第135話・火種
NANAMIさんは芸能界を引退すると言った。だけど、彼女のツブヤイッターは稼働している。完全実力主義の彼女らしからぬ言葉で……。
NANAMI
秋葉リンの歌はひどかった。ピッチはずれてるし、感情表現も稚拙だった。でも、VTuberの技術はすごいよ。エフェクターであそこまでごまかせる技術があるなんて知らなかった。
NANAMIさんは、芸能界に居場所を失くすことを覚悟して僕の歌を褒めた。だから、わかる。彼女は歌に関しては絶対に嘘をつかない人だ。
どこまでも実力だけを評価し、劣れば見下すし、優れたるは尊敬する。それだけを突き詰めた性格をしている。だから、わかる。NANAMIさんのアカウントを動かしているのが、彼女本人ではないことが。
それでも、NANAMIさんのアカウント自体が持つ力はとてつもなく大きい。歌の権威であると言っても過言ではなかった。
盲目的にそのアカウントの発言を信じる人間は、何も一般人だけではない。ミュージシャンだって、それを信じる人がいる。
だけど、ミュージシャンが故にそれに反発をした人もいた。
ASAGAERI公式
秋葉リンちゃんの歌を、DAWに取り込んでみた。
確かに、これはピッチがずれてる。
だけど、倍音が綺麗に本来の音程に合わせられているのが観測できた。
実際、ASAGAERIが使っているDAWで倍音を聞かせるように調整したみた。聞いて判断してほしい。
そのツイートには画像ファイル一個と、音声ファイル一個が添付されていた。
画像ファイルは、僕の歌を取り込んだDAWの画面だ。DAW上では、僕の声は本来の音程の1オクターブ下と認識されている。音程を1オクターブ上げるということは、周波数を倍にするということなのだ。
そして、音声ファイルはASAGAERIのヴォーカルの声が加工されたものだろう。だけどそれは、もはや五十音の体裁を保てていなくて、電子音にしか聞こえなかった。
そして、他にも今回の件に関するミュージシャンのつぶやきは投稿されている。
IeCo
エフェクターを使えばここまでの表現が出来るだけの素材を作り出す力。それを、NANAMIが評価しないなんてあるかな?
ひょっとしたら、NANAMIのアカウントが乗っ取られてるかもしれない。
みんな、気をつけて……。
NANAMIさんのアカウント乗っ取り。それは、僕も考えたことだった。
僕を目の敵にする人と、僕をシンガーとして評価してくれる人がネット上で対立している。それはさながら、戦争だった。
これが、秋葉家の歴史で初めての炎上ということになる。
「ねぇ……こうなるってわかってた?」
ママは今、電話で孔明お兄ちゃんとしゃべっている。
電話はスピーカーになっていて、その会話の内容は僕にも聞こえていた。
『炎上をすることになるっていうのはわかってた。だけど、もっと小さい火種を予想してた……。今、すごくリンに謝りたいんだ』
電話の向こうで言う、孔明お兄ちゃんは聞けば聞くほど普通の人だ。この人が、秋葉家の頭脳だなんて誰が思うだろうか。
渡されたママの携帯電話に、僕は声を投げた。
「初めまして。リンです……」
秋葉家は家族。とは言っても、孔明お兄ちゃんとは初対面。距離感が掴めなかった。
『リン。本当にすまない! 予想が間に合わなかったせいだ! 辛い思いをさせた!』
確かに、今の状況は辛いといえば辛かった。だけど、家を飛び出すつもりもなければ、一人になるつもりもない。僕は、甘えるということを少しづつ覚えてきたのだ。
「気にしないでください! それより、本来想定してた火種を教えて欲しいです」
火種になると思ったのだったら、それは今から発火してもおかしくないと思う。だからこそ、知っておいて損はないと思った。
『わかった。本来想定してたのは、VTuberの企業だ。リンは今、とてつもないファン数を誇っている。それを取り込むために、一旦炎上させる可能性があると考えた。考えられるのは、カサ・ブランコとクロノ・ワールだな。それで、今の状況、絶対に炎上は起きると思う。リンは賢いよ……』
孔明お兄ちゃんにそう褒められた。
考えれば分かるのだ、弱らせてから仲間に引き入れる作戦。それなら、テレビ芸能界という巨大な力が僕を攻撃しているこの瞬間が好機。ここで、行動を起こさないなんてありえない。だから、僕は敵がどんなものか知りたかった。
「ありがとうございます。それで、僕はどう動けば?」
『今はとにかくじっと耐えて欲しい。どっちの企業が炎上の火種になるか、あるいは両方か……その情報が欲しいんだ』
「分かりました!」
なんだか、元気が沸いてくる。こんな状況なのに、テレビ芸能界に負ける気なんてちっともしない。
「不安かもしれないけど、私たちがついてるからね!」
そう、ママが言う。
そうだ、僕はそう思ったのだ。僕には秋葉家のみんながついている。異能集団なんて言われている僕たちだ。できないことなんて、あるはずがないのだ。
『リン、もう一つ謝らせて欲しい。誘拐の件、予測できなくて本当にすまなかった』
それに関しては、僕は孔明お兄ちゃんが悪いなんてこれっぽっちも思わない。
「僕が秋葉家に来たばっかりの話じゃないですか!? それを予測できるのは、頭がいい人じゃなくて預言者ですよ!」
そう言って、笑い飛ばした。
僕は孔明お兄ちゃんとも、もっと話したい気分になったが、状況がそれを許さなかった。
『そっか、ありがとうリン。じゃあ、俺もちょっとばかし手を打つか! 平凡な一手だけどな……』
それを最後に電話が切れた。
「リン君、辛くない?」
ママにそう尋ねられても、僕は自信を持って答えることができる。
「辛くないよ! ひとりじゃないから!」
秋葉家が居る。それだけで百人力を超えて万人力だ。家に閉じ込められていた僕なんて、もうどこにもいないのである。
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