第158話・風精の憧憬
舞台袖に移ると、白組最後の人の歌が聞こえる。
シルフェさんだ。
「ねぇ聞いて、私ね、頑張ってるけど自分が思うようには行かないんだ。言葉だって、いつも気持ちをは裏腹。嘘ばっかりついちゃって、隠しちゃうんだ本当の自分」
囁くような、柔らかい声。だけど、そこには信じられないほど感情が乗せられていた。
あまりにもそれが伝わってきて、心が苦しくすらなる。
技術も、プロのそれだ。だけど、言語化してはいけない部分に、シルフェさんの歌の上手さは詰まっていた。
「素敵だ……」
僕の口唇は、無意識に感想を零した。
「はい。シルフェさんは、最近すごく成長したんですよ。それこそ、白組の最後を任せたくなるほど」
フォルセさんは、言った。だとしたら、ちょっと後悔だ。もっと、しっかり僕はシルフェさんを見るべきだった。もっと早く、シルフェさんを見つけたかった。
「理想ばっかり大きくって、押しつぶされそうになる。それでも、やめられないんだ苦しくてたまらないのに。だから、頑張って、頑張って、ダメになって落ち込んで。それでも、やめられないんだ。私って、本当に馬鹿だから」
そんなことが、シルフェさんにもあったのだろうか。理想と現実のギャップに戸惑って、苦しんだ時期が。無いなんて、言えないほどにそれは心の底に響いた。
聞いてて胸が苦しくなる。痛くて痛くて、たまらなくなる。
「下手くそなんだ! 下手くそなんだ! 生きるのが下手くそ過ぎて、苦しい……だけ」
全部の音が止まったような、それはまるで世界を止めてしまうかのような。
「下を向いて! 下を向いて! 歩けばいいだけなのに! それも怖くて、何処を向いていいかわからないよ! 理想なんだ! 理想なんだ! あなたがくれた、私の理想なんだ! 諦めきれない私は、下手くそなんだ! ただ……生きるのが」
圧倒された。それがあの引っ込み思案な彼女から発せられる声とは思えないほど、力強かった。そして、胸を引き裂くほどそれは痛くて、心を抉られた。
すごい。ただただ、そう思った。これだけの感情を完全に表現しきるだなんて。でも、それは苦しみだ。
僕の手の届く場所で、誰かが苦しんでいるのは辛い。そう思うのは、傲慢だろうか。だけど、叶うなら、いつかシルフェさんに届く歌を作りたい。そして伝えたい。あなたはすごいんだって。
「では、一足先に行きますね」
そう言って、フォルセさんは舞台袖から出て行った。
舞台には、アイナさんとフォルセさん。その真ん中に、シルフェさんがいた。
「素晴らしい歌声でした! シルフェ・ソヌスさんで『憧憬』でした!」
人狼の時も司会をやっていた二人だ。カサ・ブランコ不動の司会担当なのかもしれない。
「歌声もいいですけど、歌そのものも素晴らしいですよね! これは、シルフェさんがご自分で作曲なされたとか?」
フォルセさんが、シルフェさんに尋ねる。
「ん……作った……」
歌い終わったシルフェさんは、いつもの彼女に戻っていた。寡黙で、声の小さい少女に。
「いやぁ、本当に才能溢れる人ですよね! ということで、シルフェさんありがとうございました!」
「ありがと……」
そう言って、シルフェさんは小さくお辞儀をして舞台袖に走ってくる。そう、僕の
方に。
シルフェさんが舞台袖に入ってくる。そして、僕を見つけた瞬間、その顔が一瞬で真っ赤になった。
「歌、すごかったです」
でも、僕は声を掛ける。赤面の理由もわからなかったし、何より素晴らしいものだったと伝えたかったから。
「あり……がと……」
そう言いながら目をそらすシルフェさんは、ただの可愛らしい少女に戻っていた。
「では、大トリです。VTuber歌唱界のラスボス! 不死鳥の歌姫こと、秋葉リンさんです!」
シルフェさんと話したいことはまだある。だけど、行かなくちゃ。フォルセさんが呼んでいる。
「頑張って……」
シルフェさんのちいさな声の応援に強く頷いて、僕は駆け出した。
「ラスボスってなんですかー!?」
大きな声で、フォルセさんに抗議しながら。
「いや、だって、あの歌唱力で一般VTuberを名乗るのは無理がありますよね? どうですか? アイナさん!」
「そうですね、歌唱界の魔王! でも可愛いので、幼女系魔王ということで!」
不名誉極まりない二つ名が、年が切り替わる寸前というこの節目で発生してしまった。それが歌の幼女系魔王である。
「幼女じゃないもん! おじさんだぞ!」
「おじさんカッコ12歳ということで!」
バーチャル年齢が、もうV界隈に浸透してしまったようだ。僕は非常に悲しい。
「では、そんな魔王幼女おじさんに歌って頂きましょう! 伝説のあの曲を!」
「魔王でも幼女でもない!」
僕は否定するけど、無慈悲に伴奏が始まる。それは、僕がこの世界であげた産声になった歌。そして、僕の歴史にいつも寄り添ってくれたあの歌。MalumDivaだ。
僕の象徴だ、万感の思いを込めて歌おう。これが、今年最後の歌だ。
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