第116話・努力の人

 予定は次から次へと消化せざるを得ない。忙殺されるような日常だ。コラボの依頼が畳み掛けるように襲ってきて、歌の練習もしなくてはいけない。自分の放送もおろそかにできない。ママが、スケジュールを調整してくれるからなんとかやれているものの、一人だったら無理だった自信がある。


 今日は、シズクさんとのコラボ曲、『電脳姫征服中♪』の収録当日である。これで、歌の練習は終わりになる。結局、合わせるのは今回が初めて。スタジオはクロノ・ワール本社の中にあって、僕はそこにいた。


「リアルでは初めまして、美月シズクの中の人、佐藤花子です! 名前がモブって言わないでね!?」


 それは、どこまでもありふれた名前だった。シズクさんがこんなにも目立つようなキャラクター性になったのは、その名前の反動だろうか。


 だが、外見は決して平凡ではない。整った顔立ちに、栗色の髪の毛、スラリと伸びた四肢には憧れすら感じた。


 格好良さと可愛らしさが同居する、とても綺麗な女性だ。


「秋葉リンです。本名は、七瀬凛。……えと、よろしくお願いします!」


 シズクさんのような面白い一言など、僕には思いつきようはずもなく、平凡な自己紹介を返す。


「いやぁ……本当に、男の子って思えないね……。かわいすぎるでしょ! マネちゃんもそう思わない?」


 この場にいるのは四人だ。僕、シズクさん、葛城さん、そして音楽のディレクターさんだ。


「ええほんとに。でも、シズクちゃん、あまり可愛いと言いすぎてはいけませんよ。彼だって、男の子なんですから」


 既にもう、言われすぎている気もする。


「あはは……」


 でも僕はそれを隠して照れ笑いをした。


『ところで、俺も紹介してもらえませんか?』


 そんな話をしている内に、拗ねたように音楽ディレクターさんがMIXルームから声を投げる。


「失礼しました。彼は、クロノ・ワールの音楽ディレクターを勤めている、御劔みつるぎです」


『通称MDです! って、このネタ若い子には通じないんだった……』


「知ってますよ! 実は僕、おじさんですから!」


 そうなのだ。僕も27歳、人によってはおじさんと思ってもおかしくない年齢である。というか、もうすぐ28歳だ。それはもはやアラサーではなくニアサーである。

 つまり、MDことミニディスクもギリギリ知っている年齢である。僕が小学校に入った頃はまだMDはバリバリ現役だ。ちなみにMDとは小さなCDのようなものが入ったカセットで、録音媒体だ。


「「『え!?』」」


 三人の感嘆がシンクロする。爆弾発言もいいところだったかもしれない。


『まさかぁ……だって、リンちゃんってどう見ても……』


「うん、正直、幼女だよね……」


 シズクさんの発言に、僕は少しだけ怒った。


「幼女じゃないです! 成人してます!」


 そんなやり取りを経て、御劔さんとは少しだけおじさんトークに花を咲かせた。

 そして、収録が始まる。


 シズクさんは歌は上手だと思う。音程は間違えないし、表現だってしっかりとやっている。でも、僕にはそれが物足りなかった。


 確かに、シズクさんの歌い方は可愛らしさと色気を僅かに帯びている。多分、VTuberとしてはこのあたりで十分なのだろう。


 でも、僕は不満だ。


『うん、二人とも良かったよー! シズクちゃん、安定してうまいね! リンちゃん、さすがの実力だね!』


 これでいいのか……。その思いに後ろ髪を引かれる。このままOKされてしまったら、僕はこの歌に自信を持てない。表現のすり合わせも済んでいない。このままじゃ歌がバラバラになる。


「待って! 今のは、どう聞いたって完成じゃないでしょ!? 私がリン君の足を引っ張りまくった! あんなの、完成にしたくない!」


 止めてくれたのは、シズクさんだ。


 ちょっとだけ、僕が止めたい理由とは違ったけど、それでも止めてくれたのが嬉しかった。


 シズクさんは、僕の表現力に追いつこうとしているのだ。やっぱり、努力の人だ。それだけは見誤っていなかった。


 それが一番大事な部分であり、僕がシズクさんを好きな理由だ。


『あれ? もしかして、シズクちゃんって、アドバイスガンガン投げても大丈夫?』


 御劔さんの顔が変わった。それはもはや、アイドルとして成長途上の姿すら売り込むという表情ではない。鍛えに鍛え上げ、一流のプロアーティストを育てる顔だ。


「遠慮してたの!? そんなのやだ! もう二度と遠慮しないで! 改善点があったら全部言って!」


 シズクさんの顔は変わらない。どこまでも真剣に、ギラギラと輝く目のままだ。


「だから私は言ったのですよ。シズクは、どこまでも努力の子だって……」


 変わらなかったのは、葛城さんも同じだ。ずっと微笑んで、信じて、シズクさんを見つめている。


『じゃあ、もう手加減しない! 容赦なく行くから、シズクちゃん、へこたれないでね!』


「当然!」


 この人が、努力を辞める姿が思い描けない。


 御劔さんは宣言通り、容赦なくアドバイスをシズクさんに送った。


 それを踏まえての、テイク2が始まる。

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