第216話・Celebrity

 5月2日……、金曜日。本日は、昼食のお店が予約されていない。なぜなら、本日はイギリススイーツ屋台食い倒れツアーだ。昼食なんて食べようにも、その頃には既に胃袋が定員オーバーである。


 VTuberごときがこんなことをしていいのかと疑問になる撮影環境が用意された。ロンドン市は広い。当然、栄えている部分もあれば、ぎゃくに閑散とした地域もある。そのあたりは、日本の東京と同じだ。そして、その閑散とした地域の一角が、今日の僕たちの撮影場だ。


「お……おぉ……なにこれ!!??」


 眼前に、屋台通りがある。キッチンカーが道を作るように整列している。それは、もはや街だ。

 これを行うのに、一体いくらの資金が注ぎ込まれているのだろう。考えただけで、戦慄すら覚える。

 これが、日程を変更できない仕事だ……。できるわけがない……。


「ママ、目がおかしくなっちゃった?」


 周囲の環境ではなく、自分の感覚器官を疑う。それほどまでに現実離れした光景である。


「いえ、こちら観光協会が主導してくださったおかげで実現した撮影であり、現実です。超一流芸能人ですら、これを実現させる力はないでしょう……」


 元々はテレビ局所属だった人、最上賢治。彼ですら、この光景にドン引きだ。ただ、一人だけこれを受け入れている人が居た。


「Oh……リンちゃんはTop celebrity!!」


 celebrity、日本ではセレブ……お金持ちとされる言葉だが、海外では意味が違う。有名人を指す言葉になるのだ。そして、海外の有名人は時に規格外の人物が居る。そんな人物なら、これを実現可能なのだ。

 つまり、僕はそれと同格の扱いを受けている。


「VTuberごときだよ!?」


 思わずそう叫びたくなる。だって、こんなのハリウッドスター以上だ。


「NONO! Near 60-Millions celebrity!」


 僕は確認していなかった。チャンネル登録者数を……。

 でも、それは着実に近づいていた。Utubeチャンネル登録者数世界一位。そして、そのレベルだと、Utubeアカウントを持っていないファンも出始める。

 最近、動画の再生数が、僕の知らないところでチャンネル登録者数にどんどん接近しているのだ。


「リン君……ヤバイ! すっごくヤバイ!」


 本当に、僕は一体何になったのだろう。自分の正体が疑わしい。

 目を開けたまま、意識を保ったまま、気絶しているかのようだ。情報が全く咀嚼できない。事実がダイヤモンドよりも硬い……。


「そうです! 撮影を始めなくては! さぁ、脱いでください! RTSに着替えるのです!」


 現実感受け入れられない組の中で、いち早く正気に戻った最上さんが急かす。

 そうだ、早く撮影を始めなくては……。彼らにも給料が発生しているはずだ。


「NONO! ゆっくり、楽しく! OK!?」


 それを、唯一の受け入れられている組が諭した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 仮設更衣室で、服を脱ぐ。服の下にはいつものRTS。

 着替えながら、Mikeさんには色々な話をしてもらった。今回のこの状況は、イギリスのPRのためだ。だからこそ、僕らはこの状況を楽しまなくてはいけないらしい。楽しむことが、PR成功の一番の近道だからだそうだ。


 とは言っても、企画の規模だ。一年前まで引きこもりをやっていた僕に、これはキツい。順応するためにもう少し時間が欲しかった。

 そんな事を言うと、Mikeさんにたしなめられた。都合のいい時ばかり、引きこもりになるなと……。

 着替えが終わり、僕達はカメラの前に躍り出る。


「やっほーKC! 今日は、ロンドンのスイーツ屋台に集まってもらったよ!」

「おちびちゃん、手は洗った? うがいした? リン君と、一緒に屋台巡りするよ!」


 台本通りに挨拶をする。だが、ダメだったのだ。


「カット!!!」


 Mikeさんが叫ぶ。

 ずかずかと歩いてきて、Mikeさんが言った。


「半笑い、NO! にっこり笑顔、You copy!?」


 それは……画風が違うと表現したくなるような迫力を持っていた。


「あ……I copy……」


 だから、思わずそう返してしまった。


「OK! リンちゃん! ママ! 撮影のとき、私を見て! ガッツリ見て! 魔法かけマス!」


 Mikeさんはそう言い残して定位置に戻る。

 三脚を取り出して、今度はカメラを固定した。


「アクション!」


 と、Mikeさんが叫ぶから、僕は気を取り直して挨拶をする。


「やっほーKC! ブフッ!!」


 言われたとおりMikeさんを見ていた。

 Mikeさんは僕の挨拶の途中で、カメラの向こうで顔をのぞかせたのだ。その顔には、おもしろメガネとキャラクターグッズの耳が生えていて、僕は思わず笑う。


「待って、Mike君それ何!?」


 満さんも、笑いを必死にこらえて震えている。

 しかも、画風の違う迫力を引っ込めてくれていないのだ。


『リンちゃんフリップ、取りに来て』


 という、フリップが掲げられ、僕はそれに従って取りに行った。

 実際に渡されたのは、別のフリップ。そこにはこう書いてあった。


『カメラマン:貴重な体験で浮かれています。リンちゃんとママはそれを見て、笑いをこらえています』


 そう、Mikeさんは僕たちの半笑いを別の意味に変えたのだ。

 カメラに向かって、それを掲げる。僕らの、撮影がスタートした。

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