最後にラブソングを……

巡る世界の前奏曲

第172話・秋葉CP

 三月三日、本当は僕の誕生日だ。でも、僕はこの誕生日を祝う気持ちになんてなれない。僕の誕生日は、初めて放送したあの日だ。でも、それは交渉材料になる気はした。


「孔明お兄ちゃん、僕アメリカに行けないかな?」


 株式会社秋葉家の本社ビルはまだ工事中。企業としての仕事は、仮設事務所でやらざるを得ない。孔明お兄ちゃんの放送器具は仮設事務所に移され、ほぼ住み込みで働いている。車がここに有ることの利点も含めての、彼自身の判断だ。


「アメリカ……シモンか?」


 具体的な内容というまでもなく、孔明お兄ちゃんは僕の目的を察した。


「うん。テレビの一件では、シモンさんの言葉にすごく救われた。それに今の僕があるのも、シモンさんの力があってなんだよ! だから、ちょっと恩返しがしたい」


 何度も、アメリカに来て欲しいという話をしていたから、それが少しは恩返しになると思ったのだ。


「一つ、条件がある。ママを連れて行ってくれ。ずっとモデリングしてる。放送中も、放送外もだ。少し働きすぎだ。思うに、リンのお願いにママは弱い。だから、二人で観光も含めて行ってきてくれ。それさえ飲んでくれるなら、あとは任せて欲しい」


 ママが働きすぎ、それは秋葉家全員の悩みだと思う。VTuberの活動開始に必須なもの、それはママの技能によって生み出されるものが多い。だから、仕方ないと言えば仕方ないのだが……。他人であると同時に、僕たちが寄せる感情は、肉親並みのそれだ。心配をしないのは無理だ。


 ところで、交渉は必要なかった。おかげで、自分で主張したくないことを主張せずに済んだ。


「むしろ僕は、一緒に行けるのが嬉しいよ!」


 だって、デートと呼べる瞬間だって作り出せるかもしれない。海外でデートだなんて、少し新婚みたいだ。僕だって男、燃えないわけも無い。

 声を落とし、孔明お兄ちゃんが言う。


「なぁ、リン。お前のそれは、営業か? それとも、ママに付き合ってるだけか? どちらかなら、ここでやめとけ。ママを傷つける」


 それは、答え合わせであり、ヒントだった。ママが今の性格を形成したことには、理由がある。その情報が、確定したのだ。ただの性癖ではない。


「安心して。……僕は、ママに全てを捧げてもいい。命だって、ママが拾ってくれなかったらなかったものだからね」


 僕も、静かな声で答えた。

 ママは僕にとっては神様だった。ほんの少し前、僕に向ける愛情がエロスのそれであることを知ったその日まで。


 でも、その日を境に、ママは手の届くところにいる気がしてならない。ずるくなると決めたのだ。掴みに行きたい。特別になりたい。


「本当に、愛してるんだったらいい。でも、羨ましいよ。一人の男として……」


 あれだけ綺麗な人だ。そして、優しい人だ。そんな人の特別な感情、それはきっと誰でも欲しいだろう。


 孔明お兄ちゃんがこう言っている。つまり、それは僕に向けられている。

 返答には困った。どう答えても、恋敵になってしまう気がした。

 助け舟を出したのは、孔明お兄ちゃん本人だった。


「でもまぁ、俺には羨ましがる資格なんてない。そもそも、俺は恋の前段階くらいでやめちまったからな」

「なんで?」


 僕には、やめる意味なんてわからなかった。


「簡単な話だ……。ママに恋をする前に文に出会って、心を奪われた」


 びっくりした。損得勘定と戦略に生きているような、孔明お兄ちゃんが。物語中を生きているような文お姉ちゃんのことが好きだなんて、誰が予想できるだろうか。


「へぇ? どんなところが?」


 意外だし、孔明お兄ちゃんが初めて弱みを見せた気がした。

 だが、孔明お兄ちゃんはそんな人ではないのだ。


「いや、だって文は面白いぞ! 俺とあいつが組むと最強だ。俺が損得勘定で未来予想して、文がキャラクター性から未来を予想する。どっちが正しいかをしっかり考えると、高確率で正解が引ける」


 ごちそうさまと言いたい。盛大にのろけられた。

 でも、ここで最強という言葉が出てくるあたりが孔明お兄ちゃんらしい。恋愛にも、戦略を持ち込むようだ。


「あはは……。進んでるの?」

「いや、全くダメだ。俺は、付き合うメリットをこれでもかと提示してるつもりなんだがな……」


 どうやら、秋葉の軍師も恋はダメダメなようだ。そんなの、僕でもダメだってわかるのに。


「孔明お兄ちゃんさ、どうしたら文お姉ちゃんに面白がってもらえると思う?」


 要はそういうことだ。多分、二人共恋人を選ぶ判断基準は共通していると思う。


「あ……リン。お前は俺の救世主だ!」


 調子が、ものすごく狂った。孔明お兄ちゃんの、辛うじて人間を名乗れる部分が爆発している。


「ど、どういうこと?」


 意味はわからないけど、すごく面白い。


「前にな、リンへの不干渉を貫いてる時、酒に付き合ってもらったんだ。くそぉ……リンから二回もヒント貰っちまった」

「そんなことがあったんだ?」


 ちょっと顔がニヤついた。僕の知らないところで、そんなてぇてぇがあったなんて。

 これは、カゲミツお兄ちゃんへの報告案件だと思う。VTuber刑法に抵触している。きっと有罪だ。執行はいつになるだろうか……。

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