狙われた秋葉家
第132話・ナンバー・カースト
テレビ収録当日が訪れた。
テレビ局が所有するスタジオ、その前でママと別れ、僕は一人でスタジオに入る。
機材も、関わっている人の数も、これまで経験したことがない規模。少し、気圧されるけど、僕は意を決して踏み入れた。
「もしかして、秋葉リンちゃんでいいのかな?」
僕に声をかけたのは髪を赤く染めた、綺麗な女性だった。身長は……平均より少し高めだろうか。僕より背が高いことは、もはや言及するまでもないことである。
彼女の名前を知らない人は少ない。日本を代表する、シンガーだ。
「あれ? NANAMIさん!? 本人……ですか!?」
それはあまりにも有名で、目の前に本人がいるだなんて信じられようはずもないことだ。芸能人としての格が、僕とあまりに違いすぎる。CDを出せばミリオンセラーどころか、その十倍に到達するほどだ。
「本人だよー! 今日はよろしくね! VTuberの歌姫ちゃん?」
どこか、眼中にないという印象を受ける。それもその筈。僕はあくまで、VTuber業界で歌が上手いというだけ。本物のプロに太刀打ちなどできるつもりなど、最初からない。ネットという、世界をまるごと飲み込んだ市場で売っているから、売れているだけなのだと思っている。
「こちらこそ、よろしくお願いします! ご一緒できるなんて光栄です!」
芸能人なんて、才能を持つ人間の一つの到達点だ。同じ空間にいられるだけで、快挙と言えるだろう。
この時の僕は、芸能人というものを過大評価していたのだ。
「リンちゃん、なんで歌なわけ? その見た目なら、モデルとかじゃない?」
そして、芸能人の側も僕を過小評価していた。
そんなことに気づかないまま、僕はNANAMIさんと話を続ける。
「実は、モデルもやってるんですよ! でも、正直歌の方が、売れてます」
僕の収益を支えているのは、歌だ。モデルは、その収益を考えると副業としても寂しい程度の利益しかない。でも、モデルとしての僕をきっかけにファンになってくれた人もいる。それを考えれば、持ちつ持たれつとも言えるだろう。
「へー、その外見より売れる歌かぁ……。プロのレベルではあるのかもね?」
その言葉には、『私には敵わないけど』という言外の言が含まれている。そして、僕も敵うなど毛頭思っていない。だから、一切それを気に止めなかった。
「まさか……プロの方に敵うなど思っていませんよ!」
歌で勝負となれば、僕はNANAMIさんの胸を借りるつもりだ。
でも、NANAMIさんに関して僕が知っていることは一つだけ。日本一の歌姫と呼ばれていることだけだ。
「謙虚だね、それがいいよ! でさ、多分今日は歌うことになると思う。私と、リンちゃんが来てるからね」
「あ、そっか! 僕とNANAMIさんですもんね! じゃあ、胸、お借りします!」
違うジャンルの頂点と言われる歌姫が二人集まった。これを競わせるのは、撮れ高を手っ取り早く確保する手段として、この上なくわかりやすい。
「なぁ、混ぜてくれへん? おっさんも、そのめんこいのと話したいわ……」
ニコニコとした、恰幅のいい男性が近づいてくる。その話し方はどこか親しみやすい。それに、きっと関西の人だろう。関西の人は、一人称がおっさん、二人称がおっさん、三人称があのおっさんであると、どこかで聞いた。
「いいですよー! 竹下さんもお話しましょうー!」
そう、言ったNANAMIさんの表情にはどこか緊張が浮かんでいた。
芸能界には、おそらくカーストが存在する。ファンの数が、そのカーストを決めているのだと思う。つまり、数字を持っている人が偉いのだ。
「初めまして! 秋葉リンです! よろしくお願いします!」
だが、僕はその芸能界とは違う部分で生きている。例え、芸能界から仕事を貰えなくても生きていける。それだけに、僕は気楽だった。
「おい、NANAMIぃ! 何、教えとんねん!?」
ドスの効いた声だった。
芸能界では相手を知っているということが礼儀となる部分が有る。竹下さんが怒ったのは、それを確認する機会を奪われたからだろう。
だが、そもそも予習済みだ。竹下さんは、とても有名な人である。
「あ、いえ……すみません……」
NANAMIさんは、その声に一瞬で萎縮してしまった。
ため息を吐きたくなる。有名で、力もある人が、なんでこうも狭量なのだろうか。一気に、僕は竹下さんのことが嫌いになった。
「まぁまぁ、竹下さんの名前を知らない人なんているわけないじゃないですか!? 司会といえば、竹下さんですし!」
だけど、嫌いなだけだ。それは、悪態をつく理由にもならない。
この発言は、少しNANAMIさんに肩入れしている。竹下さんの機嫌をとって、怒りを鎮めさせる意図があった。
「そうかそうか! みんな知っとるわな! はっはっは!」
あー、いやだ。テレビのオファーを断れば良かった。芸能人の嫌な顔が次々見える。天下の有名司会者が、こんなにも単純な性格をしているなんて、知りたくもなかった。
「ふふっ、そうですよ! よっ、竹下さん! 日本一の司会!」
「はっはっは! リンちゃんおだてるのうまいなぁ! おっさん、気分良くなってきたわ!」
今、気分を悪くさせないのは、自己保身のためだ。芸能界には、こんなめんどくさい人がいるのだ。
でも、当然そうではない人もいることを知っている。Utubeに流れてきた芸能人で生き残ってる人は、案外人格者だったりするのだ。
「本番、五分前でーす!」
番組ADのその声と一緒に、僕は竹下さんに自分の座席に案内してもらう。
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