第113話・醉眠

 放送が終わり、葛城さんがフリップを置いてこちらにやって来る。


「とてもいいライブでした! バーでのやり取りといった感じがよく出ていたと思います」


「ありがとうございます! でもリンちゃんが何もお酒飲めなくて残念です……」


 と、霰さんは伏し目がちに答えた。そうは言われても、苦手なものは苦手なのだ。僕はやっぱりノンアルコールがいい。


「ごめんなさい。アルコールは喉がふわふわして苦手です……」


 あと、ちょっと苦い。でも、味覚が子供だと証明されたみたいでなんか癪だ。


「さて、お二人共、酔ってる感覚はありますか?」


「私は全くないですよ! どうせ、内臓の九割肝臓ですし……」


 そう言いながら、霰さんの声はどんどん沈んでいった。


 霰さんには二つ名まであるのだ。それが、内臓の九割が肝臓の清楚枠。飲酒放送は霰さんは度々行っている。だが、酔った回が一回もないのだ。


 伝説もある。それがアブサン配信である。アブサンと言うのはアルコール度数が68度のお酒だ。それを一瓶飲むまで放送を終わってはいけないという配信である。


 これで全く酔わなかったのが霰さん。僕はこの配信だけ見た。オフコラボだったため、相手の情報を集めたのである。


「僕も……な……い……」


 突如、世界がぐるぐると回る。頭が急に暑くなって、意識が遠のいていく。


 椅子から崩れ落ちる僕を葛城さんが受け止めた。


「酔ってらっしゃったんですね。あんなに、しっかりお話されてたのに……」


 一口づつで三口。それだけで僕は酔ってしまったのだろう。ぼやけて、まだ残る意識で周囲の音を拾った。


「お酒ダメな人に飲ませちゃいました……どうしましょう……」


 そう言ってうろたえる霰さん。


「大丈夫ですよ、霰ちゃん。リン様が飲酒なされてから既に一時間が経過しています。その間に急変がなかったのですから、ひどいことにはなりません。緊張が解けて酔いを実感してしまったのでしょう。今はタダ、寝かせてあげましょう」


 その言葉を聞いて、僕の意識はプツリと途切れた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 目が覚めたのは仮眠室のベッドの上。


「おはようございます。お加減いかがですか?」


 葛城さんの声。それがやけに頭に響いた。


 少し疲れた葛城さんの心配そうな顔が、僕を覗き込む。


「おはようございます……いてて」


 起き上がろうとすると、頭が割れるように痛んだ。


「まだ寝ててください。満様には私からご連絡差し上げました。酔って、寝てしまったので今日はお泊まりいただきますと」


 それを聞いて、少し安心して、僕はベッドに体を預けた。


「霰さんはどうしました?」


「隣の仮眠室にいますよ。多分起きてますね。リン様を心配してましたから」


 霰さんには悪いことをしてしまった。まさかこんなにお酒に弱いだなんて思ってなかったとは、言い訳にしかならないだろう。


「……心配といえばおそらく満様です。もう一度、ご連絡を差し上げてもよろしいですか? さっきも、心配そうな声をしてらっしゃいましたから」


「お願いします」


 僕は携帯の画面すら見られそうにない。頭が本当に痛い。


「分かりました。少々お待ちください」


 そう言うも、ここで電話をかけるのは葛城さんが僕を安心させるためだろうか。


「もしもし、葛城です。満様、リン様が一度目を覚まされました。……はい、大丈夫です。アルコール中毒による死亡には低体温症が関係します。なので30分おきに体温を計測いたしました。……はい。そうですね、リン様は12度のお酒三口ほどで許容限界となりますね。今はそっと、寝かせておきます。……はい、失礼いたします」


 電話が終わったようだった。


「マ……満さんはなんと?」


「良い方ですね。リン様を案じて起きてらっしゃったそうです。今動かすと、頭が痛いだろうから、そのまま眠っていただくよう仰せつかっています。でも、明日は迎えにいらっしゃるそうです」


 悪いことをしてしまった。僕はママを心配させてしまったのだ。


 そんな事を思っていると、葛城さんが言った。


「心配をかけるのも、かけられるのも、人付き合いの醍醐味でございますよ」


 柔らかに微笑んだのを覚えている。すごく母性の強いひとな気がする。


「わ、分かりました……」


 こんなマネージャーさんについてもらっている五期生たちは幸せ者だろうと思った。


「少し、待っていてください。水をお持ちします」


 そう言って、葛城さんは部屋を出た。


 少しして、帰ってきた葛城さんの手には、吸呑すいのみと呼ばれる小さなティーポットのような容器があった。 


 葛城さんは寝たままの僕に、そこから水を飲ませてくれた。


 笑ってしまう。本当に、母親みたいな人だ。

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