第一部 第5話 ミリアーク・ローエングラム
「私は、貴方ならば可能性がある。と思って来ていると言ったら?」
ウテナによる反物質の講義が始まって以降、そのきっかけを作り出した人物であるディミトリーは、あらゆる音を発生させることがなかった。その存在はまるでオフィスの調度品であるかの様に、風景に溶け込んでいた。存在感が薄いどころではない。その講義が結論に達した今、ディミトリーから発せられた音は、特に
「私はね、この世界で反物質を生み出すことができる人物がいるとすれば、今後この先、未来を含めても2人しか居ないと考えている」
「2人?」
ウテナは自分の口から飛び出した言葉が疑問形であったことに再度驚いた。頭で考えた言葉を一度腹にまで落とし、自分の中でしっかりと消化吸収したうえで口にまで運んだはずの否定形の言葉は、音となって放出される前にその姿を消していた。
「ええ。
ミリアーク・ローエングラム。その女性は、30歳という若さでIE最高幹部の1人となった天才だ。35歳となった現在においても、12人から構成される幹部会の中で、もっとも年齢が近い人物でも23歳の差がある。彼女の分野は多岐に渡るが、彼女の登場は
「・・・彼女は確かに天才だな。なんせ、NLの分類分けと能力の数値化に挑もうってんだからな・・・ヤツのせいで、人類の希望だったはずのNLが、完全に戦争の兵器と化したんだ。俺は好きになれん」
「そうね、私もよ。こともあろうに、マドカちゃんを研究のために寄越せなんてぬかしやがりましたからね」
「・・・敬語で毒って吐けるんだ・・・」
思わず口からこぼれた言葉に、聞こえなかったことを祈りながらローズの方へ視線を向けたゲンフォールは、しかし、ローズの鋭い視線に、ハーブティーへ手を伸ばすしかなかった。現状、ここで繰り広げられている会話に対し、どこか部外者の雰囲気がある。「なんで連れてきたんだよ・・・」と思わずにはいられない。
「ミリアークを好まないという意見には賛成です。だから、軍人でない今の私はウテナさん、貴方を相手に選んだ。この戦争を終わらせるため、反物質精製装置の開発に挑んではもらえないだろうか?」
ディミトリーの発した言葉がその余韻を無くしたとき、そのオフィスが無人であるかのような静寂が訪れた。
ローズはその静寂が保たれている時間の間、〝戦争を終わらせる〟意味を理解しようと考えを巡らせていた。ディミトリーは軍人としてここに来たのではないと言った。それが真実ならば、戦争終結が連邦の勝利を意味していないことになる。それはつまり、ディミトリーが単独でこの戦争に介入することを意味する。同席しているゲンフォールは右腕的存在だということなのか?
ナナジンはその静寂が保たれている時間の間、〝反物質精製装置の開発〟がもたらす状況に考えを巡らせていた。ディミトリーは軍人としてここに来たのではないと言った。それが真実ならば、装置を連邦が所有することを意味していないことになる。極秘に開発されるコレが誰かに知られれば、脅威の排除先として
ウテナはその静寂が保たれている時間の間、〝相手に選んだ〟のが自分である理由に考えを巡らせていた。ディミトリーは軍人としてここに来たのではないと言った。それが真実ならば、挑戦に必要となるコストを連邦が負担しないことになる。MAであったとしても、私財で賄える額ではない。
ゲンフォールはその静寂が保たれている時間の間、〝軍人でない今の〟ディミトリーとは何者なのかに考えを巡らせていた。ディミトリーは軍人としてここに来たのではないと言った。それが真実ならば、強大な兵器を所有する彼が
4人がそれぞれに思考を加速させる中、その静寂はディミトリーによって終焉が告げられた。
「返事は今すぐでなくても結構です。事がコトです。1週間後、再びこちらに出向きますので。私はこの戦争が
「ミリアーク・ローエングラム・・・ですか?」
「ええ。これほどまでに戦争が永続している原因に、彼女の存在があると私は見ています」
ミリアーク・ローエングラムは、有名ブランドの表紙を飾っていてもおかしくはないほど美しい女性だ。その容姿には妖艶と言う言葉がピタリと収まる。IE幹部に選出されたとき、その若すぎる年齢も手伝って、色のついたウワサが多方面で囁かれた。しかし、彼女に対するイメージは1年と待たずに全く違う性質のものへと変貌を遂げた。〝畏怖〟である。
「現在のIEは昔とはまったく違います。事実上、IEはミリアークを頂点とした企業になったと言っていいでしょう。その彼女を探るために
「ミリアークの多岐に渡ると言われる才覚は、全てホンモノだってことか」
「わずかに入手できた情報から推測するに、彼女は
「ミリアーク女史の妖艶さはホンモノってコトか・・・」
「あの女に妖艶はもったいないわよ。むしろ〝魔女〟って方がシックリくるわ」
誰も口にはしなかったが、ローズが魔女と揶揄した人物が、戦争を永続化していることが予測された。これほどの大規模な争いともなれば、どちらかの兵器に大きな優位性、もしくは数的優位が確立されれば、戦局は一気にそちらに傾く。
現実味を帯びた想像は、大体の場合において悪い内容ほど現実だ。この想像の内部では、一筋縄ではいかない者たちの騙し合いが繰り広げられている。ウテナは技術者だ。ミリアークの名前は、本人にその気が無くとも耳に入る。技術者だからこそ、その優秀さが理解できもするし、狡猾さには疎くなる。ミリアークの危険性を認識した今、ウテナは思考の深みにはまることになった。ミリアークの危険性と反物質の危険性を天秤にかけ、その沼から脱出するためのタイムリミットは1週間だ。
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