその風景を不思議そうに見ている。

 マドカ・アカホシの血縁者は、兄であるウテナ・アカホシしかいない。両親が戦争被害で死亡したとき、マドカはまだ2歳にもなっていなかった。その後2人は孤児院で育つが、2人が孤児院を揃って留守にしていたタイミングで孤児院そのものが戦禍により消滅した。その当時、ウテナ12歳、マドカ5歳と出会った人物がローズとナナジンであり、その瞬間こそが、ADaMaSアダマス誕生のきっかけだった。

 戦争という時代を20歳前後の若者だけで生き抜くというのは生半可な覚悟で出来るものではない。しかし、現実に彼らは今に至っている。まだ純粋だと言える年齢の彼らは、良いことも悪い事も経験し、成長した。当時ウテナ、ローズ、ナナジンの3人は、汚れるのは自分たちだけでいいと誓い合い、特にローズは、マドカを〝どこに出しても恥ずかしくないレディ〟にすると2人に話していた。3人に愛され、後に周囲に集まってくるADaMaSアダマスの仲間から愛され、マドカは美しく成長した。実際のところ、ADaMaSアダマス内部にあって、マドカに恋心を抱く者も居るが、ウテナ、ローズ、ナナジン3人の壁は、ADaMaSアダマス職員にとってはあまりにも高い。

 ADaMaSアダマスに集まった者の中には、特定の分野において才覚を持つ者も少なくない。それらが先生となり、ADaMaSアダマスで生きる子供たちは教養を身につけている。マドカもそれに漏れず、人並み以上の教養を身につけ、さらには料理などの、〝女子力〟と表現される技能も持っている。女子力が高く、明るく朗らか、容姿端麗にして頭脳聡明と非の打ちどころが無い彼女だったが、世の中、完璧はそれほど簡単には手に入らない。

 彼女の欠点は2つだ。残念なことに、女性が女性として持つであろう恥じらいが欠如し、基本的には、世間一般で言うところの〝ギャル〟気質であった。マドカの浮いた話が皆無である原因はもしかしたら、〝TOP3〟の壁よりもこの欠点によるところが大きいのかもしれない。

 マドカ・アカホシもADaMaSアダマスの一員である。他の成人と同様に、彼女もADaMaSアダマスでの仕事に従事している。ただし、マドカの職種に就いている者は、彼女1人だけだった。

 ADaMaSで製造されるMAは、基本的にワンオフ機体であるために特化されたピーキーな機体がほとんどだ。ADaMaSアダマス製MAはMAありきではない。そのパイロットとなる人物の戦闘データを基に、機体特性が考えられている。これは見方を変えれば、その特定のパイロット以外には扱いずらいMAであることを指す。結果的にADaMaSアダマス製MAとは、特定の人物専用機を示す言葉と成った。

 マドカはこれらADaMaSアダマス製MA全ての稼働評価を引き受けることができる唯一の人物であった。本来の乗り手となるパイロットと同等、あるいはそれ以上の性能を引き出すことができてしまうマドカは、ADaMaSアダマスにおいてテストパイロットの役割を担っていた。

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