第189話・History
僕の人生は一体どうなってしまったのだろうか。犬も歩けばとは言うが、今や僕が歩くのなら異世界に当たる。シェフィールド宮殿の中もまたしてもそれだった。
西暦1850年、とある物語を起源として生まれた異世界転生の作品群。その、主人公の一人に数えられてもおかしくないとすら思ってしまう。だって、それくらい変化が激しいのだ。
「ほら、リン君。紹介して!」
長い廊下を歩きながら、ママに急かされて、僕は予習の内容を記憶から掘り起こす。
「えっと、シェフィールド宮殿は、1705年に公爵がシェフィールド邸として建設しました。その、シェフィールドという名前を受け継いで、今日のシェフィールド宮殿という名前になったのです!」
ガイドを行っている気分、あるいはテレビキャスターのようだ。少し真面目な活動ながらも、楽しさが付随している。僕はもともと、勉強が嫌いではないみたいだ。
「そのとおり! 今が2025年ですから、もう320年もこのロンドンを見守ってくれているのですよ……」
侍従の紳士はそう言って、柔らかく微笑んだ。
イギリスとは、歴史と伝統の国家である。だからこそ、今日まで貴族の文化が受け継がれ、王室も存続している。
日本とは、似ているかもしれない。日本もまた、王室を存続させているのだから。
「歴史のある宮殿ですよね! この宮殿が、王室のものになったのは1761年。当時のイギリス王、ジョージ3世が譲り受けました。その後、1825年ルネッサンス様式から、ネオクラシック様式にへと全面改装。1913年に、バルコニーが建設されて、現在に至ります」
一通り紹介を終えると、侍従さんが足を止める。そして、一つの柱に触れた。
「なので、とても歴史の長い部分を残しているのですよ。この柱は、1825年当時のままです」
いくら勉強しても、机上ではわからない部分。そんな部分を、実際に働いている人が教えてくれる。それもまた、とても貴重な体験だ。
「僕も触ってみていいですか!?」
年甲斐もなく、はしゃいだ。それは、イギリス出発後いつものことだ。
「ええ、もちろん」
そう言って、侍従さんは一歩引いてくれる。
僕はその柱に触れた。
ただの器物、そのはずなのに、胸の奥から何かがこみ上げてくる感覚がある。歴史を、肌で感じている感触だ。
「すごい……」
200年を経てなおも堅牢で、建物の一部をしっかりと支えている。それを、的確に賞賛する言葉など持ち合わせていなかった。
「リン君、次はどこに行くの?」
油断をすると、目的を忘れてしまいそうになるものだ。あくまで僕が楽しむのは副目的。主目的は、この宮殿の紹介だ。
「あ、うん! ステートルームに行きます! 貴賓室って言ったほうがわかりやすいですね! お客さんをもてなす部屋だから、宮殿内でも特に豪華ですよ!」
さぁ、観光案内を再開しよう。とはいえ、宮殿の観光には注意点がある。
「普通、この時期宮殿内は一般公開されていません。ロンドンの観光なら、七月下旬から九月下旬までがおすすめです。その時期なら、一般の方も宮殿に立ち入ることができますから」
それは、注意点の一つである。侍従さんが言ってくれたが、ほかにも注意点があって、この際だから時間つぶしがてら言っておくことにした。
「ほかにも近衛兵さんの仕事は絶対に邪魔しないようにね! 日本で言ったら、皇居の警察の人を邪魔するのと同じだから! 鉄砲向けられても文句言えないからね!」
それは、とても大事な仕事なのだ。邪魔をするのは、道徳に欠ける行為である。よって、ほとんどの人は注意しなくても邪魔などしないだろうと僕は信じている。
「彼らは職務にとても忠実ですからね。行進の邪魔をしようものなら、そのまま轢かれますよ!」
と、侍従さんは微笑むが、笑い事ではない。本当に、比喩表現抜きで轢かれるのだ。
「前もって見回りしてて、注意もしてくれるから、言われたら素直にどいてあげてね!」
近衛兵の制服などに興味があるなら、お土産を買う方が断然おすすめだ。近衛兵本人に触らせてもらうなど、どれだけお金を積んでも無理だろう。
「と、こちらがステートルームになります!」
「うわぁ……すっごい!」
開けたとたん、扉の向こうには壁一面の絵画があった。
「数あるステートルームの一つ、絵画のギャラリーです! 16世紀以降の歴史的な絵画の数々が収められています。ここからはどうぞ、服を脱いで、RTSでVTuberとしてお楽しみください」
「ありがとうございます!」
その後、僕はママと二人でVTuberとしてシェフィールド宮殿を紹介して回った。
今度はカメラは侍従さんにお願いした設定だ。なんとも、至れり尽くせり過ぎてびっくりしてしまう。
女王陛下に謁見ができなかったのは、正直助かった。侍従さんは、それについて謝ったが、謁見なんて心臓が持たないのである。
ほとんどのステートルームは紹介できたが、最も豪華なホワイト・ドローイング・ルームだけは、自分の目で確かめてもらうことになった。僕たちは裏でそれを見学できたが、またそれもすごいものだった。やっぱり、王室が使う施設は格が違う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます