第111話・カラーロ・ホンデル

「ちょ、ちょっとまって……なんでカラーロあるんですか!?」


「いや、ほらうちにも音楽系VTuber何人かいるじゃないですか? その子達が弾く用にね用意しているのを今回せっかくなので借りてきたんですよ!」


「いや、え? えぇ!?」


 僕と霰さんのライブは始まる前からドタバタだ。


 カラーロ・ホンデル七十万円相当のヴァイオリンである。こんなものに触るのは初めてだ。万が一壊してしまったりもしたら。


『ちなみに今、ミュート解除しました』


 マネージャーさんがフリップで伝えてくる。完全にマーケティングとしてのドタバタみたいだ。


「え? えぇ!? 弾くの? これを? 僕が!?」


『はい、お願いします』


 フリップが出てくるのが早かった。僕の性格が完全にバレている気がして仕方がない。


「わ、分かりました……じゃあ……」


 外堀は埋められた状態だ。もうこれ以上視聴者さんたちを無音とオフモードで焦らす訳にはいかない。


 僕は意を決して、ヴァイオリンを引き始めた。


「ん? ズレてるかな?」


 開放弦の調律が僅かにズレている気がする。それを指で弾きながら調律を合わせて、もう一度改めて弾き始める。


 弾くのは激しめのクラシックの曲。それでいて、ヴァイオリンソロでも映える曲でなければならない。


 弾いているのはカラーロだ。これまで弾いていた十二万円のヴァイオリンが可愛く思えるほどいい音が出る。それだけじゃない、汚い音だって僕のさじ加減。


 驚いた、高級なヴァイオリンの表現の幅に。思い通りの音が、僕の絵空事が、現実世界に出力されていく。こんな音が出たらいいなという願望のそのままに。


 五分はあっという間だった。放送の本番が始まる。


「みなさーん! こんにちは! クロノ・ワール五期生の霜月霰です! 皆さん、さっきの演奏でお気づきになられたかと思うんですけど、ゲストがいます! 今日のゲストは、世界一の歌姫VTuber秋葉リンさんでーす!」


 霰さんはもともとふわりとした優しい態度が持ち味だった。VTuberとしての顔はその優しい態度をさらに強調したような印象だ。聞いていて、ただただ癒される。


「お兄ちゃん、お姉ちゃんも! 霰お姉ちゃんのファンのみんなも! 来てくれてありがとう! 紹介してもらった秋葉リンだよ! よろしくねー!」


 緊張する。でも、僕だってVTuberだ。緊張する場面なら、いくらでも経験してきた。だから、今堂々と立つことができる。


「じゃあ、まずはちょっとコメント読んでいきます。ベト弁さん[あれ? この音カラーロだよな? くっそ、俺が買って送りつける予定だったのに!]」


 コメントを見れるのは、手元に確認用の端末を持っている霰さんだけ。僕からは見えない。


 でも、ベト弁さんが来てるということは、いつものRyuお兄ちゃんのファンの人達も結構来てくれているみたいだ。


 その情報に、僕の緊張はほぐれていく。


「安心して! 今回は借りられただけ! でも、びっくりしたよ! すっごいいいヴァイオリン……」


「いや、霰もびっくりしたんですよー! だって、リンちゃんのヴァイオリンってこれプロレベルですよね?」


『私もプロとして通用すると思いました……』


「今、マネージャーさんがフリップで共感してくれましたー! 実際、クロノ・ワールにもヴァイオリンが弾ける人がいるんですけど、カラーロは難しいって言ってたんですよー! 普通に弾いちゃうと汚い音が出るって……。そこ、どう感じましたー?」


「うーん、どこまでも応えてくれる楽器って感じたよ! でも難しいかも。ちょっと弾き方変えると音が全然別のものになっちゃう。逆に言うと、汚い音も簡単に出せるってことなんだよ!」


 高級なヴァイオリン、その真価は表現の幅なのだと思った。自由自在に音を鳴らせる。そんなもの、下手な奏者だと歪んだ音しかきっとでないのだろう。


 これだと、自画自賛しているようだが、僕はカラーロのお眼鏡に敵う奏者である証拠が出た。カラーロは僕に応えてくれたのだ。


「なるほどー! やっぱりリンちゃんもその難しさは感じたみたいですねー」


「うん、すっごい難しかった!」


 ここで話を一度締めくくる。今回の主題に入っていくのだ。


 葛城さんがフリップを出す。


『リスナーさんにはここがバーに見えています』


 それをしっかり頭に入れて、これからはその前提で動かなくては……。


「さてさて、ここに来たということはいつものですよー! お馴染みの、バー霜月開店でーす! 今日はね、リンちゃんが飲めるお酒を探そうという企画できてもらいましたー!」


 でも、お酒はエールが苦かった記憶しかない。


「あはは……飲めるかなぁ……」


 だから、僕はお酒に対して懐疑的なのである。


「絶対飲めるお酒を見つけてみせますよー! じゃあ、お席に案内しますねー!」


「はい!」


 なんだか、大人のお店に来たみたいで緊張する。僕は大人なのに……。

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