第143話・落とし手紙

「さて、こういうのは相手にプレッシャーをかけられればかけられるだけいい」


 開戦の狼煙を上げたのは、孔明お兄ちゃんのその一言。

 クロノ・ワール本社ビル前にて、僕たちの五期生解放作戦が開始された。


「となれば、先頭は俺だな」


 まるで戦地に赴くかのような眼差しで、カゲミツお兄ちゃんはインターフォンを押した。

 カゲミツお兄ちゃんにとってはここが戦場なのだ。弁護士の戦場、それは法を利用した取引と裁判所。今回も前者である。


「はい……」


 インターフォンをの向こうから聞こえる声は女性のものだった。だけど、そこか暗い雰囲気をまとっている。それは、クロノ・ワールの現在の内情を雄弁に語っていた。


「お世話になっております。我々、秋葉家と申しまして、本日は示談交渉に参りました」


 カゲミツお兄ちゃんの言葉に、インターフォン越しの女性は狼狽したような声を出す。


「な、なんの示談でしょうか!?」


 動揺が表層化することは、対等な関係を崩すことに繋がる。それは当然相手もわかっているはず。それでも表に出てしまうのは、きっと余裕がないからだろう。


「秋葉リンに対する、偽計業務妨害の件です」


 あるいは、今のディストピア化したクロノ・ワールを崩すための最初の一矢になると思っているのかもしれない。


「そ、そのような事実は……」


 当然、無いと言うように言われているだろう。だが、その態度ではあると物語ってしまう。


「申し遅れました。私、弁護士の日暮正直と申します。秋葉カゲミツと名乗ったほうが通りが良いでしょうか? ともあれ、責任者様にご対応願います」


 だからこそ、カゲミツお兄ちゃんはそれを最後まで言わせなかった。

 そもそもの話、示談をする相手はインターフォン越しの女性ではない。クロノ・ワールという企業全体だ。


「かしこまりました。お取次いたします……」


 弁護士とは、法治国家において強い力を持つ存在だ。国を動かす基盤である法律を深く理解している存在だからである。

 だからこそ、ただの社員でしかないその女性では相手にできないのだ。


 インターフォン越しの通話が切れた。

 その直後、孔明お兄ちゃんは深く息を吸った。


「いま助けに行く! 少し待ってくれ!」


 声はビルの上階に向けられていた。

 開いた窓は、僕も使ったことがある仮眠室がある一画のものだった。

 数秒の後、その窓から紙飛行機が落ちてきた。


「孔明にい、それは?」


 カゲミツお兄ちゃんが問う。


「五期生の誰かからの手紙だ。軟禁状態っていうのは退屈でな、窓が開けられるなら俺なら絶対開けておく。だから、呼びかけてみたら案の定ってわけだ」


 そう言いながら、紙飛行機を広げていく。そして、それはすぐに僕に渡された。


「僕宛ですか?」


 それに、孔明お兄ちゃんはうなづいた。

 手紙の内容はこうだった。


『あなたとの収録は本当に楽しかった。なのに、あのツイートを止められなくてごめんなさい。リテイクを重ねる度、私は成長した。それは、私にとって何よりの宝だった。なのに、ごめんなさい。私は、美月シズクをやめる。VTuberをやめる。だからもう、二度と会えないかもしれない。どうか、これをリンちゃんに届けて』


 最後の一文だけ、文字が汚い。きっと今書き足したのだと思う。


「ママ、シズクさんは秋葉家に迎えるんだよね?」


 二度と会えないなんて、絶対にない。僕はここにいる。これから会いにいく。


「うん! 秋葉家って言うか、その分家だけど」


 VTuberをやめるという覚悟も、どうやら無駄になるみたいだ。

 そもそもシズクさんがVTuberをやめるなんて勿体無い。だって、シズクさんのファンはたくさんいるはずだ。


「そっか。シズクさん、VTuberやめられないね!」


 それがちょっと嬉しい。

 ママは、秋葉家を企業にすると言った。なら、僕とシズクさんは同じ企業に所属する仲間になる。僕は、シズクさんが好きだ。だから、仲間になって距離が近くなるのが嬉しいのだ。


「ふふふ、そうだね? でも、本当に辞めたいって思ってるならママたちもとめられない」


 法律的にも、それはダメなのだ。就職は権利であって義務じゃない。


「ま、それに関しては大丈夫だろう……。秋葉家が受け入れるんだから」


 何故だか自信満々に、孔明お兄ちゃんが言った。

 その時、本社ビルの扉が開く。中から、苦々しい顔をした男性が出てきた。

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