第181話・Virgin flight

 豪華な機内、そしてこれでもかと座り心地の良いシート。これが、セレブというものなのだ。


『ご搭乗のお客様、まもなく当機は離陸します。ベルトランプが消えるまでの間、シートベルトをおしめください』


 機内アナウンスは、多分台本通り。だけど、日本語の発音が正しく、日本人のパイロットを用意してくれたのか、練習してくれたのが伺える。

 VIPとはそういうものだ。無限に気を使ってもらって、最高のサービスを提供してもらえる。


「リンちゃーん! パイロット、興味アル?」


 Mikeさんは気さくに訪ねてくれた。


「あります!」


 そう答えないと、貴重な経験を逃してしまう気がした。それに何より、何を知れるのかと考えるとワクワクする。

 僕の答えを聞いてMikeさんは立ち上がった。


「ベルトしてなきゃじゃ?」

「タクシー中だから大丈夫YO!」


 そう、言葉を残して操縦室に入っていった。

 タクシー中と言うのは、おそらく滑走路に向けて機体を移動させる作業なのだと思う。今はゆっくりと、飛行機が動いている。車よりも遅いくらいで、僕はちょっとびっくりだ。

 少しして、再度機内アナウンスが流れた。


『ご搭乗の皆様、機長のアレックス・バーモンドです。本日はお客様に、パイロットが離陸時に何を話しているのか、そのままお届けします。有名なV1のセリフ、お聞き逃しなく!』


 機長は外国の人だった。なのに、とっても日本語が流暢で、僕はびっくりする。


「V1って?」


 聞いたことのない言葉だ。


「わかんない」


 と、ママも言っているから、おそらくマニアの間で有名な言葉なのだろう。


「離陸決心速度と言いまして、その速度を越えたら、絶対に離陸しないといけない速度ですよ」


 最上さんがそれを知っていて、教えてくれた。

 そうこうしている間に、Milkeさんが操縦室から戻り、席に座ってシートベルトを着用する。


『では、チェックリストを始めます』


 そこからは、機長の声と副操縦士の声が交互に聞こえた。


『補助燃料ポンプ!』

『オフ! よし!』

『飛行制御!』

『自由、よし!』


 と続く……。なんと、それが12項目もあったのだ。

 乗客の安全を守るため、全力を尽くしてくれているのがわかる。


『それではこれより、離陸前滑走を開始します!』


 わかるのだけど、それが終わってエンジンの音が高鳴ってくると不安にも思うのだ。

 僕だけだと思う、初めての飛行機がプライベートジェットな人なんて。


「怖い?」


 隣の席から、ママが顔を覗き込んでくる。


「えへへ、ちょっと……」


 地面から離れるのが初めてだ。不安にならない人はいないと思う。


「じゃあ、手、握ろっか!」

「うん!」


 ママが僕の手を握ってくれて、それが不安をすごく和らげてくれる。何が解決したわけでもないというのに。

 飛行機は、ゆっくりと前に進み始める。そしてだんだんと速度は上がっていった。


『80ktノット……。100kt……』


 外を流れる景色がどんどん加速する。同時に、機長たちの声に緊張が見えるようになっていった。そして……。


『V1!』

『V1……ローテート!』


 最上さんが説明してくれたV1を僕は実際に耳にすることができた。

 ものすごい体験だ。こんなの、他でできるはずがない。

 初体験で、ここまで体験していいのだろうかと、ついつい僕は思ってしまう。

 飛行機は離陸後も順調に加速を続け、副操縦士は安堵と共にその言葉を口にした。


『V2……』

『V2、ギアアップ!』

「V2は、離陸安全速度です。すごく順調な離陸で、心配はないですよ!」


 と、最上さんが後ろから教えてくれた。


『機長です。当機は安全に離陸を済ませました。まもなく自動操縦に切り替わります。シートベルトランプが消えたら、自動操縦と思っていただくとわかりやすいかもしれません。これより、管制官との通信になりますので離陸実況を終了したいと思います』


 そう言って、機内アナウンス終了の音が流れた。


「リンちゃんどう!?」


 Mikeさんは僕にウキウキした様子で訪ねてくる。


「すごかったです! こんな貴重な体験、生まれて初めてです!」


 ちょっと怖かったけど、間違いなくすごい体験だ。これは放送のネタとしても最上位のそれだと思う。なにせ、本物の機長が離陸を実況してくれたのだ。


「リン君、シートベルトランプ消えたよ! 外、覗き込もう!」


 ママが言った、本当にシートベルトランプが消えている。自動操縦に切り替わったのだろう。

 外を見ると、地上が遥か下だ。それなのに、機体はまだまだ上昇していく。


「わ!? 高い!」


 驚くことの連続、そして初めての連続だ。

 語彙が喪失されてしまうほど、すごい体験をしている。

 飛行機は、どんどん登っていく。雲を突き破って、そのさらに上に……。

 思ってたよりもずっと安定していて、不安に思うことなんて何もなかった。

 フライト中機長が客室に来たりして、ただの移動なのにとても楽しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る