第171話・顛末
後日、秋葉家仮設事務所にその人物は訪れた。
「どうかもう、お許し下さい。我々はあなた方を侮っていた。少し力を削げば、こちらに引き入れられると、そう思っていた」
彼は、僕が以前関わったテレビ局の職員で、名前は最上さん。
そして、ここは仮設事務所の応接室。今、最上さんはテーブルに頭をこすりつけんばかりの謝罪をしている。
「そう言われてもな。何もしてねぇんだ。許して欲しいって言われても、何もできねぇ……」
そう言いながら、孔明お兄ちゃんは極悪人のように笑っていた。
「何が起きたんですか?」
今、この場にいるのは三人。最上さん、僕、孔明お兄ちゃんだ。ママは仮設事務所内にいるが、別室でモデリング中である。
「はい、秋葉リン様にご出演頂いて以降、当局は視聴率を大きく落としました。若年世代の視聴者を大幅に失ったのです」
僕も少しその言葉に眉をひそめた。視聴者さんというものは、放送を行う者にとってビジネスパートナーだ。敬称をつけないと言うのは何事だろう。
放送を見に来てくれるビジネスパートナーさんをまとめて表す代名詞こそが、視聴者という名詞だ。その言葉は、人間に結びつく。
「まぁ、要するに視聴者様方に戻ってきて欲しい。その手伝いを、秋葉家にして欲しいって話だろ?」
孔明お兄ちゃんは呆れたように物を言う。わざわざ“様”にアクセントを置いたのも、警鐘だろう。それはものではなく人であり、単なる数値ではなくビジネスパートナーだということ。
「その通りです……どうか、当局が力を取り戻す手伝いをお願いします」
悪びれず言う、最上さんに孔明お兄ちゃんは語気を強めた。
「無理だし、やりたくもねぇ! 帰ってくれ!」
僕も、少しだけ腹に据えかねる部分もある。今だから思うのだ。敬意の無いビジネスは、失敗して然るべきと。
「そんな……」
それに、補填したい部分は補填できた。あの番組の被害者はNANAMIさんであり、彼女は今秋葉家に居る。登録者数もこれから伸びるだろうし、お金も稼げるはず。加えて、秋葉家のマージンは同業他社に比べて異様に低い。できることは、全部やったつもりだ。
「あのな、お前らが視聴者様を失ってるのは単なる自爆だ。俺たちがやったのは、こいつの人間性をありのまま発信しただけだ。まぁ、台本使ってちょっと誇張させたが……」
「え? あれって、僕が言いたいことを予測して文字起こししただけじゃないの?」
台本に関する認識が僕と孔明お兄ちゃんで、ちょっとだけ違った。
「マジ?」
「うん……」
「と、こう言う奴だ。だから、イメージがいい。イメージがいい奴には、何したって勝てない。味方が多いからな。それを知らずに飛び込んだ、お前らの戦略ミスだ。反省して、苦しみを受け入れろ……」
僕も、違う理由でちょっとそう思う。僕を、秋葉家初めての本格的な炎上の火種にしたのは許せない。秋葉家のみんなに迷惑をかけた。
「わかりました……」
でも、もし反省したなら許されるべきだ。
「あの……。言葉を改めてください。視聴者さん、あるいは様です。それが普通になって、もし必要ならコラボしましょう」
僕が、このテレビ局とコラボしたら、秋葉家が許した証拠になると思うのだ。そうしたら、少しは視聴者さんも戻る気がする。
「マジか……。お人好しがすぎるなぁ……。わかった、秋葉孔明の名においてアドバイスだ。お前ら、リンをハメようとしたことを告白しろ。一旦視聴率は落ちる。だが、視聴率が回復し始めるだろうよ」
孔明お兄ちゃんは、許したい僕の気持ちを不満げな顔で受け入れてくれた。孔明お兄ちゃんが言うのだから、きっとそうなる。秋葉最強の軍師だから。
「無理です! そんなことを言ったら、私は職を失います!」
でも、それを個人で決断するのは重い。一介の職員では、そんなことを意見できないだろう。
だって、僕に仕掛けたことの短絡さから考えて、彼の上層部は目先のことしか考えていない。
「だよな。だからダメなんだ。本当は、ここに来るのはお前じゃなくて、社長と竹内とかいう芸人だ。まぁ、でも、お前に対してだけは矛を収めよう。これが、俺の名刺だ。お前の、名刺もよこせ。俺個人用に」
実際、孔明お兄ちゃんは完全に許したわけではなかった。
「はい、こちらです」
と、最上さんが孔明お兄ちゃんに名刺を渡した。
「んじゃ、今日は帰れ。またな!」
「はい……。失礼します」
そう言って、最上さんは退室した。
それからしばらく間を置いて、最上さんの足音が聞こえなくなってから孔明お兄ちゃんは言った。
「リン、一ヶ月後だ。それまでに、あいつが秋葉家に連絡をよこしてこないこと。そして、テレビ局をやめてること。この二つの条件を満たしていたら、あの最上を許そうと思う。それでいいか?」
でも、ちゃんと孔明お兄ちゃんは僕の許したい気持ちを汲んでくれている。まるで、なんでもわかってしまうみたいだ。
「うん! ありがとう!」
だから、全部汲んでくれたお兄ちゃんのことも、僕はとても好きになった。
「そんときは、こきつかえ……」
多分、そんなことはしないと思うけど……。
ただ、僕は思う。謝罪の意思を見せるかどうかで、社会の制裁は全く別のものになる。反省は価千金なのかもしれない。時に、最も強力な制裁は、被害者が振り上げた拳を振り下ろさないように頼んだ時に起こる。振り下ろされないために、離れるからだ。
最上賢治、実は優秀な人。英語が堪能で、ついでに趣味で合気道をやっている。そんなことを、孔明お兄ちゃんは僕に話してくれた。
敵を知り、己を知れば……。孔明お兄ちゃんはやっぱり軍師だ。だけど、孔子だか三枝だかという発言は、孔明の名を冠すお兄ちゃんとしてはどうかと思う。そもそも孫子だ……。
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