第144話・一矢決着

 出てきた男性は、クロノ・ワールの社長だった。

 外で話し合うわけにも行かず、僕らはそのまま応接室へと通される。


「さて、示談の交渉ですか? どの件で?」


 男性が言うと、カゲミツお兄ちゃんが笑った。


「わからないわけないんですけどね……。こちらをご覧いただけます? こちら、偽計業務妨害ですよ?」


 それは、カゲミツお兄ちゃんが僕達家族に絶対に向けない笑顔だった。


「こちら、我社のツイートですよね? 偽計とは……」


 男性は往生際が悪かった。だがしかし、ここに来る直前、僕たちは何よりの証拠を手にしてしまっている。


「リン君、手紙を」

「うん」


 法廷には筆跡鑑定士もいる。だから、手紙も十分な証拠になる。


 これは、考えるまでもなくシズクさんの筆跡なのだ。ツイートが偽計であることなんて、この一枚で十分証明できてしまう。


「本当はね、別に証拠いらないんですよ。シズクさん本人に法廷にお越しいただければ済む話ですから。ついでに、いろいろバレちゃいますよ?」


 でも、クロノ・ワールには五十人を超えるVTuberが所属している。その全ての生活を奪うのは僕たちにとっても本意ではない。


「ぐ……で、どのような条件で示談していただけると?」


 敗北は既に決定していた。会社を存続させるためには、こちらが提示する条件をそのまま飲むしかない。


「お安いですよ? なにせ、あなた方は辞めたいと言っている所属タレントを辞めさせてあげればいいだけです。契約期間は設けてないですよね? そしたら、退職届を出してから二週間後にはやめさせてあげなきゃいけない。民法627条にそう定められています」


 それは、賠償を求めないこととほぼ同義。本来従わなくてはいけない法律に従うことを条件に示談としているのだから。


「わ、分かりました……」


 従う他ない。なにせ、違法行為が露見している。それを暴露された時点で会社が終わる。


「あ、それからもう一つ。五期生とそのマネージャーさん、ここに呼んでください。どうせ、今辞めたいって言ってるのは彼女らでしょ? そして、軟禁してらっしゃるでしょ?」


 僕が関わった範囲は五期生の三人だ。だとしたら、今回のことで人生を動かされる可能性があるのは、五期生に限定される。


「分かりました。お呼びします」


 もはや、クロノ・ワールにカゲミツお兄ちゃんに逆らう力は残されていない。

 クロノ・ワールは如何にして僕たちから、示談をしたという証明を勝ち取るか、それだけが勝負なのだ。

 社長はPHSを使って社内通話をしている。医療などの現場ではよく使われる手段だ。


「さて、あとはママとリン君の戦場だ」


 カゲミツお兄ちゃんのできることは終わった。五期生からどれだけの人が秋葉家に来てくれるか……それは僕達にかかっている。


「五期生、直ぐに参ります」


 電話を切って社長は言う。どこか疲れたような顔で。

 クロノ・ワールは秋葉家を甘く見ていたのだということがわかる。単なる個人勢だったら、クロノ・ワールという大企業に目を付けられた時点で終わりだろう。

 だが、僕たちは秋葉家だ。秋葉家には、大企業ですら力押しではどうにもできない力がある。個人勢なのに、法務部があるから。


「ではこちら、示談の書類になります。言った以上のことは書いてありません。そのことをご確認ください」


 カゲミツお兄ちゃんはカバンから書類を取り出して、机に並べる。弁護士が作成した書類だ。法的な効力を持っている。

 万が一この内容が破られれば、それはもう裁判だ。当然、クロノ・ワールはそれを避けたい。


「確認しました」


 社長はそれに目を通して、サインをした。

 これにて、秋葉家の勝利は確定した。


「なんなんですか? 秋葉家って……」


 ふと、社長が言った。

 それは、負け惜しみだろう。個人勢のVTuberに手を出して、こんなことになるとはきっと思ってなかったのだ。


「家族ですよ」


 僕たちは異質だ。いくらママと言っても、こんなふうにママとの絆を大事にするVTuberなんてほかにいないだろう。でも、だからこそ僕たちはうまくいっている。

 そもそも、一人のママがこんなにたくさんのVTuberを生み出すことだって少ないだろう。ママの異次元の才能が僕たちの要だ。

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