第169話・赤熱

 後日、僕はおててないないの執行を受けていた。やっぱりちょっとエッチなのである。


「美味しかった?」


 朝食は、りんごのリゾット。なんだか、病人になった気分も同時に味わってしまう。だが、このリゾットは……。


「うんすっごく!」


 だから、本当にママはプロの料理人なのではないかとすら思ってしまうのだ。


「おててないない、またしちゃったねー」

「うん。まさか、自分のスキャンダルを自分の目の前で報道されると思ってなかったよ。あ、そういえばVTuber法をカゲミツお兄ちゃんが今作ってるんでしょ?」


 それは、秋葉家の悪ふざけであり、放送の際の注意点の可視化にもなる。役に立たせてくれる人も多そうだ。

 現在goggledriveで公開作成が行われており、秋葉家全員が見ることが可能である。


「うん! バーチャル憲法第一条。全てのVTuberはこの法を用いる権利を有し、遵守宣言を行う事によって遵守の義務を負う。と、法律の方でも一つ。バーチャル刑法(未定)条。てぇてぇ不供給について。全てのVTuberは視聴者に対し可能な限りのてぇてぇを供給する義務を負うものとする。これが破られた場合、それが関係性てぇてぇの属性に合致する場合、関係相手による執行一日を懲役として課す。この懲役は、関係相手とその管理者及び視聴者の嘆願により、延長することが可能。だって!」


 カゲミツお兄ちゃん……ガチで作ってる。めっちゃそれっぽい。新しい法律大系が生まれ始めてる感じがする。


「あれ? ちょっとまって。それって、ママと視聴者さんがOKしたら僕ずっと執行されちゃうってこと!?」


 ママは、秋葉家の代表取締役であり、秋葉家VTuberの管理者という立場としても解釈できる。


「そうだね! ママが言えば、視聴者さんは結構同意してくれるから、ほぼ独断で刑期延長できちゃうかも!」

「僕だけハードモードじゃん!」


 しかも、憲法第一条が守られてない。僕は遵守宣言をしたことなんてない。なのに、既に執行されているのだ。本当に解せぬ……。


「おててないない、嫌?」


 そんな、切ない顔をされてしまうと僕は弱い。惚れた弱みである。


「嫌じゃないけど……視聴者さんに演奏を届けられないのは困るかなぁ……」


 もうすっかり、それも僕の特徴だ。RTGリアルトラッキンググローブを使った演奏の生放送。それもしっかりとやらなくてはならない。


「そっかぁ……。じゃあ、ママとこうしてるのは嫌じゃないんだね?」

「うん! だって、ママ大好きだもん!」


 そういえば、なのだが。昨日のスキャンダルは一切燃えていない。もしかしたら、本当に付き合い始めましたとか言っても燃えないのではなかろうか。

 だが、それはあくまで僕の妄想。ママ本人が、今の擬似親子関係をやめて、恋人になってくれるかどうかは別の話だ。


「そっかぁ。大好きかぁ……。ママもね、リン君大好きなんだ!」


 悲しいけどわかってる。この大好きが僕だけに向けられるものじゃないことくらい。ママは、秋葉家と春風家。そこにいる誰も彼もを大好きなのだ。


「ねぇ、ぎゅってしていい?」


 でも、今は執行中。今日くらいは、ママを独占してもいいじゃないか……。


「あ!? えと! ……いいよ」


 なんで、一瞬戸惑ったのだろうか。そう、疑問を感じながらも僕はママに抱きついた。

 ママの皮膚、その下に赤い熱が脈打つのを感じる。少し、ほんの少しだけ、ひょっとしたらドキドキしてくれているのではないだろうか。

 それは、特別なものなのじゃないだろうか。


 そう思うと、僕まで心臓が高鳴ってくる。勘違い、そうも考えられる。でも、それでも僕の心臓が早鐘を打つ理由には十分だ。だって、そもそも僕は恋焦がれている相手に抱きついているのだ。平静で居ろ、それは無理な注文である。


「ママ……」


 とてつもなく愛おしくて、僕の全てを捧げたい相手。


「リン君。あのね、ママ最近変なんだ……」

「え?」


 世界の全てが静止して、その一言に心が奪われた。


「わかる? ちょっと、ドキドキしちゃうの」


 肯定。勘違いではない証明。

 それは、これまでかけられたどんな言葉より嬉しかった。

 でも、それに続く言葉はほんの少しだけ残酷だった……。


「ハラハラしてるのかな? 心配なのかな? なのに、何か、ずっとこうしてたい。ママも、抱きしめていい?」


 ママにはアガペーはあっても、エロスがなかったのだ。恋愛を理解していないのは僕もママも同じだったのだ。

 一足先に、僕は理解してしまった。僕とママの恋愛は牛歩もいいところ、蛞蝓ですらもう少しマシな速度で歩むだろう。

 でも……。


「うん……」


 その言葉は、僕の魂を直接刻み付けるようで、心の底で甘い傷が疼いた。


「あったかい」


 溶けてしまいそうだ。幸福の中で溺死してしまいそうだ。

 この高鳴りは、熱は、ママが僕から引きずり出しているもの。


「ねぇ、ありがとう。ママね、秋葉家の子はみんなとってもすごいのに負けてるのがずっと悔しかった。今は、リン君が入口になってたくさんファンの人が来てくれるようになった。ママの、宝物の価値を証明してくれてありがとう」


 僕はその言葉を額面通りに受け取った。

 だから僕は思った。それは、僕だけの力ではないのだと……。


「秋葉家のみんなが元々すごいだけ……」


 そう、僕一人だったら負けてた場面は何度もあった。今の秋葉家は、全員で作ったものだ。

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